第34話 JALを追う釧路湿原の丹頂鶴
10月、厳島神社で湯山甚弥と里奈の結婚式が執り行われた。
媒酌人の㋥佐々木の代表、鈴木勝也は言った。「お前たちを今日から、次郎長の直系と見做す。よって今後ことの成しの一切は、威を持つものとせよ」
「ははーっ、謹んでお受けいたします」と甚弥は、勝也の言葉をありがたくいただいた。
意味はよく分からなかったけど、里奈も甚弥と同じように頭を下げようとした。
だけど、頭に乗せた鬘が落ちそうなので、「はい」とだけいってごまかした。
その後、披露宴が行われるセンチュリーキャッスルホテルに向かった。披露宴会場ではメンデルスゾーンの「結婚行進曲」がかかるのかと思っていたら、バッハのG線上のアリアという曲を5人組の生バンドが演奏していた。
バッハのアリアに歩をあわせ、シズシズと200人の拍手に迎えられ高砂席に座った。200人の列席者とは多分、かなり多い方なのだろう。広いセンチュリーキャッスルホテルの式場も、40台のテーブルでぎっしりと埋まっていた。
高砂席から見える席に、美津子、子鶴ママ、高弁、㋥佐々木の菊池さんと、美津子のニューラテンクオーター時代のお友だちの、珠季さんの5人が座っていた。
珠季さんのことは美津子から聞いていたけど、会うのは今日が初めてであった。
今は東京に新しくできたキャバクラに居ると言っていた。釧路にはまだ無いが、東京ではキャバレーはすっかり衰退して、キャバクラが増えているのだとか。
キャバクラではホステスとか社交さんとはいわず、キャバ嬢というらしい。
子鶴ママと会うのはクラブ小鶴が閉店した時以来だから、2年ぶりになる。
あのとき子鶴ママが「幸せをいっぱい詰めてね」と言って渡された手作りのポーチに今、自分は本当に幸せを詰めることができた。と、来てくれた人たちの顔を見るごとに、感謝の念を抱かずにはいられなかった。
司会はロイジェームスという人であった。ロイジェームスは軽妙に日本語を操るトルコ国籍の外国人で、テレビのクイズ番組などで、進行役を務める人気タレントであった。
多分、滝沢修一が頼んで連れてきたのだろう。他にも子鶴時代に来ていた現職の運輸大臣や銀行の頭取、最高裁判事など錚々たる人たちが列席していた。滝沢の力はまだ残っていたのだな、と少し安心した。だけど、ママは、クラブ子鶴があったころと同じくらいか、あるいはそれ以上に、気を使うことだろう。
その隣のテーブルには㋥佐々木の柿崎慎太郎夫婦と、汐未、健治姉弟と近藤水産の佐々木和夫がいた。洋子に用意してあった席はぽっかりと空いていた。何か急に来れない問題でも起きたのだろうか。遅れてでも来てくれることを願った。
こうして高砂席に座っていると、緊張しているはずなのに、案外冷静に見ていれるのだなと、自分でも少し驚いた。
隣を見ると新郎の甚弥さんは、コチコチになっていた。
媒酌人の鈴木勝也さんが言った言葉の意味を聞こうと思ったけど、これでは無理だと思って諦めた。本当は甚弥さんも分かんないんだろう、と思った。
釧路商工会議所の斎藤会頭の音頭で乾杯をして、宴が始まった。
美津子がお銚子を持って高砂席にやってきて、お猪口に注いでくれたけど、一口で飲んでしまった。
こんな席でも、酒を飲むときの自分は変わらないのだなと思った。美津子はすかさず、グラスに白ワインを注いでくれた。美津子もまだホステス時代の癖が治ってないのだなと、何故だか分からないけど、少し安心した。
そんなこんなしているうちに、司会のロイジェームスが、鈴木善〇総理大臣の祝辞を代読した。総理大臣と聞いて、会場はシーンと静かになった。
「甚弥君、里奈さん、御結婚おめでとうございます・・・・・・・・」と、鈴木○幸総理大臣の祝辞の中で自分の名前が呼ばれると、滝沢修一や㋥佐々木の人たちなど、他人の力によるものなのに、自分が一ランク上の人になったような気がした。
正直に言うと今までは、肩書を持った人の近くにいれば、自分も回りの人たちから、偉い人のように見られると、思う気持ちも少しはあった。
だがそれは、本当の自分ではない。お前はただの大衆の中の一人だと、参列してくれた本当に偉い人たちが言っているような気がした、
里奈が少し酒が回って来たころ、司会のロイジェームスが、「ベースの○○さん、
サイドギターの○○さん、ドラムスの○○さん、キーボードの○○さん、リードギターの室井さん、とそれまで列席者の下手くそな歌を、何とか上手く聞かせようとして、頑張っていたバンドのメンバーを紹介した。
5人を紹介したあとロイジェームスは、「すみませんボーカルの人を忘れていました。名前も忘れてしまいました」と、わざとらしく言うと、真っ赤なドレスに真っ赤な口紅と、長い付けまつ毛の女性が現れて、チェリッシュのヒット曲「てんとう虫のサンバ」を歌った。
チェリッシュのボーカルの松崎悦子さんは美声で知られているが、名前も知らない歌手は本家の松崎悦子さんを凌ぐと言っても過言でないほどの、透き通った美しい声であった。そのあと名前も知らない歌手は、ジャニーギターという曲のメロディーに、「きれいなリナその瞳を・・・・・・・」と日本語に歌詞を変えて歌い、里奈にウインクしてステージを降り、宴会場を出て行った。
10分ほどして「遅れてごめんなさい」といってブルーのツーピースを纏った洋子が席に付いた。
同じテーブルにいた和夫は、名前も知らない歌手の声を聞き、ひょっとしたらこの人はあの白木洋子ではないかと思っていたところに捜し続けていた洋子が現れて、頭の中が誰かに殴られたような衝撃を受けた。健治と汐未はニタニタと笑っていた。
「……白木さん……いや斉木さん……洋子さん……?」と二人の洋子の名前が頭の中を行ったり来たりした。
司会のロイジェームスが「大変すみません、今思いだしました。さっき歌ってくれた人は白木洋子さんといいます」と一段とわざとらしく言った。
里奈はようやくこれが、式の進行をお願いした汐未と健治が仕掛けた、サプライズであることに気が付いた。
汐未が和夫に「あんた何をモタモタしてんの、ここで洋子に結婚を申し込んじゃいなさいよ」といって強引に和夫を立たせた。
それを合図にロイジェームスが「新郎新婦のお二人が、新しいカップルを誕生させました」というと、会場は一斉に高砂席の二人と洋子と和夫にも拍手を送った。
☆☆☆
披露宴が終わり、甚弥と里奈、それに洋子、和夫、汐未、珠季さんと高弁の7
人は、末広町の稲荷小路の大衆酒場グルッペで二次会を開いた。
センチュリーキャッスルホテルの豪華な料理とは、月とスッポン以上の差があるカスべをかじり、注文しなくても出てくるグレハイを、飲んで、歌って、踊って、大騒ぎして、空が明るくなるまで楽しんだ。
酔った汐未が和夫に「あんたさ、せっかく洋子を手に入れたのにしっかりしないと、半平太みたいな男に取られちゃうよ、毎日せっせとアレをしてやるんだよ」
「アレですか、任せてください」
「おいちょっと待て、半平太って何のことだ」と高弁が割って入った。
「洋子ちゃん、私が言っていいかい」
「はい汐未さんにお任せします」と洋子は、面倒な話をテキパキとこなす汐未に任せることにした。
「半平太ってのは極東水産の立花社長のバカ息子でさ、青年会議所の会員なんだけど、女たらしで有名なヤツでさ、自分とこの社員を集めて勝手に洋子のフアンクラブだといい出して、洋子を追っかけてんだよ、アイツはねうちに店にも来て、ついたホステスをかたっぱしから一発やっちまうんだよ。放っといたら何をしでかすか分かったもんじゃないよ」
「洋子さんそれは本当ですか」と和夫は青ざめた。
「はい汐未さんのいう通リです。立花さんは私が銀の目のステージに出れなくなったとき、『本格的に芸能界にデビューさせてやる』と近づいてきました。そして『手始めにうちのCM に使ってやる」と言われました。それで私が詩を作り、バンドリーダーの室井さんが作曲をした題名も決めていない曲のデモテープがあったので、それを聞いてもらいました」
「ちょっと待てよ、「霧の街」は極東水産とのタイアップだし、CDはもう発売されてるな、だったら半兵太はあんたとの約束を果たしたわけだな、とすればヤツを責めることはできないな」と高弁は珍しく、弁護士らしいことをいった。
「違うんです、「霧の街」はタイアップではなくて、フイッシャーズがお金を出して100枚作った自費出版なんです」
「自費出版だって?じゃあ極東水産は金を出していないってことか」
「はい、お金は貰ってません」
「ちょっと待ってください、極東水産のCM では鮭缶を買った人に抽選で、1000名にCD が当たるといってましたよ。100枚しかないのにどうして1000名に当たるんですか」といくらか冷静さを取り戻した和夫が言った。
「私は半平太さんがお金を出して、1000枚以上作ってくれるのかと思っていました」
「実は俺、極東水産の鮭缶を10個買って、抽選ハガキを出したんですけど、1枚も当たりませんでした、当たらないわけですよね」
「なんだ和夫、お前は自分の会社でも作ってるのに、あのバカ息子の会社の鮭缶を買ったのか、しかも10個も、お前ってとんでもないヤツだな」
「すみません、さっきからCD とか、霧の街とか言ってますけど、いったい何のことですか」と珠季が尋ねた。
「そうでしたね、霧の街という歌は私が歌っているのですが、有線と、ラジオでかけてもらい、おかげさまでたくさんの人に聞いてもらうことができました」
「そうなんですか、じゃあ東京へのお土産にちょうどいいですね。私も10枚くらい、買わせてもらいます」
「ありがとうございます。でも初回に作った100枚は自分たちが買い、有線の会社と、ラジオ局に50枚配ったので、50枚しか残りませんでした。その50枚を北斗電気のレコード売り場に置いてもらうことにしました。ですから北斗電気にも、もう残ってないと思います」
「えーっ!50枚しかなかったんですか」と和夫は素っ頓狂な声を上げた。
「じゃあ北斗電気に行かなければ、俺は洋子さんのCDを買えなかったってことですね」
「そういうことになるな、お前は50分の1の確率でモノにできたってわけだ、しかも本物の洋子さんまで手に入れやがって、お前ってとんでもねえヤツだな」
「はいすみません」
「お前に洋子さんは勿体ないけど、仕方がないな、幸せにしてやるんだぞ」
「はい洋子さんを絶対幸せにします」と、グレハイのグラスに付いた洋子のルージュの上に唇を重ね、永遠の愛を誓った。
☆☆☆
翌日、美津子は釧路駅で国鉄標津線に乗り中標津に帰る。たった一日だけだったけど、懐かしい人たちと会い、愛し合う人たちを見て、帰ったらまた牛たちとの生活が待っている。美津子は自分が少し、故郷シンドロームになっているように感じた。
「これは子鶴ママに倣って作ったんだけど、貰ってくれるかしら」と美津子は、クラブ小鶴時代のドレスで作ったポーチを洋子と汐未と珠季に渡した。
「いただくわ、これにいっぱい幸せを詰めるわね」と、手を振って美津子と別れた。
残った5人はバスで釧路空港に向かった。
空港ではハワイに向かう里奈と甚弥と、東京に帰る子鶴ママが待っていた。
同じ便に珠季も乗り東京に帰る。珠季には明日からはまた、東京での暮らしが待っている。
釧路にいたのはたった1日だけど、この街の人たちから、いろいろなことを学んだ。ことに汐未という人は、今までに出会ったことがない不思議な魅力の持ち主だった。この人のいる釧路のキャバレーで、一緒に働いてみたいな、などと思った。
里奈と甚弥は羽田で乗り換えてハワイへ向かう。
「気を付けて行ってきてね」と、離陸する鶴のマークのJALを見送った。
残った4人はそれぞれの心の中に、宴のあとの寂しさを感じた。
たった一人で帰った美津子もきっと、同じ思いで電車に乗ったのだろう。
やや沈んだ空気を打ち消すように、「洋子さん、里奈さんと甚弥さんが帰ってくるまでに、半平太問題を解決させますよ」と高弁は宣言した。見上げると釧路湿原の上空を丹頂鶴が2羽、LAL の翼を追うように飛んでいた。
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