終章
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終章
「行ってきまーす」
ぼくはそう言うと、気を付けていってらっしゃい、と、鳩時計の鳴き声と一緒に奥から飛んできた声を聞きながら、玄関を出た。
そして今日も門の前で待ってくれていた、セーラー服姿の
ちなみに森永は、ぼくがまだ小学六年生だった去年の冬に、空き家だった隣りの家に引っ越してきた、同い年でクオーターの女の子だ。
クオーターだけあって黄色い髪をしているのだけど、それはともかく、体重なんてぼくの半分くらいしかなさそうなくせに、女子テニス部のホープだったりするらしい。
ぼくはだいたいいつものように、森永の少し後ろを、まだ新しさの残っている革鞄を片手に、風景を言葉に変換しながら歩き続ける。
まだ朝なのに、もうセミたちが鳴いていて、太陽はぼくらに汗をかかせようと懸命に輝いている。
なーんて表現はちょっと詩的すぎるだろうか?
と。耳くらいまでしかない黄色い髪の毛を揺らしながら、森永がぼくを振り向いて話しかけてくる。
「もうすぐ夏休みだね。どっか行く?」
「んー、どうだろうか」
立ち止まった森永が、髪の毛と同じくらい黄色い瞳で、グッとぼくの顔を覗き込んだ。
「ねえ
「た、たくらんでる?」
ふいの質問に驚きながらも、たくらんでるって割と面白い語感だよな、と頭の隅の、冷静な部分でそう思うぼくだった。
森永はぼくと並んで歩き始めた。
「わかるんだから。最近ずっと上の空だし。春休みとおんなじで、また何か作るつもりなんでしょ。今度も義手の指の、交換パーツ《アタッチメント》とか?」
森永のあまりの勘の鋭さに、つい白状してしまいそうになったぼくだったけれど、どうにか寸前で思い止まることができた。
やっぱり完成前に言うのは、ちょっと違う気がするからだ。
「心配ないよ、邪魔なんてしないから」
両手で持った鞄とラケットケースを、片方の足の脇からもう片方の足の脇に移動させながら森永が言った。「でもできあがったら、一番にわたしに見せてね」
「いいよ、わかった」
——と。
ぼくが答えた瞬間、してやったりという顔で、森永がニパッと笑った。
「引っかかった。やっぱりなんか作るんだ」
「あ……」
思わずそう言ったぼくを見て、森永は細い肩を揺らしながらくつくつと笑っている。
「でもだったら、本当に一番にわたしに見せてね」
「うーん」と、なかば観念してぼくは言った。
かんねんっていうのも割と面白い語感だな、なんて思いながら。
「ちゃんと感想聞かせてくれるなら、考えとくかな」
「そんなのもちろんだよ。まかせといて」
ちなみにまかせといて、は、森永の口癖だったりする。
「だったら、まあ」
「よし、じゃあ決まり」森永はまたニパッと笑った。「それと一回くらいは、どっか行こうね。誕生日のお祝いもかねて」
「それも考えとくよ」
「水族館とかは?」
「あ、なら悪くないかもね」
「じゃあよっく考えといてね」
言いながら森永は、やっぱりまたニパッと笑うと、谷口さんの家がある道路へと曲がって行った。
ちょっと複雑なことになっているのだけれど、森永はここまではぼくと一緒に登校して、ここから先は、谷口さんと登校するのが、毎朝のルーティーンになっているのだ。
ちなみに谷口さんというのは、ぼくと森永と同じクラスの、母子家庭の女子のことで、どうやら森永の親友らしい。
母子家庭というとたいていの大人たちはかわいそうな顔をするのだけれど、確かに色々と大変そうな点は認めざるを得ないと思うのだけど、それはそれとして、お母さんと娘の二人で暮らしているなんて、なんだかかっこいいと思うのはぼくだけだろうか。
いやその前に、谷口さんはひとりっ子じゃないかもだけど。
と、それはともかく、そうしてひとりになったぼくは、まもなく突き当たった堤防沿いの道を歩きながら、ズバリ森永に見抜かれた、たくらんでいることを考え始める。
それは今度の夏休みの間中に、絶対に書き上げると決めた、伝記的物語の書き出しだった。
伝記的物語なだけに、書く内容はだいたいもう決まっているわけだから、あとは書き出しさえバシッと決まれば、割とスムーズに書き進められそうな気がしているのだ。
——とそのとき、堤防の向こう側から吹いてきた、少し強めの風をきっかけに、ちょっとした奇跡が起こって、脳内にとある一文が舞い降りた。
『ぼくはまぶたの裏っかわに、黒い琉金を飼っている』
なーんていう書き出しはどうだろうか。
うん、なかなかいいんじゃないか?
ぼくはまぶたの裏っかわに、黒い琉金を飼っている。
『裏っかわ』か『
だったら『琉金』という言い方もちょっと難しいから、『金魚』の方がいいのかもしれないけれど、でもこっちについては、物語にかかわる大事な点だから、そのまま琉金の方でいこう。
二行めに、『琉金っていうのは、金魚のことだ』って補足を入れれば、意味がわからないということもないはずだ。
ぼくはまぶたの裏っかわに、黒い琉金を飼っている。
琉金っていうのは、金魚のことだ。
うんうん、いいじゃないかいいじゃないか。
ぼくは興奮にかられるままに、軽やかなるスキップをしてしまう代わりに、風のせいでほんの少しだけずれてしまった、紋章付きの学生帽子をクッと被り直しながら、今度は題名について考える。
『ブラック・ルキン』
うん。
こっちは何度考えたって、やっぱりそれ以外には考えられない。
ブラックルキン。
ブラック・ルキン。
うん、間に『・』を入れた方が、やっぱりそこはかとなくかっこいい。
とそのとき、また堤防の向こう側から風が吹いてきて、第一話のクライマックスとして考えている、ようやく具現化することのできたルキンが、自分の名前を名乗るところの文字を、思いっきり太く大きくしたら、むちゃくちゃかっこいいのでは?
なーんていうまたしても奇跡的なアイデアを思い付いたぼくは、ひと知れずに鼻息を荒くしながら、また帽子をクッと被り直した。
被り直しながら、物語の書き出しから、ラストのワキンがヒロインを救うために、命を投げ出すところまでを脳内で十六倍速再生する。
——でも、と、そこでぼくの前を、不安の影が忍者のように、ひゅっと横切っていった。
でも小説なんてものを、まだ中学生になったばっかりのぼくが、書き上げることなんてできるのだろうか?
しかも、伝記的物語なんてものを。
ぼくは堤防の外側に目をやった。
大丈夫、大丈夫だよ。
だってぼくは、『あの』両親の子どもなんだから。
それにもう、決めたんだ。
それがぼくの、『責任』なんだって。
かつてこんなことがあったんだよ、と、みんなに伝えていく、『使命』なんだって。
もう決めたんだ。
ぼくは自分にそう言い聞かせると、キラキラと光る鱗のようにも見える、だだっ広い水面を眺めながら、何度考えてもこれしかないっていう題名と、ついさっき思い付いたばかりの書き出しを心の中で復唱した。
ブラック・ルキン。
ぼくはまぶたの裏っかわに、黒い琉金を飼っている。
——そう、それは今から、二十五年前のこの火星に、吸いきれないほどのあったかい空気と、白い雲と、心地のいい風と磁場と重力と、そしてあんなにもきれいな青い海を作った、当時まだ小学六年生だったぼくのパパとママと、そして伝説の黒い巨大ザメ《メガロドン》が活躍する、大冒険物語だ。
【『ブラック・ルキン』〈了〉】
ブラック・ルキン 井上 竜 @kamyuka
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