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   ⌘


「まずい『オヤツ』だ」

 下敷きサイズの牙をバラリと落としながら、ついに具現化したブラック・ルキンことルキンはこっちを向いてそう言うと、巨大すぎるその口をアムアムと動かして、ピッと二本の何かを地面に吐いた。

 それはみかんの肘から先の、両腕だった。

 先に落ちた牙の方は、薄くなりながら掻き消えたけれど、みかんの両腕は、確かにその場所に残っていた。

「ミズト、付けてやれ」ルキンが言った。

「え、くっつくの……?」

「QUAでな。今ならまだ間に合うだろう。急げ」

「わかった」

 ぼくは怖い気持ちを、うれしい気持ちで抑え込みながらルキンの前まで移動すると、みかんの腕を拾い上げて、地面に座っているみかんの元に戻ってあぐらをかいた。

 それから四つの切り口を、急ぎながらも慎重に重ね合わせる。

「どうだ?」ゆっくりと近づいてきたルキンが尋ねる。

「ぼんやり光りながら、くっついてる……!」

 みかんと目を合わせながら、ニカッと笑い合っているぼくにルキンが続ける。

「間に合ったようだな——よし。次は、金魚鉢を貸せ」

「金魚鉢?」

「グローブに挟んで持ってきただろう。持ってこい」

「でも、みかんの腕が……」

「一度付けばだいジだ。早くしろ」

「わかった、ちょっと待ってて」

 ぼくはみかんの腕からそっと両手を放すと立ち上がり、グローブを捜し始めた。

「どこいったかな——あ、あった!」

「ふたを開けて、オレさまの口の前に置け」

 ぼくはタコ糸を歯で噛みちぎって、グローブから金魚鉢を出すとふたを外し、戦艦の先っぽのようにも見える、ルキンの尖った鼻の下に置いた。

「置いたよ」

「外したら、ミズトが入れろ」

 ルキンはそう言うと、ピッとまた吐いた何かを、全然外すことなく、金魚鉢の中に入れた。

 それは一匹の、小さな魚だった。

「フナ……?」

和金わきんだ。さっきの三下——ホオジロだ」

「これが?」

「QUAを抜き取ったからな、もう何もできん。ただし、ふたはしておけよ。逃げ帰られても面倒だ」

「わかった」

 ぼくは金魚鉢にふたをすると、何歩か斜めに下がったあとで、地面すれすれに浮いているルキンを見上げた。

 全長が多分二十五メートルプールくらいもある、上半分を真っ黒に塗りつぶしたホオジロザメによく似ている、その巨大すぎる巨体を。

 さっきの攻撃のときに、ルキンが黒い霧を全部吹き飛ばしてくれたおかげで、はっきりとその姿を見ることができていた。

「……ねえ、君は、ルキンなんだよね?」

 いまだに信じられない気持ちでぼくが尋ね、ルキンが応える。

「他に誰がいるというのだ?」

「まさかルキンが、あの伝説の、ブラック・デーモンだったなんて……」

「それは過去の名前だ」とルキンは言った。「言ったはずだぞ? オレさまは、ブラック・ルキンだと」

「ごめん、そうだったね」えへへっとぼくは笑った。

「まあブラックは、冗談だがな」

「ううん、でもかっこいいよ」力を込めてぼくは言った。「それにしても、どうやって具現化したの?」

「オレさまじゃない、ミズトがしたのだ」

「ぼくが? どうやって?」

「具現のトリガーは、ミズト、お前の眼窩がんかから溢れ出た、液体だったのだ」

「えっと、涙、が……?」

「そう、涙。TEARS。人間だけが育み流す、感情と肉体を結ぶ、透明な液体。我々の、終の住処」

「ついの……」

「だが、ただのTEARSではダメだ。そこに他者を想う、HEARTがなければな」

「……そうなんだ」

「それよりもミズト、ハイドと言え」

「え? はいど?」

「いいから言ってみろ。ハイドだ」

「えっと、『ハイド』」

 ——ぼくがそう言うと、ルキンはみるみるうちに小さくなって、いつもの黒い出目金に戻った。

 と同時に、ぼくの目に向かって尻尾を振って泳ぎながら、透明になってふっと消えた。

「ルキン?」

〈だいジ。ちゃんとハイドしたヨ〉

「ハイドって?」

〈ルキンをまぶたの裏に、潜らせることだヨ〉

「そうなんだ。次出るときには、また泣かなきゃならないの?」

〈ミチができたから、次からは、⌘《コマンド》で出れるヨ〉

「コマンド?」

〈命令だよ。そのときは、出てって思いながら、エキジットって言うヨ〉

「エキジット……それ、さっきの男の人も言ってたね。どういう意味?」

〈『上がる』って意味だヨ〉

「へー」ぼくは言った。「でもルキン、急に色々わかるようになったね?」

〈グーゲンカできて、思い出したんだヨ〉

「そういうものなんだ」

〈だヨ〉

 まばたきをした瞬間、尻尾を振っているルキンが見えた。

〈さあ、ゴーホームだヨ〉

「うん、だね」とルキンの言葉にぼくは応える。「みんなで帰ろう」

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