3-13
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門をくぐり、玄関ドアを開けて中に入ろうと思ったけれど、そうする必要はなかった。
まばたきを一度した直後、ぼくはすでに家の中に入っていて、なぜか低い目線から、葬式のようすを眺めていた。
黒い額縁に入っている、白黒のお母さんの写真の前で、黒い服を着たみんなが、啜り泣いているようすを、じっと。
と。たったひとりだけ、叫ぶように泣き続けている、多分三歳くらいの、男の子の声に気が付いた。
でもいくら見回しても、その子の姿は見えなかった。
それも当然のことで、その子とは、誰でもない、ぼく自身だったからだ。
気が付けばぼくは、小さい頃のぼくになって、懸命に泣き喚いていた。
そしてそんなぼくのすぐそばには、痩せている背の高い男の人が立っていて、ぼくの背中を片手で抱き寄せながら、何かに耐えるように、じっとうつむいたまま動かなかった。
その男の人は、若い頃の、お父さんだった。
お父さんって、こんなに痩せてたんだ……。
泣き喚いている頭の片隅で、冷静にそうぼくは思ったけれど、延々と泣き喚いているうちに、そのときのことをだんだんはっきりと思い出してきて、悲しくて悲しくて、ついに立っていられなくなって、目の前のお父さんの足にしがみついた。
——そう、ぼくはお母さんのことを、ちゃんと覚えていたのだ。
そしてこんなにも泣いてしまうくらい、いなくなったお母さんのことが、大好きだったのだ。
そう思いながら、またまばたきを一度した、直後だった。
部屋のようすが一瞬で変わっていて、今度のぼくは、居間のローテーブルの前に座って、その上に載っていた、丸くて白いケーキに刺さりながら燃えている、四本の蝋燭を見つめていた。
眉間にしわを寄せながら、まったくうれしくなんてなさそうな顔で。
それはお母さんがいなくなってから、はじめての、ぼくの誕生日だった。
そしてぼくは、その表情の通り、まったくうれしくなんてなかったのだ。
それどころか、ケーキと蝋燭を見つめているうちに、いつだったかお母さんに、ケーキを食べさせてもらったことを思い出して、しくしくと泣き始める始末だった。
そうして泣き続けているうちに、まただんだんそのときのことをはっきりと思い出してきて、ぼくはまたしても泣き喚き始めた。
とそこでまた、一度まばたきをした、直後だった。
そこはさっきと同じ居間だったけれど、今度のぼくは、そこにあるテレビで、録画したアニメ番組を、パジャマ姿のまま、膝を抱えながらひとりで観ていた。
夕暮れどきで、窓からは西陽が射し込んでいた。
柱にかかっている日めくりカレンダーの色で、日曜日だということがわかった。
——そう、そうだった。
ぼくはお母さんがいなくなってから、外へ遊びに行くことに、意味を見いだせなくなっていたのだ。
かろうじて幼稚園へは、行っていたというか、無理矢理行かされていたのだけど、それ以外の時間は、そうしてアニメをひとりで、延々と観ていたのだ。
そしてそれは、いつかお母さんと一緒に観た、花咲かじいさんのアニメだった。
それを観ていれば、お母さんが戻って来るのではないかと思ったし、お母さんのことを、思い出すことができたからだ。
笑顔のおじいさんが、
そのさまが、一度まばたきをする毎に繰り広げられた。
けれどいつからか、ぼくはまったくの無表情で、画面を観るだけになっていた。
まったく何も考えないまま、感じないまま、ただ機械的に両目を開けて、画面の中で動く、笑顔のおじいさんを観続けていた。
あたかも画面の中の、枯れ木になってしまったようだった。
とそこでまた、一度まばたきをした直後に風景がパッと切り替わり、今度のぼくは、洋服を着たヘルパーの人に、お風呂に入れてもらっている最中だった。
でも、背中をピッタリと壁にくっつけて、ヘルパーの人を困らせていた。
またお母さんのことを、思い出していたのだ。
ぼくは、お母さんと一緒にお風呂に入ることが、大好きだったのだ。
泡まみれのスポンジで、背中をごしごしと洗ってもらうことが、大好きだったのだ。
だからよく知らない人に、背中を洗ってなんかほしくなかったのだ。
そうしてぼくは、壁に背中をピッタリとくっつけながら、空いている浴室の窓を、ぼんやりと見上げていた。
それは昼間で、空はぴかぴかだったけれど、ぼくの心には、なんにも訴えてはこなかった。
お母さんがいなくなった悲しさに感情を使いすぎて、心が空っぽになってしまっていたのだ。
それにしても、どうしてぼくは、それらのことを、忘れていたのだろうか?
幼い頃の、記憶だからだろうか?
そうかもしれない。
けれどぼくには、確信があった。
ぼくはあまりにもお母さんが大好きだったから、お母さんを失った悲しみに耐えるために、無意識にお母さんとの記憶を、抹消してしまっていたのだ。
持っていた感情を、すべて使い果たして。
新たな感情が湧き出てくる、心の奥にある扉を、がっちりと封印して。
ぼくがはっきりとそのことを理解した、次の瞬間だった。
また一度まばたきをした拍子に、風景がパッと切り替わり、今度のぼくは、緑色のシートの引かれた、小さな会場内に立っていた。
ズラリと並んだパイプ椅子で作られている、通路の真ん中に、幼稚園の冬用の制服を着て。
制服は白いシャツに、黒いブレザーと半ズボンというもので、外用の黒い丸帽子も被っていた。
そしてそのぼくのすぐ傍らには、毛先がウェーブがかった長くて黒い髪型をしている、首に真珠のネックレスを巻いていて、白くて綺麗なドレスを着た女の人が屈んでいて、ぼくの手を握っていた。
お母さんだった。
「おかあさん!」
あまりのうれしさに、泣きながら抱きついたぼくを、お母さんはぎゅっと抱きしめてくれた。
「思い出せた? お母さんが、大好きだったこと」
「うん!」
「本当の、悪者のことも?」
「ほんとうの、わるもの……?」
「あそこにいる、深海みかんよ」
こぶしで涙を拭いながら振り返ると、その先には、同じ冬用の幼稚園の制服を着て、丸帽子を被っている、みかんが立っていた。
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