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   ⌘


 二階の自分の部屋に行って、金属バットとグローブを持つ。

 バットは一応何かあったときのための武器代わりで、グローブは、それをカムフラージュするためのものだ。

 いくらぼくが子どもとは言え、日没間際にバットだけを持って歩いていたら、不自然ではないかと思ったからだ。

 ちなみにぼくは、野球が特に好きというわけではないのだけれど、今着ているブランキージェットシティーのTシャツと一緒で、このバットとグローブも、叔父さんがくれたものだ。

 ずっと押入れで眠らせていたものを、引っ張り出したというわけだ。

 少しでも不審さを減らそうと、学校の体育帽を被ったぼくに、ルキンが声をかけてきた。

〈ダメ、頭に白ハ〉

「帽子の色のこと? どうして?」

〈狙わレるヨ〉

「狙われる……?」

 ルキンは答えてくれなかったけれど、ということは、やっぱり悪いひとたちと、闘うことになるのだろうか?

 ぼくはドキドキしながらも、帽子をいつも被っている、黒地に赤文字のJAWSキャップに被り直した。

 うん、やっぱりこっちの方がしっくりくるし、私服に体育帽だと、逆に怪しさが増すというものだ。

 ちなみにJAWSの意味は、サメではなく、『ジョー《顎》』の複数形という意味らしい。

 サメは他の生き物よりも大口を開けられるように、上下の顎の骨が、頭蓋骨からそれぞれ独立しているから、複数形のジョーズということのようだ。

 いつかの叔父さんが、得意げにそう教えてくれた。

 準備が整ったぼくに、またルキンが声をかけてきた。

〈忘れないデ、金魚バチ〉

「金魚鉢……?」

〈コトバ、思うだケで伝わるヨ〉

 ルキンは、ぼくの質問に答えないままそう言った。

 どうやらルキンへの返事は、声に出さずとも、思うだけで伝わるということがルキンは言いたいようだ。

 ぼくは試しに、声を出さないままでルキンに尋ねた。

〈わかったけど、どうして金魚鉢?〉

〈それよりも、とーさまに会ウ〉

〈お父さんに? 会えってこと?〉

〈No,〉

 ルキンは、こと細かに話してくれる気はないようだ。

 頭の中で思っただけで、会話ができるということがわかったからま、いっか、とあきらめたぼくは、いつかのわふなちゃんが持ってきて以来、本棚の上にずっと置きっぱなしになっていた、まるい金魚鉢を背伸びして取った。

 コルクのふたのホコリを手で払ってからグローブで挟み込んで、タコ糸でグローブの両端を結びつける。

 こうしておけば、鉢が飛び出して割れることはまずないだろう。

 うんうんとひとり頷きながら、グローブの手を入れるところをバットの先に突き挿して、いくらも入っていないマジックテープ式の黄緑色の財布を、お尻のポケットに突っ込んだ。

 よし、準備万端だ。

 そうしてぼくは、泥棒のような足取りで一階に降りて、こっそりと家を出ようとしたのだけれど、なんともタイミング悪く、階段を降りきった玄関前で、ばったりお父さんと出くわしてしまった。

 とーさまに会ウ、とは、お父さんに出くわしてしまうという意味だったようだ。

「ミズト、さっきの電話、誰だったんだ?」

 金魚鉢が見えないように、さりげなくグローブの位置を調整しながら、せいいっぱいの落ち着きを装ってぼくは答えた。「クラスの友だち。そいつとちょっと野球してくる」

 野球? ミズトが? そしてなぜ友だちは携帯じゃなく、家の電話にかけてきたんだ? その子の名前は?

 なーんて突っ込まれたら言葉に詰まるところだったけれど、お父さんは、そっか、楽しんでこい、ただ、歩いて行けよ、片手運転は危ないからな、あ、あと暗くなる前には帰るんだぞ、とむしろ優しげに言っただけだった。

 どうやら感じからして、神かくし事件のことはまだ知らないようだ。

 それで安心して、

「はーい」

 と、答えたまではよかったのだけど、そのときぼくはお父さんが、じっと何かを見ていることに気が付いた——グローブから覗いている、金魚鉢だ。

 しまった。

 つい油断して、グローブから注意を逸らしてしまっていたようだ。

 一体どう言いわけすればいいんだろうか?

 いっそルキンに相談したかったけれど、あいにく今は、どこかへ消えているようだった。

 例のかすかな感触で、それがわかっていた。

 結局何も思い付かなかったぼくは、行ってきまーす、とだけ言うと、慌てて玄関を降りながら白いエアフォース・ワンにつま先を突っ込んで、最後までちゃんと履くために、かかとをダンダンとたたきに打ちつけてから、玄関を飛び出した。

 絶対に金魚鉢のことを訊かれると思ったのだけど、意外なことにお父さんは、特には何も言わなかった。

 ぼくの聴覚が確かならば、気を付けていってらっしゃい、とさっき以上に、優しげに言ったほどだ。

 多分ぼくが気にしていたから焦っただけで、お父さんからすれば、特に気にするほどのことでもなかったに違いない。

 きっと途中の用水路で、メダカかなんかを捕るとでも思ったのだろう。

 とそれはともかく、そうしてぼくは、グローブを挿したバットを肩にかけて、とりあえずまずは記憶を頼りに、まだまだ明るさを保っている区の道を、てくてくと歩き始めた。

 愛車のジョーズ号に乗れないのはけっこう痛かったけれど、それはさておき、そうやって歩き続けているうちに、ルキンが突然しゃべりだしたことに、うわああっと時間差であらためて驚いて、なんだか無性にうれしくなった。

 みかんを助けに向かっているという事実に、たまらなく興奮し始めた。

 冒険だ、とぼくは思った。

 これはあの、トム・ソーヤとハックルベリー・フィンの二人が泣いてうらやましがるほどの、大冒険なんだ!

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