第18話 北洋の軍艦マーチ

「伊藤、お前が今度船に乗るのはいつなんだ」

「えーとちょっと待って下さい。あ、1週間後ですね」


「あのな、次にいつ遠洋漁業に出航するかくらい、手帳をみなくても分かるだろ」

「まあ、そうですね」


「そうですねじゃ済まないだろ、この件は片づけるまで、1週間しかないんだぞ」


「お前たちは伊藤なんか相手にしないで、それぞれ一つだけ調べてくれ、他のことは考えなくていいからな」

 慎太郎は部下10人を集め、一人につき、1件だけ調べるよう命令した。


 ☆☆☆


「若松町の評価額は分かったか」「土地が○億で建物は○千万円です」

「所有者は誰だ」「現社長の斉木隆博です」

「大楽毛工場はどうだ」「土地は○千万で建物は○億です」

「資本金はいくらだ」「1臆です」

「株主は何人いる」「現社長が5千万、社長夫人が2千万、社長の姉が3千万です」


 と、財務諸表が全部報告され、不二洋服店の経営状況は次々と明らかになってきた。

「伊藤、不二洋服店を買収しようと名乗りを上げてるのは、どことどこか分かるか」

「はい、マルタミ商事、立川商店、山田物産、の3社です」


「よく聞け、不二洋服店の年商は○億で借入金が○億ある。借入先は道東銀行の1社だけで、支払いが滞ったことは…ないみたいだな。

 若松町の土地、建物、大楽毛の土地、建物、は全部、道東銀行が抵当権を設定していているようだけど…………お前はこの数字を見てどう思う。この会社を買いたいと思うか」


「難しすぎて、さっぱり分かりません

「そうか、俺ならこんな会社は買わないな」

「え、買わないんですか」


「慌てるな、この会社は買ったとしても10臆以下でなければ、利益は出ない会社だ。だから、仮に㋥佐々木が10臆で買うといったら、マルタミ商事、立川商店、山田物産は10臆以上の金を出すと思うか」


「ちょっと待って下さい、頭を整理しますので、えーと…………やっぱり分かりません」


「もう1回いうぞ、単純に言うと、社長の姉さんという人に10臆円払うかってことだ」

「いやですよ、そんなの」


「そうだろ、だから㋥佐々木がその姉さんという人に10臆払えば全部解決だ」

「えーと、もう1回整理しますね…………え、?本当に10臆払うんですか」


「払うわけねえだろ、言うだけだ」

「言うだけですか、そんなのありですか」


「そうだ、なんでもありだ、口は食うだけじゃないんだぞ」

「はい」


「いいか、やり方はこうだ…………

 ㋥佐々木は正式に不二洋服店の買収を表明した上で、社長と社長夫人の持ち株を全部、相対取引で買い、7千万円支払うことにすると、不二洋服店の全株式の70パーセントは㋥佐々木のものになるだろ。すると社長の姉が持ってる残りの30パーセントを例え、マルタミとか何とかいう会社が100臆で買っても、30パーセントは30パーセントだから、役員を送りだすことはできないだろ」


「へーえ、そういうものなんですか」

「そういうことに会社法(346条第6項)で決まってんだ。あとは黙って聞け」

「はい」


「そこで㋥佐々木は不二洋服店に役員として、お前を送り込む」

「え、俺が役員ですか?」


「黙って聞けと言ってるだろ」

「はい」


「そこで役員となったお前は、株主総会を招集する。といってもお前と死にそうな社長と、社長夫人と社長の姉の4人だけだけどな。株主総会を開いても、お前は特別議決権(会社法309条第2項)持っているから、相対取引で㋥佐々木から6千9百90万円で不二洋服店の株式を買い取ることとする。


 すると㋥佐々木は10万円の儲けとなり、お前は不二洋服店の役員として残り、今の社長が死んだあとは、お前が社長になってもいいし、あるいは社長夫人の奴隷になるのもいいし、お前の考え次第だ」


「一つ聞いてもいいですか」

「言ってみろ」


「相対取引って何のことですか」

「相対取引ってのは、証券会社を通さずに、当人同士が株の売買をすることだ」


「へーぇ、そんなことができるんですか、水揚げした魚を市場を通さずに、居酒屋に売るみたいなものですね」

「お前まさか、遠洋漁業で捕って来た魚を、炉端の婆さんとこに持ってくつもりじゃないだろな」


「この前タラバガニを緑ヶ丘に持っていったでしょ、あれは山田水産の友達から買ったんで、市場を通していません。やっぱり相対取引になるんでしょうか」

「そういうことになるな、だけどあのタラバは美味かったな、もう一回持って来い」


「やっぱり㋥佐々木って、世間がいう通リだな」

「なんか言ったか」


「いえ、独り言です」


☆☆☆


 と、世間ではいろいろなことが起きていたが、ともかくマルタミ商事他2社は、不二洋服店の買収騒動から手を引いた。


大楽毛工場のミシンも徐々に稼働率が上がってきて、倒産の危機は回避された。

 だが社長の斉木隆博は35歳の若さで帰らぬ人となった。隆博の持ち株5千万円は妻の洋子が相続し、洋子の持ち株は70パーセントとなって、特別議決権を手に入れた。

 わずか10万円の利益で株を売り渡した㋥佐々木は議決権を失い、和夫が不二洋服店の役員として残ることはなかった。


☆☆☆


「和夫、これで満足したか」

「はい、洋子さんを助けることができて、本当に良かったと思います」


「そうか、それならいいが、あの会社はこれからも苦労するぞ」

「大丈夫です。その時はまたがんばれば、何とかなると思います」


「北洋に行くのは明日だな、気を付けて行って来い」

「はい、ありがとうございました」


と、和夫は㋥佐々木の事務所を出て行った。

「本当にこれでよかったのですか」と事務員の菊池は言い、慎太郎の前に書類の入った封筒を置いた。

「あの会社はもうダメだろうな、これを見た時に俺はそう思った」と、菊池が置いた不二洋服店の決算報告書をみていた。


「私はね、あの会社の株を売り戻した時、どうして10万円しか抜かなかったのか、不思議に思っていたのですよ」

「そうだな、取ろうと思えばいくらでも取れた、だがあの会社からあれ以上取ったら、㋥佐々木の名が廃る。10万円が限度だった」


「やはりそうでしたか、和夫さんが帰って来た時どう説明したらいいのでしょうね、

ショックは大きいと思いますよ」


慎太郎と菊池が心配した通リ、不二洋服店は最終局面を迎えた。洋子に金を出したのは、亡くなった斉木隆博の姉、竹子の夫の李基哲であった。李は札幌でチャラリンコというパチンコ店を経営していた。若松町の本店は撤去してチャラリンコ釧路店をつくり、大楽毛の工場は建物はそのまま残して在日外国人のための、日本語学校にすると発表した。


「和夫が北洋の漁船の上で、都はるみの「好きになった人」をい聞いてるときチャラリンコでは、開店を知らせる艦マーチが鳴ってた」


 

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