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 と。誰かがぼくの右肩に、そっと左手を置いた。

 お父さんだった。

「大丈夫なの、か……?」

「うん、全然。QUAが効いてるみたいだし、男だからこれくらい」

「……そうか」とお父さんは言った。「よく、無事で帰ってきたな」

「うん。みかんのおじさんがね、助けてくれたんだ」

「グレヘスさんが?」

 ぼくはフットが、みかんのおじさんだったことと、基地からテレポートしたあとから、フットに助けてもらうまでの経緯をざっとお父さんに説明した。

「信じられる?」ぼくは尋ねた。

「もちろん、信じるよ」

 お父さんはぼくの右肩から手をのけると、ぼくの左側に立った。

「よかった。——ねえお父さん。あれ、フットとルキンが衝突した穴だよね?」

「ああそうだ。突然輝き始めた、巨大化したルキンが、すっぽりとレヴィを呑み込んで、小さくなりながら、火星に衝突したんだよ」

 やっぱり、とぼくは思った。

 と同時に、ぼくがルキンに、二十四時間経ったら全部思い出して、ちゃんと話せるようになるんだよね? と訊いたときに、どこかためらいがちだったことをふっと思い出した。

 きっとそのときのルキンには、こうなることがわかっていたに違いない……。

 込み上げてきそうな涙をグッと堪えながら、お父さんにぼくは尋ねる。

「あの穴から噴き出してるのって、水なのかな?」

「そうだな。地中の氷が、溶けてるんだろう」

 と。そこでぼくは、最後にひとつ、とても大事なことを、『思い出した』。

 皮肉にも、それはレヴィがぼくのずっとずっと奥に眠っていた、記憶を掘り起こしてくれたからだと思う。

 それはルキンのある言葉遣いが、記憶の中の人のそれと、同じだったということだった。

 ルキンの『だいジ』という言葉遣いを、記憶の中のお母さんも、使っていたということだった。

 そう、つまりルキンは、お母さんだったのだ。

 身体はレヴィに取られてしまったけれど、心は残っていて、それはどこでもない、ルキンの中にあったのだ。

 そう考えれば、コントロール不能だったというルキンをぼくがコントロールできたことも、ルキンがものすごく頭がよくて、QUAやクアットについてくわしかったことも、人間くらいの大きさのときに、『お姉』さん言葉を使っていた理由も、そしてぼくやみかんに優しかったことも、フットがぼくたちをテレポートさせたあとに、ルキンの元へ戻れたことも、全部すっきりと説明ができる。

 それに、フットの心がみかんのおじさんだったなら、ルキンの心が、ぼくのお母さんだったという可能性だって普通にあるはずだ。

 二十四時間ルールのせいで、ルキン本人から聞くことはできなかったけれど、ぼくには確信があった。

 ——そう、ルキンの心は、誰でもない、『お母さんの心』だったのだ。

「ねえお父さん」いまだ大量のイワシとヒトデが流れ続けている、窓の外を見ながらぼくは尋ねた。

「どうした」

「ルキンの心って、お母さんだったかも」

「そうなのか……?」

 ぼくはお父さんに、レヴィに記憶の中に入られて、お母さんの姿で洗脳されそうになったとき、もうひとりのお母さんが現れて、そのお母さんが、だいジ、と言っていたことを説明した。

「確かに、母さんは大丈夫のことを、『だいジ』と言っていたな……」

「やっぱり。ルキンもね、だいジってよく言ってたんだ。信じられる?」

「もちろん信じるよ。心から。もしかしたら母さんもグレヘスさんも、自らルキンとフットに、憑依したのかもしれないな」

「そうなのかな」

「ああ。あの二人なら、その方法を知っていても、おかしくはないからな」

「でも、なんでそんなこと?」

「決まってるじゃないか。お前たち——ミズトとみかんちゃんを、守るためだよ」

 とそこでぼくは、今度こそ泣いてしまいそうだったけれど、どうにか涙を堪えることができた。

 記憶の中で見た、あることを思い出したおかげで。

 どころか逆に、くつくつと笑い始めたほどだった。

「どうした急に」と不思議そうにお父さんが尋ねる。

「だって昔のお父さん、ものすごく痩せてたから」

 お父さんがふっと笑った。「本当に、思い出したんだな」

「うん。でも、なんで筋トレをするようになったの?」

「お母さんを守れなかった自分が、ふがいなくてだ」

「その後悔で始めたの?」

「そうだが、それだけじゃない」

「?」

 お父さんはぼくの五倍はありそうな太い右腕で、ぼくの右肩を力強く抱き寄せた。

「母さんがルキンになったのと、同じ理由だよ」

「お父さん……」

 ぼくは、叔父さんの研究所で、お父さんが首の骨を折ってまで、ぼくを守ってくれたことを思い出した。

 と同時に、ふっとこんなことを思った。

 愛とは、思い出すことなんじゃないかって。

 きっとぼくらは、誰ひとり、例外なく、確かに愛された瞬間があったにもかかわらず、それをうっかり、忘れてしまっているだけなんじゃないかって。

 なぜなら真に愛されている瞬間は、あとからしか、認識できないからじゃないかって。

 だから大事なことは、思い出すことなんじゃないかって。

「ねえお父さん」とぼくは言った。

「なんだ?」

「火星はこのあと、どうなっちゃうのかな」

「何も心配することはない。火星は、息を吹き返しつつあるんだ。母さんと、グレヘスさんと、そしてお前とみかんちゃんと——」そこでお父さんは、ぼくの右肩を抱いている右腕に、ぐっと力を込めた。

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