第21話 幣舞橋のロータリー

 末広町に年中無休24時間営業の、笛園という大型喫茶店があった。

 朝は6時から11時まで、250円のモーニングサービスがあり、前夜から150円のコーヒー1杯で寝ていた客が、モーニングサービスを追加注文すると、朝食付きで一泊で400円となり、どこよりも安いホテル代わりの店である。


 向かいにはラッキー会館というビルがあり、1階がパチンコ店、2階と3階が飲食店で、4階にはロマンスと言うサウナがあった。

 腕に覚えのあるパチプロなら、このを二つのビルの中だけで、家に帰らなくても生活できた。


 そんな住人の一人に沢村という男がいた。沢村は左手の薬指がなく、「俺は元その筋の者だ」と吹聴していた。実際は元、漁船の大漁旗などを作る職人で、布に染色する機械に挟まれて、指を失ったのであった。今はパチンコともう一つ、ある仕事のプロであった。


「沢村さんお待たせしました」と高弁こと高橋弁護士は、笛園前で沢村を車に乗せた。

「沢村さん、今日は白糠でお願いします」高弁がたったこれだけ言うと、「分かった、いつもの通リだな」と返事が返ってきた。高弁の車が釧路駅前で沢村を降ろすと、「じゃあ行ってくるな」と言って、沢村は国鉄根室本線に乗り4個目の、白糠駅で降りると、キョロキョロと見回した後、走って来た白い車の前でバタッと倒れた。

「痛てぇー、痛てぇー、脚の骨が折れちまった」と叫び、降りてきた運転手に「ここに電話をかけてくれ」と言い、高弁の名刺を出した。


 沢村の薬指と弁護士の名刺の威力で、沢村に2割 20万円、高弁には8割 80万円の金が入った。


 ☆☆☆


 昨日里奈から「汐未さんともう一度、話させて下さい」と言われていた高弁は笛園で、里奈と美津子が來るのを待っていた。


「あれっ、美津子さんはどうされたのですか」

「美津子さんは都合が悪くて、今日は私だけで来ました」


「そうですか、それならこっちも好都合だ………あ、しまっ…」

「どうしました」

「いえ、なんでもありません、それよりも汐未さんのところへ行きましょう」と急き立てるように理恵を車に乗せた。

 車は事務所のものだと言ったが、泥で汚れきって、元の色さえ分からない、およそ法律事務所の車とは思えないボロ車であった。


 ボロ車は北大通りを南下して幣舞橋を渡った。幣舞橋を出たところは幣舞ロータリーという五差路になっていて、左のウインカーを出さない車は何回でもクルクルと、ロータリーを回り続けることになる。行く方向を間違った車によくあることで、地方のナンバーの車では珍しくはない。


 高弁は行き先を探すようにキョロキョロと見回して3周したあと、一番細くて交通量の少ない入船町方向の道に入った。その瞬間、目の前に白いジャンパーの男が現れた。と同時にドスンという音がして、手で押すくらいの軽い衝撃を感じた。


 高弁は車を降りて車の前に行った。そこには男が仰向けになって倒れ、白いジャンパーが血で染まっていた。

 高弁の後ろから、追突した男が降りてきて、恐る恐る様子を窺っていた。

「これは大変だ、駄目かも知れない」と高弁はつぶやき、後ろを振り返り、警察を呼びますけど、それでもいいですか」と言った。男は動揺して「はあ」としか言えなかった。

 高弁は「ぼくは弁護士です、こういう処理には慣れています。あなたが追突した弾みで僕がこの人にぶつかったことは、誰にも言いません。野次馬が來る前にあなたはすぐにここから離れて、後で連絡してください」と言い、名刺を渡した。

 追突した車が現場から見えなくなったのを確認すると、倒れていた沢村に


「おいもういいぞ」と言った。沢村は立ち上がり、「痛てぇな先生、もっと上手く当てろよ、怪我したらどうすんだ」と言った。

「それよっか、人に見られたらどうすんだ、早く風呂に行ってそのケチャップを洗い流せ」沢村はケチャップのチューブを持って現場を去った。


 沢村が現場を去ったあと車内をみると、里奈はウトウトと居眠りをしていた。

「里奈さん起きて下さい」と言われ目を覚ました里奈はきょとんとして、「何かあったのですか」と言った。

「実は渋滞にはまって動けませんでした。里奈さんはもう店に出る時間ですね、汐未さんのところへ行くのは今度にしませんか」

「そうですね、高弁さんには悪いけど、またお願いします」


 翌日高弁に、追突させられた男から電話があった。

「昨日の件は大丈夫だったでしょうか」と弱々しい声で言った。

「あなたは運がいい人ですね、あの人は軽傷で済みました。ただ治療費が30万円かかります。交通事故は健康保険の適用外ですので、実費でお願いしてもいいですか。

 あと、慰謝料なんですが、50万で手を打ちました。

 えーと、それから、私の車の修理費に50万円の見積もりが来ています。

 ですから、合計しますと130万円になりますね」


「それだけでいいのですか」

「はいこれ以上は掛かりません」

「あなたがいい人で助かりました。本当にありがとうございました」と男は丁寧に礼を言った。


 そしてその日のうちに男から、高弁の個人口座に130万円の振り込みがあった。

 沢村にはその中から出演料として、2割 26万円が支払われた。


 見積を依頼された自動車整備工場の親父は高弁に、「この車はアクション映画の撮影にでも使ったのですか、きっと凄いカーチェイスだったんでしょうね。公開はいつですか」と言った。


 ☆☆☆


 それからしばらくして高弁に、里奈から電話があった。

「先生、先日はお手数をおかけしました。美津子さんと話したんですけど、滝沢先生についていろいろと詮索するのは、やめたいと思います」


「何かあったんですか」

「滝沢先生のことを調べたら、子鶴にとって都合が悪いことが出てくるような気がしたんです。そしたら店の子が皆んな困りますからね」


「そうですか、実は僕もそう思ってたんですよ、滝沢先生は、立派な方ですからぜひ運輸大臣になってほしかったんですけど、MMさんみたいな人がいたら、命が危ないですからね、それに滝沢先生は絶対に士幌線を守ってくれると思いますよ」


高弁という男は3っつも4っつも顔を持っていて、MM先生の支持者になったり、滝沢の支持者になったり、自由自在に使い分けることができた。


 それから3年後、士幌線は廃線となった。今は雑草が1メートルほどの高さまで伸びている。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る