1ー6
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お父さんが奥の部屋で立てている、筋トレマシンのシュウシュウという音を聞くともなく聞きながら、夕方のワイドショーを居間で見ているときのことだった。
普段はワイドショーなんて一切見ないのだけれど、ぼくと同年代の子どもたちが、全居住区のあちこちでいっぺんに行方不明——神かくしにあっているという、ある意味で親近感のある事件が報道されていたために、なんとなく見てしまっていたのだった。
とそのとき、めったに鳴らない
一体誰からだろうか?
みかんならぼくのスマホにかけてくるはずだから、まあ勧誘か何かかな、とそんなことを思いながら、ぼくはお父さんに頼まれるままに玄関前の廊下へ行くと、茶色い電話台に置かれている、今や生きた化石かのようなプッシュホン型電話機の受話器を取って耳にあてた。
もしもみかんだったりするようならば、留守番電話のふりをしてやろうなどと内心でほくそ笑みながら。
「はい、
「ミズト、くん?」
「——えっと……みかんの、おばさんですか……?」
「そうよ。みかん、そこにいない?」
「いない、ですけど……?」
かすかな音の重複から、おばさんも同じワイドショーを見ていることがわかった。
途端に胸の中が、風の吹くサトウキビ畑のようにざわつき始める。
「今日、どこかに行くって言ってなかった?」
と、おばさんが続けて尋ねた。
水族館は明日ぼくと行くはずの場所で、今日とは関係ないわけだから、黙っておくことにした。
「いえ、何も聞いてません」
「……そう。今日は、話してないのよね?」
「はい」
「学校では見かけた?」
ぼくは朝、校庭に入ったときから、出るまでのことをざっと思い出した。「見てません」
「そう……」
おばさんの心配そうな声に、ついぼくは言い足した。「みかんとは、違うクラスですから」
「そうね、知ってるわ」
「——あの、みかん、帰ってきてないんですか?」
「ええ。朝部屋に行ったら、もう学校へ出たみたいで、それきり……」
奥の部屋の壁にかかっている、引きこもり鳩時計をちらりと見ると、針は五時十分をさしていた。
つまり十七時十分というわけで、みかんの家の門限を、十分過ぎているということになる。
うん、確かに女子小学生がこの時間に帰っていないのは遅いのかもしれないけれど、かと言って遅すぎるというわけではまったくないし、門限もまだたったの十分しか過ぎてなんかはいないのだ。
にもかかわらず、こんなにも深刻な調子でぼくに確認してくるなんて、みかんのおばさん、ちょっと心配しすぎなんじゃないだろうか?
ぼくは神かくし事件を流し続けているテレビを廊下からぼんやりと眺めながら、そんな風に考えた。
——いや、もしもみかんが、この事件に巻き込まれている可能性を考えると、おばさんの心配はもっともなことかもしれない。
でもまさか、こんな非現実的な事件が、みかんと関係あるはずがない。
実際ぼくの住む区域では、起こってなどいないのだ。
それについさっき入った続報によると、神かくしにあった児童の全員が、帰ってきたということだった。
どういうわけか、みんなまったく記憶がないということだったけれど、とにかく全員帰って来たのなら、みかんと関係あるはずがない。
ぼくは自分自身にそう言い聞かせたけれど、どうしてだろうか、そうすればそうするほどに、胸騒ぎがざわわ、と強くなってゆくのだった。
みかんが神かくしにあってしまったというよりは、もしかしたら、ついにおばさんがみかんを殺してしまい、そして今ちょうど起こっているこの神かくし事件のせいにしようと、その証拠作りのために、こうしてぼくに、電話をかけてきたんじゃないだろうか?
などという恐ろしい妄想により。
「『——ただ、新たに神かくしにあった児童もいるようです』」
テレビが発したその音声を聞いた途端、ぼくは妄想していた自分を痛烈に恥じ、やっぱりみかんは、神かくし事件に巻き込まれたのかもしれないぞ、とそう思い直した。
ぼくの住む区域では、みかんの件がそうなのかもしれないぞ、とそう。
と同時に、おばさんも同じことを考えていることが、直感的にはっきりとわかった。
新たに神かくしにあったうちのひとりに、みかんが含まれているのではないかと考えていることが。
でもぼくもおばさんも、なんにも言わなかった。
実際のところ、おばさんがどう思っているのかはわからないのだけど、ぼくの方は、言葉にしてしまったら何かが終わってしまうような気がして、黙っていた。
「わかったわ、ありがとう」
長い長い沈黙のあとでついにおばさんがそう言って、電話を切りそうになった気配を感じたぼくは、慌てておばさんに確認した。
「あの、警察には言わないんですか?」
「もう少しようすを見てから届けるわ。担任の先生に、あの子が今日登校したかの確認もしなければだし——ねえミズトくん、もしもみかんから連絡がきたり、会ったりしたら、すぐに教えてほしいのだけど」
「わかりました——あ、あの、もしも見つかったら、ぼくにも、すぐに教えてほしいです」
「わかったわ」
ぼくはおばさんと携帯番号の交換をしてから電話を切ったあと、その場に呆然と立ちつくしていた。
誰かに、ねえ、と話しかけられて、そんな自分にようやく気付いた。
話しかけてきたのは、誰でもない、ルキンだった。
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