第5話 工場跡地
12月、釧路は最も霧が濃い季節となった。昼でもヘッドライトを点けなければ、車の姿も見えなくなる。幣舞橋のオベリスクに立つ四季の像もおぼろげに見える。
「君にクリスマスプレゼントだよ、開けてごらん」と、酒井は、眞光堂時計宝飾店の包装紙に包まれた小箱を、里奈に渡した。
里奈が酒井からプレゼントを貰うのは、今日で2回目だ。最初は5月の誕生日の時だった。
里奈が4月にクラブ子鶴に入店して間もないころ、酒井の席に着いた。始めて来たとき「手相を見てあげるね」と言い、自分の胸から万年筆を抜き、「細い指をしているんだね、僕の万年筆と同じくらいだ」と言って比べていた。
酒井のことは店のママ、千鶴 も「始めて来たお客さんよ」と言った。
その後、2回目に来た時貰ったのは、眞光堂時計宝飾店のダイヤのリングだった。
その後2回来たが、その時は水割りを1杯飲んだだけで帰って行った。
そして今日、ダイヤを散り嵌めた、高級腕時計プレゼントされた。
どうしてこんなに高いものをくれるのだろう、と、少し不安を覚えた。
他のホステスに「うちのお客さんはお金持ちばっかりだから、貰っておけばいいのよ」と言われた。
それまでいた店でこんな人に出会うことはなかった。
里奈はクラブ子鶴に来る前は、BARマドンナと言う店と、BARラタンと言う店にいた。
里奈は3年前、釧路江南高校を卒業した。住んでいたのは川北町と言うところで、雄別鉄道と言う私鉄の廃線跡が残る、寂れた町であった。近くには小林製材と言う会社があり、母は箱打ちのパートタイマーをしていた。父は雄別炭鉱で働いていたが、閉山後は炭鉱事故で負傷した体のせいで無職であった。苦しい家計のため、進学を諦めて、末広町のBARマドンナのホステスとなった。
「いらっしゃいませ、里奈と言います。座らせてもらってもいいですか」
「里奈さんって言うんだね、この店らしくない人だね、いつからここにいるの」
「今年の4月からです」
「じゃあ1年も経っていないんだね、知らない訳だ、俺が前に来たのは1年以上前だからね、前はどこにいたの」」
「勤めるのはこの店が初めてです」
「へーえ、そうなの、初めて務めるのがこの店なんて驚いたな」
「どうしてですか」
「あの人たちをどお思う、きっと他の店にいれなくなって、ここに来たんだと思うな。君ならもっといいとこへ行けると思うよ」
他の店を知らなかった里奈は、この店が普通だと思っていた。だがその人の話を聞いて、BARマドンナよりいい店があるのかと思った」
「じゃあ、この店に行ってみたら」と言い、名刺を渡された。
名刺には㋥佐々木 湯山甚弥 と書かれていた。
紹介されたBARラタンに行ってみると、BARマドンナとはずいぶん、雰囲気が違う感じがした。
ホステスたちの言葉遣いも上品で、何となく、臭いも違うような気がした。
ママは「湯山さんから聞いていますから」と言い、その場で採用が決まった。
時給も5割くらい高くなった。ただ「和服でも洋服でもいいけど、洋服なら田島さんと相談して、いいものを選んでね。レンタルもしてるから、大丈夫よ」と言った。
田島と言うのはホステス専用の洋服店で、値段は凄く高かった。
BARマドンナとは格が違うのだな、と、その時思った。
その後、湯山さんはたまに来て「よっ、元気か」と言うとカウンター席で、水割りを1杯飲み、帰って行った。
1年後、湯山さんが来て「君は評判もよさそうだし、クラブ子鶴でもいけると思うな、やってみる気になったら、㋥佐々木の事務所に来るといいよ。俺はいないと思うけど、菊池という婆さんに言っておくよ」と言った。
翌日、㋥佐々木の事務所に行き「つまらないものですが」と言い、千秋庵のお菓子を差し出すと、
「まあ…………」」と言った後、しばらくして、「うちに来る人で手土産を持って来たのはあなたが初めてよ、湯山はちゃんと見てたのね」と言った。
湯山さんが言った通リ、菊池さんと言う人が対応してくれた。湯山さんは婆さんと言ったけど、菊池さんは40歳くらいの人だった。湯山さんと同じように言葉も丁寧で、上品な人だった。
菊池さんがどこかへ電話を掛けると5分くらいして、大きな黒い車が来た。
㋥と書いた三角の旗がヒラヒラとしていた。
車の後ろに菊池さんと並んで座った。南大通りを走り、米町の啄木の碑がある公園の近くの、白い2階建ての家の前で止まった。表札には「滝沢」と書いてあった。
応接間の壁には、額縁に収まった大きな絵が飾ってあった。
出てきた人は白髪交じりの髪をオールバックになぜ付けた初老の紳士であった。
選挙の時、ポスターの写真で見た顔だった。
回りを見ると、感謝状がたくさん飾られていた。
この人は衆議院議員で北海道開発庁長官の滝沢修一という人だった。
滝沢は「里奈か、本当の名前は何ていうんだ」と言った。
「川村里奈です」と言うと「本名か、うーん……ま、いいだろ」と言った。そして「娘の店は難しい客ばっかりだから気を付けろよ。何かあったら湯山に相談しろ
」と言った。
滝沢は菊池さんに「柿崎にはやりすぎるなよ、と言っておけ、あいつがなにしでかしたら、議員はすぐに首が飛ぶからな、アッハッハッハ」と笑っていた。
里奈は翌日からクラブ 子鶴 のホステスとなった。
クラブ子鶴の店内は、BARラタンとは段違いに豪華な造りだった。
ホステスの人数は20人で、BARラタンと同じくらいだった。だけど客質と言うか、客の肩書が違った。
衆参両院議員、各銀行頭取、大手企業幹部など、中央から釧路に来た人は、必ず来る大変な店であった。
里奈は、ああ、ついにこんな店に勤めれるのか、と、感慨にふけった。
こんな客たちの中で一人だけ違ったのが、酒井であった。
酒井は月に一度くらい来て、水割りを1杯だけ飲んでサッと帰った。
どこに勤めているかは、明らかにしなかった。
一度だけ、「店を作りたいので一緒にみてほしい」と言われ、末広町の飲食店街を見に行ったことがあった。
石の花と言うBARの前で、「この店はいくら出すと買えるかな、1億なら買ってもいいな」と言った
そんなある日、里奈のアパートに釧路警察署の人がやって来て「川村里奈さんですね、この人を知っていますか」と言い、写真をとりだした。
その写真は酒井だった。
「知っています」と言うと「任意ですけど、事件に協力して下さい」と言われ、黒金町の釧路警察署に連行された。
理由を聞いても答えず、代わりに眞光堂時計宝飾店の領収書を出し、「あなたはこれを持っていますね」と言った。
「はい、持っています」と答えると「こいつは酒井と言う男だ。勤務先の信用金庫で横領した罪で今日逮捕した。横領した金はお前に渡してあると言っている。その金はどこに隠してあるんだ!」と段々、荒っぽくなった。
「電話を掛けてもいいですか」
「弁護士か」
「いいえ、㋥佐々木の湯山さんです」
刑事は「チエッ!」と舌打ちをして「㋥佐々木か、しょうがねえな」と言った。
湯山さんは5分もしないで、釧路警察署にやってきた。そして里奈に「お前、酒井とどっかを見に行ったことはないか」と言った。
「石の花と言うBARを見に行ったことがあります」
湯山さんは刑事に「おい、聞いたろ、すぐ石の花に行け!早くしねえと、女に逃げられるじゃねえか」と、刑事を怒鳴りつけた。
刑事は「俺たちの手柄を取りやがって、いつかはお前ぇを逮捕してやるからな」と、憎々し気に言った。
刑事が石の花に行くと女がいて、「いらっしゃいませ、今日から石の花を引き継ぐことになりました。私は紀子と申します」と平然と言った
紀子に手錠をはめた時、紀子の腕に傷跡があった。
取り調べで酒井は「里奈さんの名前で架空口座をつくり、横領した金を振り込んでいました。受け取ったのが里奈さんであるように見せるため、指輪と時計を贈りました。どうせ捕まるんなら、もっと安い指輪と時計にすればよかったな」
「ふざけんな!」と刑事は拳で机を叩き、お前と紀子はどういう関係だ!」と聞いた。
「私は旭陸橋で事故を起こした酒井紀子の兄です。院長だった親父は自殺しました。
紀子のレズ相手だった佐藤木工場の娘はレズを改心し、男狂いになりました。
佐藤木工場が買収した小林製材はぼろ儲けしました。
レズの相手がいなくなった紀子は仕方なく、相手になってくれる女を探しに、BARマドンナに行きました。その時好みのタイプだったのが、里奈さんでした。
でも里奈さんは紀子を相手にしませんでした。逆恨みした紀子は里奈さんを、塀の向こうに行くように工作しました。私は工作の手助けをしただけです。私も妹も悪くはありません。レズの良さを知らない世間が悪いのです」
「男のお前がどうして、レズの良さが分かるのだ」
「私は男どうしの良さを知ってるので、レズの気持ちも分かるのです」
湯山甚弥は里奈を乗せ、佐藤木工場の跡地に来た。
「ここで俺のお袋は箱打ちをしていた。1箱1円でこき使われた。生意気な娘を犯してやろうかと何度思ったことか。だが娘はレズで俺はそんな女を犯す気がなくなった。それで俺は前科二犯にならずに済んだ。今はレズに感謝の気持ちでいっぱいだ」
「そうだったのですか。私の母も小林製材で箱打ちをしていました。1箱1円の苦労をよく知っています。でもレズの気持ちは分かりません」
「それが普通だ、あれはやるものじゃない、見るものだ」
「見るものって、どういうことですか?」
二人は小林製材の跡地に来た。
跡地にはストリップ劇場が建っていて、レズビアンショーの赤い旗が風になびいていた。
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