第19話 グルッペのグレハイとカスべ
9月、美津子が赤坂のニューラテンクオーターに勤め出してから、3か月が過ぎた。帯広も暑かったけど、東京の残暑の厳しさは、美津子の予想を超えていた。
ホステスの仕事には少し慣れたけど、この暑さがいつまで続くのだろうと思うと、
捨てたつもりの帯広が恋しくなった。
そんなある日、美津子を東京に送りだしてくれた恩人、滝沢修一が懐かしい十勝のミルクジャムを持って、ニューラテンクオーターにやって来た。
「久しぶりだな、心配していたけど元気なようだな、困ってることはないか」と滝沢は、初めて会った時と同じように優しかった。
「大丈夫よ、ほらこんなに元気よと」と、努めて明るく振舞った。
だが心の中のどこかには、都会で一人暮らす寂しさを拭い去ることはできなかった
滝沢は席に付くと、「あいつは来なかったか」と、ある与党議員の名を口にした。
「ムーさんは昨日、二人で来てたわよ」
「一緒に来たヤツは誰だか分かるか」
「そこまでは分かんないわよ」
「それもそうだな、まだ3か月だったな、そのうち分かったら教えてくれ」と言い、その後は「また来るな、体は大切にしろよ」と言い チップを置いて帰っていった。
ある与党議員とは茨城を地盤とする衆院議員で、6期連続でトップ当選を果たし、防衛庁長官を歴任したMMという人物であった。MMは全国の道路整備と新幹線網を提案するなど、運輸行政に熱心で、次期運輸大臣を噂されていた。
齢は滝沢より10歳くらい若く、次期運輸大臣を狙う滝沢にとって、MMは最も警戒すべき男であった。当時運輸大臣は最も利権の多いポストで、なりたがる議員は山ほどいた。
ニューラテンクオーターは与党の議員がよく来る店で、マスコミの記者たちは外や、地下駐車場で待機して、議員たちの動きを探る行動をとっていた。
滝沢は議員が監視されていることを逆手にとり、店内で得た情報を親しい記者に
流し、ライバルの追い落としに利用した。
美津子は滝沢にとって情報収集役の一人であって、美津子を助ける意図など、少しもなかった。
滝沢にとって重要なのは、滝沢に従順であることで、何らかの事情がある者ほど安心できた。美津子は滝沢が求める条件を全て備えた最も使いやすい存在であった。
滝沢は来る度に「美津子、東京の暮らしには慣れたか」と美津子を心配してくれた。
「はい回りの人たちは皆さん親切で、とてもよくして貰ってます」
「それはよかったな、何かあったらすぐ言えよ、どんなことでもいいからな」と、滝沢は美津子の前ではあくまでも親切なおじさんを演じた。
ところが思わぬ事態が起きた。赤坂(正式には永田町)のホテルニュージャパンが、2月8日未明、火災に見舞われたのである。死者33名、負傷者34名という大惨事であった。
このホテルニュージャパンの地下に、クラブ・ニューラテンクオーターがあった。
ホテルはその後30年以上、改修されることもなく、焼け爛れた醜い姿を赤坂の街に晒すこととなった。
ホテルとクラブの入り口は別になっていて、クラブ・ニューラテンクオーターの店内は改修は可能であった。しかし、それには半年以上かかり、従業員200人は全員解雇されることとなった。
仕事を失い、頼る人もいない美津子は滝沢に縋る他なかった。
滝沢とて美津子をどうするか、処遇を考えあぐねた。だが滝沢には妾との間に生まれた千鶴という娘がいた。千鶴は釧路でクラブ子鶴という店をやっていて、この店は
釧路に来た著名人は必ず寄るといわれる店であった。もちろん滝沢が送り込む政財界人も多く、いわばこの店は滝沢にとって、永田町の釧路支店のような存在であった。
ここに美津子を置けば、それなりの情報が手に入る、と踏んだ滝沢は美津子に釧路に行くことを提案した。
「君にはせっかく東京に来て貰ったけど、ニューラテンクオーターがこんなことになってしまうとはね、君には悪いけど、俺の娘の店を手伝ってくれないか」
「分かりました、先生のせいではありません、東京で貴重な経験をすることができました、今度は釧路で役にたちたいと思います」と美津子は心から感謝の言葉を述べた。
それは嘘ではなかった。美津子はニューラテンクオーターに在籍中、キャバレーという世界に住む人たちと出会い、いくつもの得難い体験をした。
ことにホステスというある意味、世間の目から見れば、開けてはいけない秘密の部屋を覗くような、スリルと見た後の充実感を味わうことができた。そして自分もそこにいて、リアルな世界の当事者であることを実感させてくれた。
ニューラテンクオーターで出会った人の中に、珠季さんという人がいた。
珠季さんはホステスのイロハをおしえてくれた。参宮橋のマンションに遊びに行って、洋服を交換し合ったり、相談ごとをするなどして、胸の奥につかえていたものが取り除かれた。
別れの日「短い間だったけど、楽しかったわ、一生忘れないからね」と美津子と珠季は羽田空港で手を振って別れた。
クラブ子鶴は滝沢が言っていた通リ、著名人がたくさん来る店であった。
ニューラテンクオーターにいたときに見た政治家がいたりして、またラテンクオーターに戻ってしまったのかと、錯覚するほどであった。
ママは千鶴といい、滝沢の愛人の娘で、修という中学生の息子がいた。
この店にはホステスが20人ほどいた。その中に美津子と同じ齢の、里奈という名のホステスがいた。
里奈とは、東京に行く前に一度帯広で会っていて、ホステスの哀楽を聞いたことがあった。そのおかげでホステスになってから少々辛い出来事があっても、耐えることができた。
里奈とはニューラテンクオータで出会った珠季とのように、親しく付き合うようになった。
ある日、ニューラテンクオーターにいたときに、「こいつは来なかったか」と滝沢に言われていた代議士のMMが、一人でクラブ子鶴にやって来た。
美津子が席に付くとMMは「美津子さんは北海道の人ですか」と聞いた。
「はい、帯広の近くです」と答えると、「今、国鉄士幌線が廃止になりそうなので、僕は残すように頑張っているんですよ、士幌線がなくなったらみんな困りますよね」と言った。
それからしばらく滝沢はクラブ子鶴に来なかったので、MMのことを報告することはなかった。
ある日、通称 高弁と呼ばれている釧北法律事務所の高橋弁護士に誘われて、美津子と里奈は末広町の稲荷小路にある、グルッペという店に行くことになった。
グルッペは漁村の作業場のような造りで、つまみはカスべ(えいひれ)と、ピーナッツだけという大衆酒場であった。
魚を入れる木箱がテーブルと椅子を兼ねていて、10個くらい置いてあった。
床には剥かれたピーナッツの殻が散らばっていた。
魚の箱の椅子に座り、注文しなくても出て来るグレハイ(グレナディンシロップ入りハイボール)を飲んでいると、女の人が入ってきて、「高弁ちゃん待たしちゃったねえ」と言い、高弁の隣に座った。
そして「私さニュー東宝の汐未って言うんだけどさ、あんたがみっちゃんかい」と北海道の漁村のおばさんがよく使う、語尾に「さ」を付ける浜言葉で言った。
「そうです」と言うと、「私は高弁ちゃんに聞いてるから全部知ってるよ。あんたさ、人殺しの沼倉と付き合ってたんだってね」と、美津子には触れてほしくないことを、平気な顔で言った。
無神経な人だなと内心思っていると、「私は15歳の時に無理やりやられて妊娠しちゃってさ、堕すことになったけど、5年後にそいつを見っけてね、ホテルに連れてって、そいつのあそこに黒文字(爪楊枝)を突き刺してやったよ、痛がって泣いてたけど、あんな気持ちのいいことはなかったね」そして、顎で高弁を指して「この人なんかね、殺人犯の沼倉の弁護をしたんだよ。ほんとに嫌な男だね」と言った。
高弁という人は、美津子と付き合っていながら、もう一人の付き合っていた人を殺した犯人の弁護士であった。
汐未という人は普通なら、他人知られたくないであろう、過去の辛い出来事を隠さずにあっさりと言った。
そして本人を目の前にして堂々と「いやな男」言い切った汐未に、ある意味で爽快で清々しさを感じた。
「汐未さんはこんなことを言うけど、本当は僕たちに協力してくれてるんですよ」と言い「MM先生をご存じですね、MM先生は国鉄士幌線を残すため、運動している地元の人たちのため、国会で一所懸命に頑張っているんですよ。
でも滝沢さんみたいに私利私欲のため、運輸大臣になりたがる人もいますからね」と高弁は言った。
以外であった。滝沢が追い落とそうとしていたMMが実は、美津子の地元の士幌線を残すため、一所懸命に頑張っていた人だったとは。
「この店のグルッペという意味は分かりますね」
「はいドイツ語で仲間と言う意味だと思います」
「そうです、この店も僕たちと同じ仲間です。売り上げは全部、士幌線を残すための資金になっています。
だから経費を掛けず、こんな粗末な店でやってるんですよ。あなたたちにもし、寄付をしていただけるなら、ここは割り勘で払ってもらえませんか。グレハイ1杯とカスべだけで3千円です。他の店なら千円以下でしょうね」
美津子と里奈は3千円の寄付を払い、グルッペを後にした。
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