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 一時間ほどしてたどり着いたのは、居住区の奥まった場所にある、木造の四角い建物だった。

 一見ただの、二、三階建ての家のように見えるけれど、実は平屋で中は気持ちのいい吹き抜けになっていて、地下にはなかなかに深くて広い研究施設が付いている、叔父さんの秘密の研究所だ。

 ただ昔ぼくだけは、絶対に場所をばらさないという条件付きで、一回だけ遊びに来たことがある。

 ちなみに叔父さんの専門は、化学と海洋生物学だ。

 そう、この叔父さんの影響で、ぼくは水棲生物のことが好きになったのだ。

 なんてことを思い出しながら、みんなに続いて、研究室のドアをくぐって中に入った。

 ちなみにバットとグローブは、車の中に置いたままにしておいた。

 そのあとで広間の中央にある、叔父さんが自分で作ったというご自慢の、やたらとがっしりとした円い木製のテーブルで、来る途中コンビニに立ち寄った際に注文しておいた、デリバリーしたピザを夕飯としてみんなで食べた。

 叔父さんいわく、デリバリーピザはぼったくりだから、直接お店で半額で買うに限ると言っていたくせに、今日は奮発してくれたようだ。

 みかんとぼくの、誕生日の前夜祭だとか言って、チーズやアンチョビやベーコンなんかをめいっぱいに追加トッピングした、夢のようなLサイズのピザを、なんと四枚も注文したどころか、好きな飲み物と一緒に、フライドポテトや唐揚げなんかのサイドメニューも、食べきれないほどに注文してくれたのだ。

 ちなみに叔父さんいわく、ピザというのはあくまでもLサイズのことで、Mサイズのピザは、ピザという名前のトーストだということだ。

 手に持ったときに、先っぽが『でろん』と垂れ下がるものこそが、ピザなんだそうである。

 よくわからない理屈ではあるのだけれど、いつも食べているMサイズのものよりも、今食べているLサイズの方が、おいしいことは確かだった。

 ちなみのちなみに、みかんはぼくの右隣りの椅子に座っていて、大人たちは左からお父さん、叔父さん、みかんのおばさんの順番で座っている。

 叔父さんの秘密の研究所で、お父さんやみかんのおばさんやみかんと一緒に、こうして晩ご飯を食べているなんてすごく不思議な感じがしたけれど、ピザはいつも以上においしかったし、何よりもこんな時間まで、みかんと一緒にいられることがうれしかった。

 それはそれとして、大人たちのようすが変だとはっきりとわかったのは、台所に行った叔父さんが、なぜだかなかなか戻って来ないときのことだった。

 お父さんが缶ビールのある場所を、大きめの声で叔父さんに訊いたことをきっかけに、ぼくは珍しくお父さんがなかなかに酔っていて、すでに何缶もビールを飲んでいることに気が付いた。

 叔父さんはお酒が大好きだから、どれだけ飲んでいても不思議じゃなかったけれど、お父さんは筋肉のためにめったに飲まないし、飲むとしてもちょっとだけのはずだから、確実に変だった。

 しかもお父さんだけでなく、みかんのおばさんも、ビールをごくごくと飲んでいた。

 おばさんはお酒が好きなのかもしれないけれど、あの量は体型的に、ちょっと飲みすぎなんじゃないだろうか。

 たった一時間足らずで、もう五本以上も飲んでいるのだ。

 350㎖サイズとは言え、はたして大丈夫なのだろうか。

 しかもその全部が、冷やされてもいないビールなのだ。

 それとも『通』は、冷えていないビールを飲むのだろうか。

 でもお父さんは通じゃないはずだから、本当は冷たいビールが好きなはずで、ということはぬるくてまずいものを、あえて飲んでいるということになる。

 何か嫌なことでも、あったのだろうか?

 結局三人は、一時間ちょっとで、段ボール一箱分の缶ビールを飲み尽くしてしまうと、今度は叔父さんが棚から出した、ブランデーを飲み始めた。

 叔父さんがものすごく高いと前に自慢していた、分厚い外国の本を模した、陶器製のボトルに入っている、未開封の高級ブランデーだった。

 そしてその合間合間にみかんのおばさんは、台所の換気扇の下まで何度も行っては、煙草をひっきりなしに吸っていた。

 叔父さんは煙草の煙が体質的に苦手なはずなのに、まったく文句を言わないのも変だった。

 それどころか途中から、おばさんにテーブルで吸うことを勧めだして、おばさんも遠慮なく吸い始める始末だった。

 ——あと、そう言えばそうだ。

 みかんのおばさんは、わふなちゃんについて、一体なぜ何も訊いてこないのだろうか?

 娘の幼なじみのぼくが、ずっとその娘に妹がいると思い込んでいたらしいことがわかったにもかかわらず、それがどういうことなのかが気にならないなんて、なんだか奇妙なことのように思えるのだけど……。

 もしかして、それがどうでもいいくらいに、何か大きな心配ごとでも抱えているのだろうか?

 実際注意して見ると、おばさんはじめ、お父さんも叔父さんも、どこかそういう雰囲気をかもしだしているように見えた。

 飲み終わったビール缶の何本かは倒れたままだったし、食べ終わったピザの箱も開いたままだったし、考えてみたら、ここに着いてから、ほとんど誰も、しゃべってさえいないのだ。

 とそんなことを考えていた矢先、お父さんが怖いくらいに眉間にしわを寄せた顔で、独り言のようにこう言ったけれど、その意味まではわからなかった。

るいくん、おれはやはり、闘いたい……」

 ちなみに類とは、叔父さんの下の名前のことだ。

「『恐怖と痛み』を、与えることになりますよ……?」

 叔父さんがなぜか、みかんとぼくをちら見しながらそんな怖いことを言って、お父さんがテーブルの上のこぶしを、ぎゅううっと握りしめた。

 また叔父さんが言った。

「わかってください、雄人ゆうじんさん。こうするのが最善なんです。『ここ』じゃ、逃亡することもできません……」

 ちなみのちなみに、雄人というのは、お父さんの下の名前だ。

 叔父さんは、お父さんが何も言わないことを確認するように少しだけ待ったあとで、テーブルに手をついて立ち上がると、台所の方へよろよろと消えて行った。

 さすがにちょっと、というか相当酔っ払っているようだった。

 でも不思議と帰りはしゃんとした足取りになっていて、その手には、人数分のカップに入っている緑色のゼリーと、プラスチックのスプーンが載ったお盆が持たれていた。

 なるほど、さっき台所で何かをしていたのは、そのゼリーを作っていたということなのだろう。

 とそれはともかく、叔父さんはテーブルに戻るなり、カップをみんなの前にひとつずつ置きながら、妙に明るい声で言った。

「さあ、最後にデザートを食べようか」

「これ、叔父さんが作ったの?」

 どれもなかなか上手に作られたゼリーで、スプーンもそれぞれ袋に入ったものだったけれど、カップがガラスだったり陶器だったりビーカーだったりと、統一されていない点に気が付きながらぼくは尋ねた。

「……そうだよ。最近、お菓子作りに凝っててね」

「へええ」

 叔父さんとお菓子作りをどうしてもうまく結びつけられないぼくだったけれど、それにしても、どうしてデザートだけ手作りなんだろうか?

 叔父さんはお菓子作りの腕を、ぼくらに披露したかったということなのだろうか?

 正直デザートもデリバリーのを食べたかったけれど、まあそういうことならしょうがない。

 思いのほかおいしそうでもあるし、食べすぎたお腹には、ゼリーくらいがちょうどいいし。

 さっそく袋からスプーンを出そうとしているぼくにルキンが言った。

〈それ、食べると死ぬヨ〉

〈え?〉

〈その、グリーンのゼリーだヨ〉

 はたしてどういうことなのだろうとしばらくの間じっと考えているうちに、みかんがスプーンですくったゼリーを、あーんと口に入れようとし始めた。

 ぼくはハッとして立ち上がると、みかんのスプーンを、上からテーブルにはたき落とした。

 みかんが目を点にしてぼくを見た。

「ミズ、ト……?」

「みかん、それ食べたら死ぬって。ルキンが……」

 一瞬訪れた、水銀のように濃くて重い沈黙のあと、

「ははっ、何馬鹿なこと言ってるんだミズトくん。さあ、食べなさい」

 と、テーブルに着いていた叔父さんが言った。

 お父さんとみかんのおばさんは、それぞれのゼリーの表面をじっと見つめたまま何も言わない。

〈大人たちに、ゼリーを勧めるヨ〉

 ぼくはルキンの言葉にしたがって言ってみた。

「……まずは、叔父さんが食べてみて」

「もちろんだよ」

 叔父さんは袋から突き出したスプーンとゼリーの入ったビーカーを持つと、爽やかすぎる笑顔で言った。「一緒に食べようじゃないか」

「……一緒にじゃない。先に食べてみて。そのゼリーが安全だって言うなら」

 また沈黙。

 今度のそれは、さっきのよりもいっそう濃くて重くて、しかもメタルスライム並みに硬かった。

 お父さんとおばさんは、やっぱりゼリーの表面をじっと見つめ続けていて、叔父さんは爽やかすぎる笑顔のまま固まっている。

〈わけを訊くよ。ルキンと関係してるヨ〉とルキンが言った。

〈……わかった〉

「ねえ叔父さん」とぼくは言った。「ここに着いてご飯を食べたら、教えてくれるって言ったよね? ちゃんとわけを話してよ。これってルキンと、関係があるんでしょ?」

 うまく表情を戻せないのか、叔父さんが笑顔のままで訊き返した。「ルキン? さっきも言ってたけど、なんだいそれは……?」

「小さなときから、ぼくのまぶたの裏っかわに住んでる、黒い金魚のことだよ」

 ぼくが言った瞬間、お父さんとみかんのおばさんが、バッと顔を上げてぼくを見て、ようやく笑顔をやめた叔父さんが、スプーンとビーカーをテーブルに置きながら、ごくりと唾を飲んだことが、喉仏の動きではっきりとわかった。

「……頭の中に、金魚がいるのかい?」

「うん。五歳の頃からね」

 ルキンがいないなんて嘘を吐きたくなかったぼくは、叔父さんの質問に正直に、そして正確に告白した。

「……名前を、付けたのかい?」

「うん。みかんが付けてくれたんだ。琉金って響きを元に」

 隠す必要なんてひとつもないと思ったぼくがそう答えて、叔父さんがまた尋ねる。

「二人とも、その金魚の存在を、知ってたんだね……?」

「そうだよ」

「怖くは、ないのかい?」

「全然。友だちだからね」

「友だち、か……」

 やっぱり大人たちは、事情を知ってるんだとぼくは思った。

 叔父さんは背もたれにずるっともたれかかると、白衣のポケットにずっしりと両手を入れて、ふううっと大きめのため息を吐いた。

「わかったよ。どうせなら、すべてを話そう」

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