1ー5
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一段と太陽がまぶしかったその日、久しぶりにみかんとぼくは、一緒に帰りながら話をした。
正確には、ほとんどひとりでみかんがしゃべって、ぼくが聞いていただけなんだけど。
みかんはさっきの女子たち三人のことや(メイジちゃん、アイラちゃん、ようこちゃんというらしい)、彼女たちとは仲がよくて、中でもメイジちゃん(クレオパトラみたいな髪型をしていたハーフの女子だ)とはものすごく仲がよくて、にもかかわらず一緒に帰らないのは、メイジちゃんの家がみかんの家とは真逆方向で、そして一緒に遊んでいるところをまったく見かけないのは、あの大都会東京で秋に行われるという、メイジちゃんが所属しているテニス部の大きな大会が近くて、そのための練習が休みの日まであってすごく忙しいから、ということを、立て続けにしゃべっていた。
ちなみにぼくがしゃべらなかったのは、恥ずかしかったからだ。
ちなみのちなみに、みかんが教室に戻ってきたのは、水泳着を忘れてしまったかららしい。
「——ねえミズト。わたし、母さんから虐待なんてされてないからね」
まるでセミたちの声の間を縫いでもするかのように、ふいに、あらためてそう言ってきたみかんの言葉に、ぼくは手首からぶら下げている、給食着入りの巾着を蹴りながら答えた。「うん」
けれどもぼくには、みかんの言葉を、信じきることができなかった。
メイジちゃんたちとの関係の方も、はたして本当に仲がいいのか、彼女たちはみかんをちゃんと友だちだと思っているのか、とそこはかとなく心配だったけれど、それはともかく、虐待の方は、単純に心配だった。
というのも、実を言うと、前に一度、赤い顔をしたわふなちゃんが、涙ぐんだみかんの手を引いて、まるで何かから逃げでもするかのように、こっそりと二人で、みかんの家の門から飛び出してゆくところを、目撃したことがあったからだ。
それにぼくは、初めてルキンを出そうとしたときに見た、みかんの二の腕のアザを覚えていた。
そのアザをみかんが、懸命に隠そうとしていたことも。
そして何よりもぼくは、みかんのお母さん《おばさん》が、煙草を吸っていることも知っていた。
いつかの学校からの帰り道、おばさんが庭先で電話をしながら、実際に吸っているのを、見てしまったことがあるのだ。
みかんの噂をしていたメイジちゃんたちは、多分みかんにお父さんがいないのを知らなかったから(ちなみにその点こそが、メイジちゃんたちが本当にみかんと仲がいいのかと心配になる根拠だった。だって友だちだったら、それくらい知っていてもよさそうな気がしたからだ。まあ単にみかんが言いたくなかっただけなのかもしれないけれど。みかんの性格上、それはおおいにありえることなのだけど)、それで煙草のことを、お父さんと結びつけたに違いない。
「それより、ルキンちゃんの調子は?」
と。ぼくと同じように、紐付きの水泳着入れを蹴りながらみかんが尋ねた。
「んー、いつも通りだよ」
「出せたりはしないの?」
「まさかあ」
「おっきくなってたりは?」
「どうだろうか。毎日見てるからわかんないや」
みかんはまた水泳着入れを蹴った。
「夏休みに入ったらさ、二人で遊ぼっか」
二人という言葉にどきりとしながら、ついぼくは尋ね返した。「わふちゃんは?」
「わふには内緒で。ちょっと話したいこともあるし……」
どうか顔が赤くなりませんように、と願いながら、へー、まあいいけど、とぼくは答えた。「何する?」
「水族館行こうよ。久々に、魚が逃げるとこ見たいし」
——そう。
どういうわけか、ぼくは昔から、魚たちから『逃げられること』が、普通になっているのだった。
初めて水族館に行ったときに、まるで蜘蛛の子を散らすということわざそのまんまみたいに、ぼくの前からサーッと魚たちが逃げてゆくようすを見て、その事実に気が付いた。
逆にみかんには、その逃げた魚が集まるようになっていて、それをみかんは、面白がっているのだった。
「んーいいね。お金ないけど」
ぼくは被っていた体育帽を脱ぐと、ずい分前髪が伸びてしまっている頭をカシカシと掻いた。
それから帽子を一旦紙風船のようにふくらませると、赤と白がちょうど半分ずつで、ツバが『トサカ』のように真上にやってくる、ウルトラマン風の帽子に改造して被り直した。
「大丈夫だよ、券があるから」みかんが言った。
「そうなの?」
「保険屋さんに家族分、もらったんだって。でも、どうせ母さんは行かないから」
どうせ、という響きに何かを感じたけれど、その点については、何もリアクションできないままにぼくは尋ねる。
「家族分ってことは、三枚あるんだよね? わふちゃんはほんとにいいの?」
「いつくらいに行く?」みかんはぼくがしつこいと思ったのか、ぼくの質問を華麗にスルーして言った。「どうせなら、わたしたちの誕生日に行こっか」
「ええっと、それって、七月二十一日ってことだよね?」
「なんで自分の誕生日確認するの」みかんは笑った。
——そう、ぼくたちは奇跡的に、同じ日に生まれているのだ。
とそれはともかく、みかんの見せた真っ白い八重歯に、どぎまぎして何も答えられないぼくだった。
そのあと黙ったまましばらく歩いたあとで、ぽつりとみかんが言った。
「本当は、海に行きたいけどね」
「海か」と、まったく雲のない低い空を見上げながらぼくは言った。「いつか行こうよ」
「ミズトが連れてってくれるの?」
「それか、作ってあげるよ」
みかんは一瞬ぽかんとしたあとで、思いのほかケラケラと笑ってくれたけれど、問題はぼくが、割りと本気でそう言ったことだった。
それで妙に照れてしまったぼくは、とまどいながら確認した。
「に、二十一日、何時何分、どこに集合?」
「んーとね、終業式の日に電話するから、そのときに決めよ」
「わ、わかった」
「それじゃ、ルキンちゃんによろしくね」
「わかった」
そのあとでぼくらは別れて、それぞれの家の門に入った。
とそのとき、またしてもみかんの家の庭先で、みかんのおばさんが、煙草を吸っているのが見えた。
しかもおばさんは、ぼくと目が合ったその瞬間、ちょっと慌てた調子で、地面にピッと煙草を、弾き飛ばしさえもしたのだった。
虐待のこと、一度ちゃんと確かめてみなければいけないな……。
その日以降、ぼくはそう思いながらも、結局は何もできないまま、一学期の残りを過ごした。
そして念願の終業式をついに終えて、ピアニカやら習字箱やら、宿敵である『夏休みの友』やらをどっさりぎっしりと詰め込んだ、緑色の引き出しを両手で抱えて、うんせ、うんせ、と歯を食いしばって帰宅した。
それから半ズボンの制服を、意味もなく豪快に脱ぎ捨てて、リアルダメージ仕様の水色のGパンと、着すぎて首回りがだるっだるになってしまっているものの、今でも一番気に入っている、叔父さんからもらったブランキージェットシティーというバンドの黒いTシャツに着替えた。
そしてルキン、お前を食べちゃうぞー、と冗談でルキンを脅しながら、これも叔父さんからもらった、映画JAWSの黒いキャップを被り、通話とメールしかできない腕時計型の白いキッズスマホを左手首に巻いた途端、一転バレリーナのような軽やかな足取りで愛車のBMXもどき《ジョーズ号》にまたがって、できもしないウイリーを何度もやろうとしながら、友だちの家にテレビゲームをしに行ったり、夕方に帰って早くも居間の日めくりカレンダーを破いたり、ソーセージ型の白いシャーベットアイスを無駄に勇ましく膝でへし折って、二本いっぺんに食べたりしながら、みかんからの電話を待った。
そしてついに電話がかかってきたのだけど、それはみかんからのものじゃなく、みかんが事件に巻き込まれているかもしれないことを知らせる、みかんのおばさんからのものだった。
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