第35話 宮本町の塀の中

 高弁は宮本町の釧路刑務所に収監されている添田誠と接見した。

 添田は元、くしろナイトタイム情報という業界誌を発行していた。

 くしろナイトタイム情報は、相手の弱みに付け込んで、でたらめな記事を書いては、金をゆする、典型的な悪徳業界誌であった。

 だがニュー東宝の汐未をゆすろうとしたが失敗して逆に逮捕され、詐欺罪、強要罪、窃盗罪、婦女暴行罪が重なって、有り金を全部没収された上、懲役10年の刑に

処せられていた。

 そんな添田には弁護士はおろか、女房も寄り付かなくなっていた。


「私は弁護士の高橋という者です。あなたが起訴されたとき、私は国選であなたを弁護しようと思っていました。しかしあなたには能力が無い弁護士が選ばれてしまい、私はあなたを弁護することができませんでした。もし私に国選が回ってたらあなたはきっと、刑を受けることはなかったと思います。返すがえすも残念でなりません」と高弁は添田の運の悪さを嘆いて見せた。

「おい、高橋弁護士さんとやら、あんた、本気で俺を助けようと思ったのか」と添田は高弁のいうことを信用しようとはしなかった。


「あなたは知らないでしょうけど、私は殺人犯の男を無罪にした実績があります。その男は今では、家庭を持ち、東京で平和に暮らしています。

 私が今からあなたを無罪にすることは法律上無理ですが、せめて出所後のために今してやれることはないかと、ずっと考え続けていました」


「何だ今出れるんじゃないのか、やっぱりお前もバカな弁護士と同じだな」

「ですが、あなたがここに入って1年経ちました。残り9年です。真面目にやってれば3年くらい経ったら、仮出所も考えられます、その時のために少しでも金を貯めたいと思いませんか」


「おい高橋さん、務所の中でどうやって金を稼ぐんだ、あんたもただのバカな弁護士だな」

「まあ、そう言われても仕方ないですね。でも、あなたも元は記者ですね。私もあなたの記事を読みました。素晴らしい記事だと思いました。あれだけの才能があるのですから、今、刑務所の中で記事を書いたら、載せてくれる新聞もあると思います。原稿料も入りますよ」

「なんだって、今俺が書いたら新聞に載って、原稿料も入るってのか」


「そうですこれを見て下さい」と言って高弁は、北海道日日新報を取り出して、毎週日曜日に掲載されている、読者投稿のエッセイ欄を見せた。

「どうですか、こんな下手なエッセイでも載せてくれて、金も貰えるのです。

 あなたが書いた記事なら、その何倍でももらえると思います」


 添田は「ウーン」としばらく考えたあと「俺は北海道大学文学部で天才と言われた男だ。小説でもエッセイでも、どんな文章でも書いて、読んだヤツを泣かせる自信がある。嘘だと思うなら、ペンと紙を持ってこい」と、悪徳業界誌時代のはったりが舞い戻ってきた

 すかさず高弁は「添田さん、あなたの半生を美しく書き上げれば、女性読者が多い北海道日日新報のエッセイ欄の編集部は、きっと取り上げてくれると思います。

 出来ればそこに主婦に関心の高い。食品をからませれば、一層効果的だと思います」と言って、「これは私の母からあなたへの差し入れです」と、和夫が買った極東水産の鮭缶を10個渡した。

「もう一つあります、これは私の妻からです」と高弁は、便せんと胸にさしてあった安物の万年筆を添田に渡した。


 翌日、宮本町の釧路刑務所で高弁は「亡き母へ」と題した手記を受け取った。

 高弁は事務所にもどり、添田が書いた手記に水を垂らし、インクを滲ませ、涙で書き上げた手記のような工作をして、北海道日日新報に郵送した。


 ☆☆☆


 翌日「立花さんちょっといいですか」と、立花半平太は北海道日日新報の筆頭株主で、青年会議所の代表を務める牟田に呼ばれて会議室に入った。牟田は「私のとこにこんなものが来ましてね」と言い、A4の封筒を机の上に置いた。


 半平太が中の便せんを開くと、そこには獄中から亡き母親を想って書かれた手記が綴られていた。

「お母さん、あなたの姿が懐かしく思い出されます。あの日あなたはおっしゃいましたね。強く正しく生きなさいと。

 それなのに僕はあなたの期待に背き、犯罪の道に走ってしまいました。悔やんでも悔やんでも、悔やみきれません。

 僕が犯した罪で、沢山の女性が傷つき、あなたが死をもって償うことになってしまうとは、あのときの僕には想像することができませんでした。

 もしもう一度あなたに会えたなら、僕はあなたに縋り過去を詫び、あなたの指し示した道を歩むことでしょう・・・・・・・・・・」と、涙を流して書いたのだろうか、インクが滲む文字が並んでいた。


「僕にこれを読ませて、何をしようというのですか」と、半平太は一枚目を読んだだけで、苛立つように言った。

「立花さん、落ち着いて私の話を聞いて下さい。最後の方にですね、この人には仲間がいて、その仲間というのはあなたを連想させる文字が記されています」と言われ、半平太は5枚目の便せんを開いた。そこには、


「・・・・・・・・僕は友人を捨てて自害しょうかと何度も思いました、でも僕は弱い人間でした。友人は水産会社を営む裕福な家庭に育ち、強姦も盗みも遊びでやっていたのでしょう。でも僕は金と肉欲に負け、ズルズルと深みに嵌っていきました・・・・・」


「どうですか、金持ちの友人とは、あなたのことをいってるように読めますね」


「嘘だ、俺にはこんな友達なんかいない、何かの間違いだ」と半平太は必至になって叫んだ。


「私もあなたの言うことを信じます。しかしこの手記は刑務所の中から、北海道日日新報に送られてきたものです。編集部にはコピーが残っています。編集長の考え次第では日曜日の朝刊に載るかも知れません。

 あなたが明確な反論を出さなければ、読者は事実と思うことでしょう。私たち青年会議所の会員は一所懸命にやっています。しかし世間では私たちを、ボンボンの集まりと思っています。このようなところに、在らぬ噂が広まるのは青年会議所の会員の皆さんが迷惑を受けることになります。いかがでしょうか。考えて頂けませんか」


 それでも半平太は「俺には仲間なんかいない。悪いことなんかしていない」と言い張った。

「しかしですね、読者にとって、刑務所から送られてきた手記というのは、普通の事件の記事以上に関心を呼ぶと思います。ことに女性読者にとってこの手記は、強姦の被害を受けた女性と、責任を取って自害されたお母さんを想い、心を揺り動かされるではないでしょうか。

 あなの会社の商品は、家庭の主婦によって選ばれるものです。あなたの会社にとっても損失は大きいと思います」


 ここまで来ると事実であるかどうかは別として、半平太に反論の余地はなくなっていた。

「その手記を書いた人と会ってお詫びをしたいと思います」と半平太が言うと

「立花さん、この手記は釧北法律事務所の高橋弁護士を通じて、北海道日日新報に送られてきたものです。先ずは高橋弁護士にお会いになったらいかがでしょう」


 ☆☆☆


 翌日高弁は立花半平太の訪問を受けた。

「高橋弁護士さんですか、極東水産の立花半平太と申します。あの手記を書かれた方にお伝えください。一日でも早い出所を待っていますと」

「あの方は模範囚であと数か月で出所すると聞いています。その時あの方と直接会ってお話を聞かれてはいかがでしょう。きっとあなたの訪問を喜んで下さると思います」

「それではその方には、私の会社に勤めていただいて、会社が所有する家が空いていますので、住んで頂きたいと思います」


「あなたの温かい心にきっと喜こんでくださることでしょう。でも、あの人はお母さまが亡くなった釧路にはつらくて住めないをおっしゃっています。

 多分、東京に行くお考えではないかと思います。東京には出版社がたくさんありますから、就職も可能でしょう」


「そうですか、それでは就職祝いとして、いくばくかの金を明日、こちらへお届けしますの、お手数ですが高橋先生からその方にお渡ししていただけませんか」


 翌日半平太の秘書が100万円入った封筒を持ってきた。

 添田は仮出所されることもなく。独房から10人の雑居房に移され、先輩囚人に、尻を貸すこととなった。

 半平太は世間を騒がせた責任により、青年会議所の会員資格を剥奪された。


 また、洋子が作った曲をあたかも、タイアップのように見せかけて、宣伝に使用したのは商標無断使用に当たり、犯罪であるが、洋子が望まなかったので、起訴はされず洋子とフイッシャーズのメンバー全員に各々、100万円づつ計、600万円支払うこととなった。

 汐未には1年前に遡り、添田を逮捕した功績により、末広町商店会から金一封が授与された。中には100万円入っていた。

 かくて、関係する者は各々、100万円のチップを受け取り、半平太問題は一件落着となった。


宮本町の監視塔の上でカラスが一羽、醜い者たちを嘲笑うように「カー」と鳴いた。

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