第58話 次の夜逃げを探せ

 和夫が3級無線通信士試験が行われる5号室に入ると、受験者が20人くらいいた。

 この中で合格するのは1人か2人。合格者が1人もいないこともある。

 心臓がドキドキとなって止まらなかった。

 最初に行われたのは電波法だった。設問は20問あった。出題の傾向は毎年変わるので、事前の勉強が全く役に立たないこともある。制限時間は45分。解答を書き終えてから3回確認したあと、最後の5分間は目をつぶって、終了の声を待った。


 15分間の休憩のあと、無線機器の試験が行われた。制限時間は同じく45分。

 試験用紙には、機器の回路図が書かれていて、その中の一部に敢えて間違いが記入されていて、その間違いを探す問題が2問と、真空管・抵抗器、コンデンサー、コイルを使った回路図の数値を計算する問題が2問あった。計4問。

 これには45分フルに使い切っても足りないくらい考えた末、ようやく解答を書き終えた。


 三つ目の試験は英語であった。これは高校入試程度の内容で、試験のやり方もほとんど同じであった。なので10何年か前を思いだして、落ち着いて考えると何とか時間内に全部、解答を書き終えた。


 ここまで終わって、1時間の休憩のあと、電波伝搬の試験が行われた。

 この試験は電波の性質を問うものだが、毎年ほぼ同じ傾向の出題が多く、比較的楽な気持ちで解答を書き終えた。


 そして最後の試験が待っていた。送受信の実技試験である。いわゆるトンツートンである。

 先ず最初に受信試験が行われた。これには制限時間というものがない。


 ー・・・- (送信開始)から始まり

 ・-・-・ (送信終了)まで、試験官が打つ音を聞いて、碁盤の目状の用紙にカタカナで書き留める。文字数にして約2,000文字くらい受信したところで

・-・-・(送信終了)となった。時間にして約5分くらい。短いようだが結構長く感じた。鉛筆を持つ手は汗でビッショリと濡れていた。


 その次は欧文の受信である。やり方は和文と同じで、これも5分くらいで終わった。

 次はいよいよ送信試験である。これは受信と違って全員一斉ではなく、1人づつ行われる。なので1人終わったら、次の人となり、待っている間は他の人の打つ音を聞くことになる。早い方がいいか、遅い方がいいかはそれぞれ違うと思うが、名前のアイウエオ順だった。和夫は姓が伊藤なので、阿部さん、安藤さん、に次いで3番目になった。


 送信文は受験者毎に違っていて、和夫が受け取った試験用紙は、400字詰め原稿用紙3枚に、和文と欧文と数字の混合で書かれていた。


 先ず念入りに電鍵の隙間の調整をして、ー・・・-(送信開始)のあと、本文を打電した。これは早すぎても、遅すぎても減点となる。丁度いい速さというものがあって、変な例えだが、歌った後の最後によく「トットト 、 トット 、 トット」とやる人がいる。あのリズムである。……分るかな?


 ともかくこれで全部の試験が終了した。

 試験会場の5号室を出てから休憩室で、4号室で行われている2級通信士の試験を受けている門脇を待った。

 2級通信士の試験は一段と難しく、時間も長い、1時間ほど待つと門脇が出てきた。

 2級通信士の試験を受けたのは5人だったそうで、確率的には一人も受からないことになる。本当に大変な試験である。だがこれも、海とか空とか電波に頼って航行する人たちの安全のためなので当然である。


 門脇とはいつか、海の上かどこかでまた会えるかも知れない、そのときは大いに飲もうと言って別れた。

 合格するもしないも、返事は1週間後である。

 和夫はこれから子どもが生まれて親になる。「受かってくれ、頼む!」と、身が引き締まる思いで、釧路行きの列車に乗った。


 ☆☆☆


 末広町では慎太郎が予想した通リ、BAR楡のママが夜逃げをしていた。

 噂では現金1,000万円を持って逃げたといわれていた。本当かどうかは不明である。現実に起きていることは、2,000万円の負債が残っていることで、これは予想通リであった。


 金を貸していたのは例によって、不二洋服店と、㋖北村のときと同じ、道東銀行であった。

 道東銀行は支店長の玉井の独断で、担保なしで融資していた。裏でどんな密約があったかはおおよそ想像できた。玉井がやるとすればあれしかない。

 玉井がどんな処分を受けるかは、道東銀行の内部のことなので、玉井がどうなってても気にしない。だが今は末広町から店が1軒減ることが問題なのだ。

 ㋥佐々木の存在意義がそこにある。負債もなにも被らずに、店だけそっくりいただくことにした。


 そこで調べてみると、道東銀行はチャラリンコの李基哲に2,000万円融資した形にして、BAR楡に迂回融資していることが判明した。道東銀行は李が持っている大楽毛の外国人向け日本語学校を担保にしていた。当然それなりの見返りはあったと思うがここではそれは問わないことにして、李の外国人向け日本語学校を調べてみた。すると以外なことが分かった。李の生徒は表向きは留学生となっているものの、現実はどこかの会社や店に就労している、いわゆる不法入国者であった。


 これを突っ込めば、李は不法入国幇助となる可能性が出てきた。

 さらに不法入国した人たちは、いかがわしい店で働いていて、それを斡旋していたのが、道東銀行の玉井であった。玉井はそれらの店から斡旋料を取り、その一部をBAR楡に迂回融資した見返りに李に渡していたのだった。


 この構図は誰が見ても逃れることができない犯罪で、李も玉井も逮捕、起訴となれば有罪は確実であった。だが㋥佐々木は警察ではない。逮捕などするはずがない。

だから警察より何倍も怖い。


 電話をかけて「あなたはこんなことをやってますね」と言って、あとは黙っていれば自動的に、玉井と李の両方から金が入ってくるのだ。さらに玉井と李はBAR楡の権利を放棄せざるを得なくなり、結局㋥佐々木は一銭も使わずにBAR楡を手に入れた。さらに玉井と李の両方から、それぞれ500万円、計1,000万円を手にしたのであった。


 残った問題はBAR楡の再建である。従業員はそのまま残っているので、あとは誰に経営を任すかに絞られた。今までBAR楡が高級店と言われてやってこれたのは、

 良くも悪くも夜逃げした「リヤホールの女」といわれたマダムの個性に他ならない。あれ以上の個性の持ち主などおいそれと、探せるものではない、


「社長、ぴったりの人物がいるじゃないですか」と高弁は言った。

「ぴったりの人物?俺は知らないな、誰のことだ」


「社長、しらばくれちゃって、ニュー東宝に汐未って子がいるでしょ。あの子ですよ」

「汐未 ?…………バカ野郎、あんなもの使い物になる訳わけねえだろ!お前の報酬は半分に減額だ!」


「そうですかね、ぴったりだと思いますけど、しょうがないですね、他にしましょうか」

「ニュー東宝には美紗希がいるだろ。あいつはどうだ。あいつは李と別れたがってるのにゴタゴタしてたな、だけど李も金がなくなったから、美紗希を諦めるんじゃないかな。自由になった美紗希は大変身して、凄いことになるかも知れないぞ」


「そうですね、美紗希に賭けてみますか。だけど社長、李は本当はいいヤツなんですけどね、ただ美紗希に帰ってきて欲しかったんですよ」

「分かってる。いつかはあいつを俺んとこに呼んで、お前と交代だ」

「はぁ? 言わなきゃよかったな」


こうして㋥佐々木流のやり方で本人の了解もなしに、BAR楡の二代目のママは、

洋子の義姉、美紗希に決まった。


 なにはともあれ、楡の継続が決まったことで、㋥佐々木流のやり方の正当性は証明された。慎太郎以下、㋥佐々木の悪どい連中は、次の夜逃げを求めて末広町に散らばった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る