第43話 昭和枯れすすき

 滝沢修一という人は、世間では色々といわれてはいたが、寂れてゆく釧路を憂い、支持者と共に戦い、共に泣く人情家であった。また中央とのパイプを生かし、助言を与えてくれる人であった。

滝沢と最後の面会者となった甚弥と菊池順子は、あと1日、いや1時間でも早く会っていたら、滝沢はどんなことを語ったのだろう。と、悔やみきれない無念さに駆られた。「先生、必ず末広町を立ち直らせて見せます」と、涙の奥に湧き出す決意を霊に捧げた。


滝沢の遺骨は生前からの本人の希望により、釧路港の沖に散骨されることとなった。死去から3日後、遺骨は娘の千鶴に抱かれて、滝沢も深く関与した近藤水産の漁船に乗せられた。

漁船には千鶴の他、慎太郎、甚弥、里奈、菊池順子、慎太郎の妻の富美、美津子、洋子、健治、汐未、和夫、高弁、洋子の義姉の美紗希、の13人が乗り、乗り切れなかった他の大勢の人たちは岸壁で、沖へ向かう滝沢の遺影を見送った。


滝沢の遺骨は海上保安庁の巡視船、朝霧と夕霧が放つ放水で出来た虹に見守られ、太平洋の底に深く深く、そして静かに沈んでいった。


船が岸壁に戻ると滝沢の秘書が慎太郎を待っていた。

秘書は「先生の奥さまからの伝言でございます」と言った後「本当は奥さまが散骨式を執り行うところですが、奥さまは船酔いする人ですので、乗ることができませんでした。奥さまはもし船に乗ることができたら、先生が好きだった歌を歌って見送りたいとおっしゃっておりました。しかしそれも叶わず、大変残念に思っておられるご様子でした。出来ればこのあと皆さんが奥さまに代わり、歌って頂けないでしょうか」と言い、「奥さまからお預かりしました」と言って、現金50万円の入った封筒を慎太郎に渡した。


「かしこまりました。先生が好きだった歌を私たちが歌わせていただきます。どうぞご安心下さい。奥さまには柿崎が喜んで引き受けたとお伝え下さい」と慎太郎は、民恵の希望を引き受けることにした。

水葬の際、音楽を奏で、敬礼で見送るのは世界共通の儀式であり、民恵のいうことは尤もなことであった。


だが、民恵が船に乗らなかった本当の理由が別にあることは分かっていた。

滝沢は釧路にも札幌にも妾がいて、本妻である民恵はないがしろにされていた。

妾を快く思う妻などいるはずがない。妾との間に生まれた千鶴は、顔を合わせたくな人のはずだ。多分千鶴も同じ気持ちだったろう。


もし二人が同じ船に乗っていれば、狭い船内は険悪な空気となるのは間違いなく、厳かな葬送が台無しになったに違いなかった。

民恵が釧路に来なかったのはある意味で、周りへの配慮ともいえる。

滝沢の私生活に立ち入るのは差し控えるとして、歌って葬送するのは理にかなっている。

また、旅立つ人を見送るとき、徹夜で飲み明かすのは次郎長以来、㋥佐々木に引き継がれた伝統であった。

慎太郎は滝沢と次郎長の生き方そのままに、飲んで歌って豪快に騒ぎまくり、供養とすることにした。


㋥佐々木の連中に近藤水産など、滝沢と関係が深かった会社に声をかけさせた。

するとたちまち100人以上の漁船員などが麟の目に集まった。


慎太郎は集まった男たちにに「今日はジャンジャン飲んで歌って踊りまくれ」というと「おー、任せとけ」と力強い返事が返ってきた。


ステージでは品川明とクールスターズの15人が、何やら難しいジャズを演奏していた。

するとどこからか「そんな小難しい曲は先生は嫌いだよ」という女の声がした。

バンドマスターの長谷部悟が「はぁ?」といった顔で振り向くとすかさず女は、「先生が好きなのは 昭和枯れすすきだろ」と言った。


すると漁船員風の客の男が立ち上がり「よーし 俺が一郎を歌ってやろうじゃないか、誰かさくらを歌える女はいないか」と言った。

男はぐるりと店内を見渡すと「そこにいるのは確か、白木洋子さんじゃなかったかな、あんたがさくらを歌ってくれないかな」というと、別の男が「菊池順子さんもいるみたいだな、あんたも出て来いよ」と言った。

するとあっちからもこっちからも「俺も、俺も」と希望者が増え、ついに洋子と菊池順子はステージに引っ張り出されることとなった。


バンドマスターの長谷部悟が「それじゃあ楽譜を探してきます」というと、健治の後任のマネージャーの布施が「その楽譜ならここにありますよ」といい、15人分のパート普を持ってきた。

誰が仕組んだのか分からないが、実に手回しが良かった。

クールスターズの面々が5分ほど音合わせをしたあと、洋子と客の男はデユエットで、さくらと一郎の昭和枯れすすきを歌った。

客の男は自分から名乗りを上げただけのことはあり、見事に歌い切った。


昭和枯れすすきという歌は、さくらと一郎というデユオが昭和49年に発売した歌で、翌年の昭和50年にかけて150万枚の売り上げを記録し、その年のオリコンヒットチャートで年間第一位となった。

また、テレビドラマの挿入歌としても使われ、当時、赤ちょうちんが下がった店の奥から、必ずといっていいほど聞こえてくる、昭和の名曲の一つである。


滝沢はこの歌をこよなく愛し、行く先々で相手を見つけては歌っていた。

なので、末広町では滝沢と昭和枯れすすきは、一対として扱われていた。


洋子はこの日はステージに立つ予定ではなかったけど、希望者が次々と現れて、昭和枯れすすきを含めて10曲以上歌った。そのあとは菊池順子も客とデユエットで歌うことになり、店内は次郎長から伝わる伝統に則り、由緒正しい大盛り上がりとなった。


☆☆☆


「汐未、さっきバンドの連中に『昭和枯れすすきをやれ!』と叫んでたのはお前だろ」と高弁は汐未に言った。

「私はあんな品のないことは言わないわよ」

「じゃあ、あれを言ったのは誰なんだ、あんなことを言えるのはお前しかいないと思うけどな」


「私じゃないわよ、あんたの彼女の可乃子じゃないの」

「今日は可乃子は来てないぞ、やっぱりお前だろ」


「来てないってのはさ、あんた、可乃子に逃げられたんじゃないの」

「逃げられたんじゃなくて、自由にさせてるだけだ」


「それってさ、逃げられたのと同じじゃない。そういえばさ、さっき可乃子が考えた可乃子風カニピラフを食べたけど不味くてさ、とても食べられたもんじゃなかったわよ、あんたよくあんなもの食べたわね」

「俺だけじゃなくて、菊池順子さんも食べてたけど『すごく美味しい』って言ってたな」


「へーえ、そうなんだ。あんたたちってさ、味覚が合ってるじゃない。やっぱりあんたと菊池順子さんは付き合うのがいいと思うな、菊池さんに話しておくね」と言って汐未はどこかへ行ってしまった。

高弁と菊池順子がどうなるかは分からない。だが滝沢の死は図らずも、人の運命さえも変えるものであった。


外に出ると白い夜霧の中に、末広町のネオンが人の儚さを嘆くように、ぼんやりと赤く灯っていた。



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