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   ⌘


「指揮は、実戦経験のあるわたしが取ろう。かまわないか?」

 お父さんの提案に、叔父さんは頷いた。

「お願いします」

「よし、ミズト。そのルキンとやらを一度見せてくれ。できるか?」

「うん、お願いしてみる」

 ぼくはルキンに、エキジット、と言って、ルキンを具現化してみせた。

 うまくいくか不安だったけれど、ちゃんとできたようだ。

 ぼくの目元から透明になったルキンが、ふわふわの尻尾を振りながら飛び出した。

 かと思うと、ぼくの身体を下方向に旋回しながらだんだんと大きくなって、足元に泳ぎつく頃に、人間の大人と同じくらいの大きさの、黒いホオジロザメ——ではなく、なぜかシュモクザメ《ハンマーヘッド・シャーク》と呼ばれる、頭部がハンマーの形をしているサメの姿になった。

「あれ、なんでハンマーヘッド?」ぼくはルキンに尋ねた。

「わたしには、すべてのサメの遺伝子が組み込まれているのよ」と中性的ではあるけれど、低めの声でルキンが応える。「そしてこのサイズでは、このサメが一番機能的なの」

「そうなんだ。小さいのはなんで?」

「家を壊してもいいのなら、大きくなるわよ?」

「あそっか。じゃあ今はそのサイズでお願い——って、なんで『おねえ』さん口調なの……?」

「それも大きさによって変わるのよ。琉金のときだって、違うしゃべり方でしょ? 文句あるの?」

「ないけど、なんだかゾワゾワするっていうか……」

「すぐに慣れるわよ」

「こ、ここまで流暢にしゃべれるのかい……?」

 のけぞりながらそう尋ねた叔父さんに、得意げにぼくは答える。

「うん。頭の中にいるときは子どもみたいで、おっきくなると、大人の男の人みたいなしゃべり方だけど、頭のよさ自体は、いつでも変わらない感じかな。ただ二十四時間経たないと、上手に言えないこともあるみたい」

「二十四時間……確かに新規精製されたクアットが完全自立するには、それだけの時間が必要だ」と叔父さんは言った。「それで、言うことは聞くのかい……?」

「ミズトのだけね」と、今度はルキンが答えてくれた。

「そうなのか……ノイ姉ちゃんたちがあれだけ頑張ってもコントロールできなかったっていうのに……ミズトくんの中に長年幽閉されていたのが、功を奏したということなのか……。しかし、ここまで言語能力が高いとは、知能も相当なもののはずだ。少なくとも完全にIQ100を超えているぞ……」

 叔父さんは目を丸くしっぱなしのままそう独りごちると、ルキンに尋ねた。「身体のサイズを意志で、変えられるんだね……?」

「類、あなたさっき、何を聞いていたの?」

 ルキンに名前を呼ばれた叔父さんは、怖がっているような、喜んでいるようなよくわからない表情で、ルキンの前に片膝をついた。

「……そうだね、これは失礼。ところでルキンさん。最大だと、どれくらいまで大きくなれるんだい?」

 ルキンがブルンッと一度、背びれから後ろをしならせた。

「QUA次第で、いくらでも。ところで類、『さん付け』はやめるべきね。噛み殺されたくないのなら」

「……わかった、すまない。ちなみに、最小サイズは?」

「ツラナガコビトザメと同じサイズよ。見た目もね」

 ちなみに、ツラナガコビトザメとは、世界で一番小さなサメのことだ。

「じゃあ約二十センチというところか」

 叔父さんが言って、ルキンが応える。

「ただし、そうしようと思えば、幼体にもなれるわよ。生まれた瞬間のサイズにも」

「なるほど。そうすると原理上、卵細胞レベルまで小さくなれるということか。具現化していられる時間は?」

「QUAを抑えれば、半永久的に。全開放すれば、QUAが続く限り。今の姿だったら、戦闘していられるのは、数時間というところね」

「正確にはわからないのかい?」

 ルキンが挑発するようにくるりと身体を回転させて、白いお腹と、牙まみれの半開きの口を叔父さんに見せた。

「あなたで測ってみる?」

「……はは、ユーモアも備えているようだね。それで、欠乏したQUAは、何から補充するんだい?」

「金魚まっしぐらよ」

「金魚まっしぐら……?」

 叔父さんが神妙な顔で尋ね返して、思わず目を合わせたみかんとぼくは、声を出さないままにきししっと笑い合った。

 ルキンはちゃんと、覚えていてくれたのだ。

「と言うのはほんの冗談で、マスターの個人的無意識並びに、TEARSよ」

 うつ伏せの状態に戻りながらルキンが言った。

「そうなんだ?」と、つい訊いてしまっていたのはぼくだった。

「ええ」とルキンが答えてくれた。

 テーブルに着いたままのみかんのおばさんは、あからさまに怖がっていたけれど、叔父さんの顔は、外国のカブトムシでも前にした少年のように輝いている。

 もっと言うと、お父さんの顔もそうだった。

 って、少年のぼくが言うのも変なんだけど。

 とそのとき、今度は窓のいっかくが、バーンという衝突音を放つと共に、また家全体がビリビリと震えだした。

「類くん、そろそろいいか? 作戦を立てたいんだが」お父さんが言った。

「すみません、つい興奮してしまって……」

「いや、おかげで色々知れたよ——ルキン、外の化け物は倒せるのか?」

「一匹につき、十秒ってところね」

 お父さんは、怪訝そうに片眉を釣り上げた。

「相手はいわゆる、恐竜なんだぞ?」

「勉強不足ね。サメは恐竜登場の、一億七千万年前から生きているのよ」

「だったら、でかいやつも十秒か?」

「五秒でもいいわよ」

 お父さんは眉を下げると、唇の片っぽの端を釣り上げた。

「なんだかお前とは、気が合いそうだ」

「悪いけど、鰓呼吸できない男には興味がないの」

 ルキンが言うと、今度のお父さんは、唇の両端を釣り上げてにっと笑った。

 割と怖い笑い顔だったけれど、お父さんの笑顔を見るのははじめてかもしれないということに、その顔を見て気が付いた。

 と言うかルキンは、雌だったのだろうか?

 わからなかったけれど、お父さんが気まずい思いをすることはうけあいそうだったから、その点を突っ込むのはよしておいた。

「——よし」とお父さんが言った。「まずは、地下室に避難しよう。そこで本格的な作戦会議だ」

「そうですね、そうでした」

 と、叔父さんがお父さんの言葉にそう応え終えた、直後だった。

 突然みかんのおばさんが、真下から噴水にでも突き上げられたかのように、静かに、けれど問答無用に、椅子ごと宙に浮き始めたのは。

 ——見ると、床から音もなく現れた、牙をむき出しにしている巨大な首長竜の頭部が、天井方面にぬーっと首を伸ばしながら、椅子に座っているおばさんの下半身を、悪魔の華のそれを思わせるつぼみ状の顎で、椅子ごとごぶり、と噛んでいた。

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