2ー14


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 ぼくらはボロボロになった部屋の簡単な清掃をしたり、おばさんの介抱をしながら、ソファーに寝かせた叔父さんの回復を待ったあとで、叔父さんから話を聞いた。

 ぼくらの命を救ってくれた、円いテーブルをさっきのようにみんなで囲みながら。

 ちなみにおばさんは、叔父さんから借りた黒いデニムにスカートを穿きかえていて、ルキンもみかんのシールドも、ハイドさせた状態だった。

 はじめ、どうすればシールドをしまうことができるのかわからなかったけれど、ルキンの提案で、ハイドとみかんに言ってもらったら、問題なくシールドを格納することができた。

 また発動させたいときは、エキジットと言えばいいということだった。

「かつて火星は、豊かな自然と思念しねんに満ちた、穏やかな星だったようだ」と、台所から持ってきた丸椅子に座って叔父さんは話し始めた。

「思念?」と思わずぼくは訊き返した。

「言うならば、意識の塊だよ。科学的に言うなら、高次元に生きるウイルスのような存在かな。宗教的に言い換えるなら、神というところだろう。火星はその神に見守られている、平和な星だったようだ。神以外に知的な存在がいないために、争いも生じなかった。存在する生命は原始の植物だけで、動物はいなかった。今から約二十億年前の話だよ。そこへある日、太陽系の果てにある、オールトの雲と呼ばれる氷の天体群から、もうひとつの思念——地球の神が、彗星に乗ってやって来た。はじめ火星の神は、自分たちとは違う神を歓迎した。種さえ違えど、マクロな視点ではどちらも同じ、より大きな神の子だと考えたからだ。しかしその後……」

 ふっと考え込むように黙った叔父さんにぼくは尋ねる。

「もしかして、火星を侵略したの? 地球の神さまが?」

「いや」と、静かに叔父さんは答えた。「むしろそっちの方が、すっきりしていてよかったかもしれない」

「……じゃあ、何があったの?」

 叔父さんは複雑な表情でまた話し始めた。

「火星の神と地球の神にはね、決定的な違いがあることが判明したんだよ。それは『目的』の違いだった。火星の神の目的は、安定と調和だったけれど、地球の神の目的は、『進化』だったんだ。太陽系の惑星に豊富に存在する、物質を伴う生命の進化。それはすなわち、思念と思念、そして物質と物質とを衝突させる争いの道であり、おれたち『人間』の誕生こそが、最終目標だったんだ。そうして地球の神は、人間原理という原理を設定し、その原理の下に、自分の分身として、思念と物質を理解して操り、競わせる存在である、人類という自らの化身、つまり、おれたちの誕生を試みたんだ」

 叔父さんはそこで短い息を吐いた。

「だがそれはここ、火星ではうまくいかなかった。火星でのおれたちを作る『実験』は、失敗に終わったんだよ。まるまる十億年以上かけて、一度はそれらしきものを作れたが、それは今でいう軟体動物のような生体で、環境に適応できないままに、環境を破壊しながら、ほどなくして滅ぶことになった。その際に火星の濃い大気は使い尽くされ、緑は根絶やしにされ、可能性に満ちた海は地中に染み込み、絶対に溶けることのない氷と化した。しかしそこには皮肉にも、『学び』があった。そこで地球の神は、あきらめることなく、新たな月という船を創り、火星よりもひとつ太陽系の内側にあった、より重力が強く、エネルギーに満ちた惑星、つまりはそう、おれたちの故郷である、第三惑星の地球を目指した。そしてそこで、文字通り身を粉にした、新たな実験を開始したんだ。その具体的な方法は、自身の存在を分裂させて作ったさまざまな種の生命を、さらに雌雄しゆうに分裂させて、寿命と死を与えるという方法だった。それまでにあった生命は、いずれも種が極めて限られていて、性別もなく、死ぬこともなかったんだが、地球での神は、その反対の方法をとったんだ。そうすると個々の生体は弱くなるが、マクロな視点で見れば、多種のおかげで絶滅の可能性を大幅に下げることができるし、雌雄によりよい血を選び合わさせれば、免疫力を高めつつ、人類まで進化する可能性とスピードを、可能な限り上げることができると判断したためだ。そうして地球の神は、火星で得た教訓を生かし、およそ六億年という時間をかけて、ついにおれたち人類という、自らの化身を生み出すことに成功したんだ」

 そこでふうっと静かなため息を吐いた叔父さんにぼくは尋ねる。

「火星の神さまは、どうなったの?」

 叔父さんが悲しそうな目でぼくを見た。

「火星での実験の際に、問答無用に引きちぎられて、知的生命誕生の素材として、利用されてしまったようだ」

「……殺されたの?」

「いや、神は死なない。だがそれは、死にも等しい扱いだったようだ。生命で言うならば、舌と手足を奪われ、辺境の地に幽閉されたようなものだからね」

「ずい分悪いことをしたんだね、ぼくたちの神さまは……」

「……そのようだね。しかもたちの悪いことに、今やそれが、おれたちにもすっかり染みついてしまっている。進化と言えば聞こえはいいが、実際におれたちがやってきたことは、虐殺と支配でしかないし、哀しいかな、肉体——遺伝子レベルでもまったく同じことで、今この瞬間さえも、それを繰り返してる。老いた細胞は日々若い細胞にとって代わられているし、一個の生命の始まりの瞬間からして、途方もない数の命を犠牲にした、激しい競争で始まっているんだからね。おれたちはそんな、競わずには存在しえない存在になってしまってるんだ……」

 叔父さんは言葉を濁したけれど、ぼくには、『精子』のことを言っているのがちゃんとわかった。

 ぼくの記憶が確かならば、赤ちゃんになるために必要な精子はたった一匹だけど、その一匹のために、だいたい三億匹の精子が犠牲になってしまうのだ。

 そしてその精子はどれも、おのおの独立して生きている存在なのだ。

 そう、ぼくたちは誰もが、ひとりの例外もなく、三億もの命を殺した上で、この世に生まれてきているのだ。

 いつかの保健体育の授業のときに先生が言っていた。

 しかも、と叔父さんは続ける。「そこで話は、終わらなかった。人類はその進化の最果てで、皮肉にも、ここ火星に再進出した。のみならず、QUAという根源的なエネルギーにまでたどり着いてしまったんだ。そしてさらに皮肉にも、そのQUAは、火星と地球の神の、最初の姿と酷似しているものだった。QUAは高次元エネルギーであり、意識であり、物質であり、次元をつなぐ、『トンネル』でもあったんだ。そうして人類はそのトンネルを通じ、集合的無意識の最下層にある、意識の塊にたどり着いた。かつて地球の神が幽閉した、火星の神という思念にね。そしてくしくもその神を、甦らせることになった。奪ったはずの舌と手足を、QUAで再生させる形において。のみならず、人類の文明をも提供する形において。そうして復活した火星の神は、おれたち人間と、現実的なコミュニケーションを取ることができるようになってしまったんだ」

「具体的には、どうやったの?」とぼくは尋ねた。

「はじめにわふなちゃんという名でミズトくんが呼んでいた、あの少女レヴィの身体を手に入れたんだ」

「じゃあレヴィが、火星の神さまなの?」

「ああそうだ。火星の神は、レヴィという名の、半人半妖のクアットマスターとして、現代に蘇ったんだよ」

「……その、レヴィの目的はなんなの?」とまたぼくは尋ねる。

「レヴィ自身も言っていた通り、復讐だ。地球の神の末裔である、人類への。皮肉にも、おれたちが生み出してしまった、QUAとクアットを使ってのね」

 ぼくは、何も言えなかった。

 なぜならレヴィの気持ちの方に、正義があると思ってしまったからだ……。

 その点を考えたくなくて、違う話題をぼくは振った。

「でも、レヴィは一体どうやって、あの女の子の身体を手に入れたんだろう。人間の身体を取ったの? それとも、誰かに作られた存在なの?」

 けれど叔父さんは、ぼくの疑問に答えてはくれなかった。

 と。椅子から立ち上がったお父さんが、ぼくとみかんに、一回席を外してほしいと頼んできた。

 どうやら大人たち三人だけで、話したいことがあるようだ。

 おばさんの足の件があるから、ぼくらに移動を頼んできたというわけだ。

 それでぼくとみかんは、大人たちの話が終わるまで、地下の研究室にいることになった。

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