1ー18
⌘
「まずい『オヤツ』だ」
下敷きサイズの牙をバラリと落としながら、ついに具現化したブラック・ルキンことルキンはこっちを向いてそう言うと、巨大すぎるその口をアムアムと動かして、ピッと二本の何かを地面に吐いた。
それはみかんの肘から先の、両腕だった。
先に落ちた牙の方は、薄くなりながら掻き消えたけれど、みかんの両腕は、確かにその場所に残っていた。
「ミズト、付けてやれ」ルキンが言った。
「え、くっつくの……?」
「QUAでな。今ならまだ間に合うだろう。急げ」
「わかった」
ぼくは怖い気持ちを、うれしい気持ちで抑え込みながらルキンの前まで移動すると、みかんの腕を拾い上げて、地面に座っているみかんの元に戻ってあぐらをかいた。
それから四つの切り口を、急ぎながらも慎重に重ね合わせる。
「どうだ?」ゆっくりと近づいてきたルキンが尋ねる。
「ぼんやり光りながら、くっついてる……!」
みかんと目を合わせながら、ニカッと笑い合っているぼくにルキンが続ける。
「間に合ったようだな——よし。次は、金魚鉢を貸せ」
「金魚鉢?」
「グローブに挟んで持ってきただろう。持ってこい」
「でも、みかんの腕が……」
「一度付けばだいジだ。早くしろ」
「わかった、ちょっと待ってて」
ぼくはみかんの腕からそっと両手を放すと立ち上がり、グローブを捜し始めた。
「どこいったかな——あ、あった!」
「ふたを開けて、オレさまの口の前に置け」
ぼくはタコ糸を歯で噛みちぎって、グローブから金魚鉢を出すとふたを外し、戦艦の先っぽのようにも見える、ルキンの尖った鼻の下に置いた。
「置いたよ」
「外したら、ミズトが入れろ」
ルキンはそう言うと、ピッとまた吐いた何かを、全然外すことなく、金魚鉢の中に入れた。
それは一匹の、小さな魚だった。
「フナ……?」
「
「これが?」
「QUAを抜き取ったからな、もう何もできん。ただし、ふたはしておけよ。逃げ帰られても面倒だ」
「わかった」
ぼくは金魚鉢にふたをすると、何歩か斜めに下がったあとで、地面すれすれに浮いているルキンを見上げた。
全長が多分二十五メートルプールくらいもある、上半分を真っ黒に塗りつぶしたホオジロザメによく似ている、その巨大すぎる巨体を。
さっきの攻撃のときに、ルキンが黒い霧を全部吹き飛ばしてくれたおかげで、はっきりとその姿を見ることができていた。
「……ねえ、君は、ルキンなんだよね?」
いまだに信じられない気持ちでぼくが尋ね、ルキンが応える。
「他に誰がいるというのだ?」
「まさかルキンが、あの伝説の、ブラック・デーモンだったなんて……」
「それは過去の名前だ」とルキンは言った。「言ったはずだぞ? オレさまは、ブラック・ルキンだと」
「ごめん、そうだったね」えへへっとぼくは笑った。
「まあブラックは、冗談だがな」
「ううん、でもかっこいいよ」力を込めてぼくは言った。「それにしても、どうやって具現化したの?」
「オレさまじゃない、ミズトがしたのだ」
「ぼくが? どうやって?」
「具現のトリガーは、ミズト、お前の
「えっと、涙、が……?」
「そう、涙。TEARS。人間だけが育み流す、感情と肉体を結ぶ、透明な液体。我々の、終の住処」
「ついの……」
「だが、ただのTEARSではダメだ。そこに他者を想う、HEARTがなければな」
「……そうなんだ」
「それよりもミズト、ハイドと言え」
「え? はいど?」
「いいから言ってみろ。ハイドだ」
「えっと、『ハイド』」
——ぼくがそう言うと、ルキンはみるみるうちに小さくなって、いつもの黒い出目金に戻った。
と同時に、ぼくの目に向かって尻尾を振って泳ぎながら、透明になってふっと消えた。
「ルキン?」
〈だいジ。ちゃんとハイドしたヨ〉
「ハイドって?」
〈ルキンをまぶたの裏に、潜らせることだヨ〉
「そうなんだ。次出るときには、また泣かなきゃならないの?」
〈ミチができたから、次からは、⌘《コマンド》で出れるヨ〉
「コマンド?」
〈命令だよ。そのときは、出てって思いながら、エキジットって言うヨ〉
「エキジット……それ、さっきの男の人も言ってたね。どういう意味?」
〈『上がる』って意味だヨ〉
「へー」ぼくは言った。「でもルキン、急に色々わかるようになったね?」
〈グーゲンカできて、思い出したんだヨ〉
「そういうものなんだ」
〈だヨ〉
まばたきをした瞬間、尻尾を振っているルキンが見えた。
〈さあ、ゴーホームだヨ〉
「うん、だね」とルキンの言葉にぼくは応える。「みんなで帰ろう」
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