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 お父さんとみかんのおばさんに地下室に入ってもらい、ルキンがQUAを地下室の天井と壁と床の一面に流したあとで、ぼくたちは出発した。

 ビートルはいざというとき、お父さんが使えるようにと家に残していくことにして、叔父さんは自慢のサイドカー付きの古いからし色のオートバイ——ハーレーダビットソンで、ぼくとみかんは、全長四メートルくらいの、黒いアオザメの姿に具現化したルキンに乗って。

 ちなみになぜアオザメなのかと言うと、アオザメがサメの中で、一番速く泳げるサメだからということだった。

 ちなみのちなみに、ハーレーにみかんとぼくが乗らなかったのは、いくら酔ってないとは言っても、叔父さんはたくさんお酒を飲んでるわけだから、事故を警戒してのことで、逆に叔父さんがルキンに乗らなかったのは、やっぱりいざというときに乗り物があった方がいいし、三人が乗れるほどルキンに大きくなってもらったら、無駄に目立つからという理由で、そうしないことにしたのだった。

 とそれはそれとして、ぼくはルキンのQUAが心配だったけれど、QUAは回復するものだし、みかんとぼくを乗せて移動するくらいなら全然大丈夫よ、ということだったから、安心して出発した。

 あとはそう、ルキンの存在をもしも誰かに見られたり、万が一警察に止められたとしても、ぼくらには、正規軍というバックボーンがついているのだ。

 いくら火星のほとんどの基地が乗っ取られてしまったとは言え、警察や政府までもが乗っ取られてしまったわけでは全然ないのだ。

 むしろ今は、彼らはぼくらの味方なのだ。

 だからなんの問題もない。

 そうして叔父さんのサイドカー付きのハーレーと、ぼくとみかんが乗ったアオザメ型のルキンは、ハーレーを先頭に、斜めに並んで夜の火星を疾走した。

 ちなみにぼくは、ルキンの背中の真ん中に位置する背びれのすぐ前にまたがって、片手で後ろの背びれをつかみ、みかんはその背びれのすぐ後ろに横向きに乗って、背びれに回した両手を背びれごと、ぎゅっと握り合わせている格好だった。

 でも本当はそんな風にしなくても、落ちる心配はないということだった。

 ルキンいわく、このわたしがマスターと名付け親を落とすわけがないでしょう、ということだったからだ。

 あと細かいことだけれど、ルキンの硬くてザラザラとした黒い肌も、ルキンがQUAを軽く表面に流してくれたおかげで、触っても大根おろしのようにすりおろされるどころか、まったく痛くさえもなくて、むしろ気持ちがいいくらいだった。

 そして移動中、みかんとぼくは、話をした。

 話題は主に、みかんのまぶたの裏っかわに住んでいる、巻き貝のことについてだった。

 ぼくらはお互い同じ能力を持っているせいか、声に出さないまま、ルキンとテレパシーで話すようにして、叔父さんには内緒でこっそりと話すことができたのだ。

〈みかんの巻き貝って、いつからまぶたの裏に住んでたの?〉

〈多分、幼稚園くらいのときからかな〉

〈へええ、そんなときからなんだ。でもそう言えば、貝殻みたいなぐるぐるが見えるって言ってたもんね。しゃべったりはしないの?〉

〈うん、今のところは〉

〈急にしゃべるかもね。ルキンもそうだったし〉

〈そうかもね〉

〈怖かったりはしなかった?〉

〈大丈夫だったよ。気が付けばそこにいたから、当たり前だったし。それにほとんど最近まで、『いる』って思わなかったから〉

〈そっか、そうなんだ〉

〈うん。しかも気が付いた今は、なんかこう、あったかい感じがしてるくらい。たのもしいっていうか〉

〈実際たのもしいもんね。あの首長竜とモササウルスの歯を折っちゃったくらいだし、レヴィだって入ってこれなかったし〉

〈あのシールドは、あらゆる物質の中で、最強の硬さなのよ。あの核パスタよりも硬いとされているの〉

 とそこで会話に加わってきたルキンにぼくは尋ねる。

〈核パスタ? 食べ物じゃないよね?〉

〈似てるのは見た目だけ。パスタ状に情報が配列されている、宇宙一硬い物質よ〉

〈そうなんだ。じゃああのシールド、ルキンでも噛めないの?〉

〈わたしは味方だから通り抜けられるけど、敵だったら無理ね。コーティングしたQUAだったら力次第で噛み破れるけれど、みかんのシールドは、元々が硬いだけじゃなく、力を相殺する循環反粒子が表面に使われているために、まず不可能よ〉

〈力をソーサイする、ジュンカンハンリュウシ?〉

〈理解できないくらい硬いって解釈でOKよ〉

〈わかった。そうする〉

 素直ないい子ね、となんだか先生のような口調で言ったあとにルキンが続ける。〈——そう言えば、あのシールドには、他にも機能があったはずよ〉

〈機能? 機能ってどんな?〉

〈それが思い出せないのよ〉

〈そうなの?〉

〈言ったわよね? 主観的言語能力が完全に覚醒するには、二十四時間かかるって〉

〈あー、そういうことか。それで具現化法も言えなかったんだもんね。でも、そんな風には見えないけどね?〉

〈見た目じゃわからないし、大事なことは、たいてい遅れて思い出すものなのよ〉

 と、話はなかなかに盛り上がったのだけど、そこで言葉に詰まってしまったぼくだった。

 一瞬わふなちゃんのことをみかんに訊こうと思って、とまどってしまったのだ。

 もしかしたらテレパシーで話しているせいで、考えがもれてしまったのだろうか?

 奇遇にもみかんの方から、わふなちゃんのことを話し始めた。

〈あのねミズト、聞いてくれる?〉

〈もちろん〉

〈……わふにね、いじめられてたのは、ほんとだよ〉

〈そっか〉

〈はじめて会った三歳のときからわふ、わたしと二人のときには、大人の言葉でしゃべってたし、煙草も吸ってた。なんでお金持ってたのかとか、どこに住んでたのかとかは、全然わからないんだけど〉

〈……そっか〉

 大変だったね、とか、怖かったね、とかは、ぼくには言えなかった。

 なんだか簡単にそんなことを言っては、いけないような気がして。

〈でもわたしね〉とみかんが続ける。〈わふ——レヴィが悪い存在だって、どうしても思えないんだ。っていうのもね、小さな子どもみたいに見えてたときのわふって、大人のわふが演技してるんじゃなくて、本当の子どもみたいだったし〉

〈そうなの?〉

〈うん。しかもそのときのわふも、なんだか脅されてるような、強引に操られてるような感じがしてたっていうか……〉

 確かにレヴィだと発覚する前の、ぼくの記憶の中のわふなちゃんは、どれも子どもの演技をしているようにはまったく見えなかったし、どことなく、いつも何かに怯えているような印象があった。

〈それ、ちょっとわかるかも〉

〈よかった〉と言ってみかんは続ける。〈それに、さっき類おじさんから聞いたレヴィの言うことが、全部本当のことだったとしたら、むしろ悪いのは、わたしたちの神さまじゃないかって気がするし……〉

 うん、とぼくは答えた。

 みかんもそう思っていたのだ、と思いながら。

〈それにやっぱり〉とみかんは続ける。〈身体を返してあげたいし。持ち主に〉

〈そうだね〉

〈ねえミズト、何か、方法はないのかな? レヴィと、闘う以外の〉

〈え?〉

〈だって闘ったら、わふの身体を傷付けちゃうでしょ? 傷付けたら、返せなくなるかもしれないでしょ?〉

 そんなことを考えてもいなかったぼくは、ついルキンに話を振ってしまった。

〈……あー、そっか。ルキンは、どう思う?〉

 さらりとルキンは答えてくれた。

〈類が言ったでしょう。レヴィは、死なないのよ〉

〈それって、思いっきり闘えってこと?〉

〈それくらいは自分で考えなさい〉

〈とか言って、うまく説明できないだけなんでしょ。例の二十四時間ルールで〉

〈さあ、どうかしらね〉

〈わかってるなら、ヒントだけでもちょうだい〉

〈ヒント、ヒント、ね。人間は、壊さずにはいられない存在よ。でも、それだけじゃない。こんなところね〉

〈ごめん、ますますわかんないんだけど〉

 とそこでみかんが、くすっと笑った。

〈でもわたし、ちょっとわかった気がするかも〉

〈じゃあどうすればいいの?〉ぼくは尋ねた。

〈そこまではわかんないけど、ただ、もうちょっと考えてみたら、いい答えが出そうな気がしてるんだ。だからフットと一緒に、もっとよくそうしてみる〉

〈ごめん、フットって?〉

〈わたしたちを守ってくれた、貝のことだよ〉

〈あー〉どうやらみかんは、あの巻き貝に名前を付けたようだ。〈でも、どうしてフット?〉

〈わかんないけど、ふっと思い付いたから?〉

 逆に尋ねてきたみかんに、ルキンが答えてくれた。

〈みかんのシールドのベースになった貝の別名は、スケーリーフットっていうのよ。だから遠からずってところね〉

〈へー、そうなんだ〉と言ったのは、誰でもないみかんだった。

 つまり偶然にも一致した名前にしたというのは、いわゆる女の勘というやつだろうか?

 なーんて思ったりもしたけれど、それは言わないで違うことをぼくは尋ねる。

〈でも一緒に考えるって、しゃべれないフットと?〉

〈うん。確かにフットはしゃべれないけど、なんだかそうすれば、ちゃんとした答えが出せそうな気がするから〉

〈そっか。じゃあぼくもちょっと、考えてみるよ〉

〈うん〉

 そのあとは、特に何を話すでもなく、ぼくらは叔父さんのハーレーについて行った。

 人工大気によって温度調節されているとは言え、夜もちゃんと暑い火星の夜の空気を、全身に浴びながら。

 ぼくがルキンの背びれをつかんでいる指の背に、ほんの少しだけ触れている、背びれに回されたみかんの腕の内側を、そこはかとなく感じながら。

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