第40話 すすき野のステージ 

 1975年から約5年間日本はいざなぎ景気と呼ばれ、平均11,8%もの経済成長が続いた。いざなぎ景気の後も実質4,2%の経済成長率を維持し、安定成長期を迎えていた。だが、漁業と工業、鉱業などで成り立っていた釧路だけは、200海里問題に加え、工場誘致条例の廃止が災いして、大企業の工場が去り、他の都市とは逆にマイナス成長に向かっていた。


 あれほど賑わった末広町のネオンもいつか、一つ消え、また一つ消え、冷たい夜霧だけが濃さを増していた。

 だが麟の目は、健治が営業部時代に行った旅行会社回りが功を奏し、ナイトツアーバスが銀の目に約100人、毎日1時間組み入れられることになった。

 ツアー客のほとんどは北見、網走、帯広など、釧路市以外の道東地方で事業を営む人であった。またキャバレー初体験者が多く、釧路に出張する際にはリピート客となる可能性のある人たちでもあった。


 また麟の目と、ニュー東宝は一流の芸能人が出演することで知られ、出演者の名前によって、道内各地から、電車や時には飛行機で、来店する人がたくさんいた。


 この人たちにとって、釧路が不景気であろうがなかろうが関係ない。

 なので、いかに豪華なステージを提供するか、熾烈な競争が繰り広げられていた。ある日、麟の目のステージに、釧路出身のバーブ佐竹という歌手が出演した。

 バーブ佐竹は「女心の唄」という曲で第7回レコード大賞で新人賞に輝き、翌年、「ネオン川」という曲が240万枚売れる大ヒットを記録した。


 そのバーブ佐竹が「白木洋子さんに会えると思って、楽しみにしてたのですが、今日は出演されないのですか」と、店長の窪田に言った。

 洋子はその日、札幌のクラブ エスカイアのバンド、ノースビアーズⅠⅡⅢと音合わせのため、札幌に行っていた。


 当初、洋子の人気ぶりに、怒って帰ってしまった大物演歌歌手の件があったせいで、窪田はあの時の二の舞は踏ませないと、有名芸能人が出演する際は、洋子の出演を控えるようにしていた。

 だが、バーブ佐竹は「白木洋子さんと会えるのを楽しみにしていた」と言った。

 洋子が歌った「霧の街」はすでに、東京の関係者の間でも、話題になっていた。


 そのころ、クラブ エスカイアでは、オープンの日のステージに誰を呼ぶか検討中であった。

 店長の八重樫は当初、アメリカから、映画ゴットファザーで、「ゴットファザー愛のテーマ、”そっと愛をささやいて” などで知られるアンディ・ウイリアムスか、「砂に書いたラブレター」などで人気があったパット・ブーンを呼ぶことを考えていた。 二人とも日本で公演したことがあり、東京公演のときは発売と同時にチケットが売り切れる人気であった。オープンの日にこの二人のうち、どちらかを呼べば、話題になることは間違いないと思われた。


 ところが釧路のニュー東宝が、突如パット・ブーンを出演させると発表した。

 しかもその日は、クラブエスカイアのオープンの日であった。

 そこでクラブエスカイアはアンディ・ウイリアムス一本に絞り、出演交渉を重ねた。しかし、アンディ・ウイリアムスの代理人は、同じ日に同じ北海道で、パット・ブーンが出演すると知り、アンデイ・ウイリアムスの出演に難色を示した。


 同じ日、札幌でクラブエスカイアを待ち構えることとなったキャバレーアカネは、ベンチャーズの出演を発表した。

 ベンチャーズはすでに日本各地で公演していて、釧路でも札幌でも何度か公演していた。しかし、アカネは単なる演奏会場ではない。れっきとしたキャバレーである。しかも特別料金もなしに、通常の値段でキャバレーで遊べる上、ベンチャーズの公演を聞けるとなれば、キャバレーの経験がない若い人も押しかけると想像できた。


 パット・ブーンもアンディ・ウイリアムスも不可能となったクラブエスカイアは、「シエリーに口づけ」とか「愛の休日」などのヒット曲で、人気が高かったフランスの歌手、ミッシエルポルナレフに打診した。しかし、ミッシエルポルナレフは、ヨーロッパツアーの真っ最中で、来日は不可能であった。


 他にもカーペンターズやオリビア・ニュートンジョンなどにも打診したが、いずれもツアーの予定が入っていた。唯一ペレスプラード楽団が日本で公演していて、クラブエスカイアの出演が可能であった。

 だが、キャバレーのフルバンドはどこの店でもペレスプラード楽団とそっくりで、ことさらペレスプラード楽団が来たからといって、高い金を払ってキャバレーに來るとは思えなかった。


 外国人歌手の出演が不可能となり、日本人の大物芸能人と出演交渉することになったとき、真っ先に名乗りを上げてくれたのはバーブ佐竹であった。

 バーブ佐竹は「お世話になった麟の目にお返しをしたい」と言い、さらに「白木洋子さんと同じステージに立ちたい」と言った。

 バーブ佐竹の「女心の唄」と「ネオン川」はどちらもホステスの哀愁を歌った曲で、全国のホステスたちから圧倒的な支持を得ていた。

 まさにバーブ佐竹の歌は、キャバレーのためにあると言っても過言ではなかった。


他にも札幌出身のポール梨木からも、「ぜひ歌わせて下さい」と申し出があった。ポール梨木は洋子がいるフイッシャーズメンバーの5人のうちの三人が、トリオエコーズというラテンバンドを組んでいたころ、ゲストで出演してもらい、大学際などで歌っていた仲間であった。

 また彼が歌った「ラ、マラゲーニャ」というラテン音楽の名曲のCDを聞いたトリオロスパンチョスは「ポールをメキシコに連れて帰りたい」と言ったという。


 かくて、クラブエスカイアは400人のホステスと、バーブ佐竹、ポール梨木、白木洋子とテーブルマジックの引田天祐と、ノースビアーズⅠⅡⅢ、のステージで、オープンの日を待つこととなった。





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