1ー3
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「ねえミズくん。ルキンちゃん、お外には出られないのかな?」
ぼくらが琉金——ルキンを『出す』ことを初めて試してみたのは、小学校に上がってまもなく、みかんによって提案された、その疑問によってだった。
日曜日の昼下がりだったその日、ぼくらは、ぼくのまぶたの裏っかわからルキンを外に出すべく、ぼくの部屋に集合していた。
一体なぜ『集合』だったかと言うと、みかんとぼく以外に、『もうひとり』いたからだ。
それはぼくらより三つ歳下で、当時三歳だった、みかんの妹の、わふなちゃんだった。
みかんは秘密をばらしてしまい、バツが悪かったのだろうか。
いつの間にかできていた二の腕のアザを、半袖ブラウスの袖で何度も隠しながら、しどろもどろになって釈明した。
「……あのね、わたしが寝言で、ルキンちゃんって言っちゃって。ルキンちゃんって誰? ってわふに訊かれて、ひみつって言ったんだけど、わふがどうしても知りたがって……」
ルキンに興味を持つなんて、やっぱり
「でも、ダメだよね。すぐにわふ、連れて帰るから……」
泣きそうな顔でそう言ったみかんに、
「大丈夫だよ」
と、ぼくはみかんの口癖を真似て言いながら、みかんとまったくおんなじ泣きそうな表情で、まるくて透明な容器を抱きかかえている、わふなちゃんを見た。
そしてそのときにはもう死んでしまっていた、いつかのみかんのおじさんの真似をして、天使の輪っかができているその黒いおかっぱ頭に、ぽんと手のひらを乗せた。
「だってわふちゃんは、秘密を守れるもんねー?」
パッとわふなちゃんの顔が明るくなった。
「うん、まもれるよ!」
ぼくは頷いて、わふなちゃんの頭から手をのけると、両膝に手をついて、わふなちゃんの前にかがみ込んだ。
「それでわふちゃん、その容れものは、何……?」
「でてきたルキンちゃんをいれるんだよ!」
「……なるほど。わふちゃんは、天才だったか」
感心してぼくが言うと、わふなちゃんの顔が、いっそう明るくなった。
みかんもすっかり、いつもの笑顔に戻っていた。
そうしてぼくら三人は、わふなちゃんが持ってきた金魚鉢を囲みながら、ルキンを出そうと試し始めた。
ぼくの頭を、みかんとわふなちゃんが振ったり叩いたり、頭やお腹に向かって、ルキンの名前を、呼びかけたりして。
けれども正直、ぼくは、不可能だと思っていた。
そもそも、一体どこから出てくるというのか。
口から出てくるというのなら、ルキンはお腹の中にいることになる。
それじゃあただ魚を食べているのと変わらないし、それ以前に、お腹の中にいるような感じが、どうしてもしなかったからだ。
だったら、眼から出てくるのだろうか?
でも、もしもそうだとしたら、まず先に、眼が飛び出さないといけないことになる。
そんなことなんてありえないし、というかあってなんかほしくないし、想像しただけでもゾッとする。
なんてことをあれこれと考えながら、みかんとわふなちゃんに体をいじられているうちに、ぼくのルキンへの興味は、急速に薄れていった。
やっぱりルキンの存在は、気のせいなのかもしれない、と思って。
ぼくだけに見える幻なのかもしれない、と思って。
けれどもみかんとわふなちゃんは、真剣そのものだった。
ルキンを実際に見たいということもあったようだけど、ぼくのこの話に、興味を持ったからだ。
ルキンがときどき、どこかへ消えるという話に。
その、ルキンが消えるときと再び現れるとき、ほんのかすかとは言え、確かな『感触』をぼくが覚えるという話に。
「ルキンちゃん、どこに消えるの?」
「わかんない」
みかんが尋ね、ぼくが答える。
「そのときの感触って、どんななの?」
「のうみそをつままれて、ひっぱられて、パッと放されるような感じ?」
「それってさ、やっぱり物理的に、いるってことじゃないのかな」
「ねえねえ、ぶつりてきってなあに?」
「んーとね、ケーキがテレビの中じゃなくて、目の前にあることだよ」
学者さんだったおじさんに影響されてか、理科好きのみかんが、物理的、なーんてませた言葉を使い、知りたがり屋のわふなちゃんが率直にぼくらに尋ね、国語好きのぼくが、たとえ話で説明する。
「だってさ、もしもルキンちゃんが幻覚だったら、感触なんてしないと思うんだけど」
「ねえねえ、げんかくってなあに?」
「んーとね、ほこりがわたあめに、見えることだよ」
けれども当然というか、ルキンが出てくることはなく、その日は終わった。
けれどもこれも当然というか、みかんとわふなちゃんの、ルキンに対しての興味が、尽きることはなかった。
そのおかげでか、ルキンに対するぼくの興味も継続し、ぼくはルキンを、本当にいる存在としてみるだけでなく、いつからか、『仲間』として扱うようになっていた。
たくさんの家庭にありがちな、靴棚の上の、半分忘れられた、金魚やグッピーのようにではなく。
いつも誰かに気にかけられている、言うならば、『家族』の一員として。
ぼくはまぶたの裏っかわに、黒い琉金を飼っている。
そのあと何年かかけて、ぼくら三人の結束は、ルキンを通して、より固いものになっていった。
休みのたんびに三人で集まっては、ひとつのこと——ルキンを出すことに熱中したり、そのための方法を見つけることを目的として、冬はみんなで、水棲生物の図鑑を読んだり、水棲生物の出てくる動画を観たり、ルキンを絵に描いてみたり。
そして夏は、田んぼや用水路に行ったり、水族館に行ったり、やっぱりルキンを絵に描いてみたりして、日々を過ごした。
ちなみに、ぼくが一番好きな水棲生物はサメで、中でもブラック・デーモンという異名を持っている、伝説のメガロドンが大好きだ。
メガロドンというのは、ずっと昔に実在していた、他のどんなサメよりもずっと大きい、あの映画『JAWS』の主役である、ホオジロザメと見た目がそっくりな、灰色と白の巨大ザメだ。
そのメガロドンがなんと、現代の地球の海にもいるのでは? と、いつからかささやかれるようになっていて、しかもその全長は、普通のメガロドンよりももっともっと大きくて、おまけに身体の上半分が、灰色ではなくて、真っ黒だともっぱらの噂なのが、ブラック・デーモンというわけだ。
ちなみのちなみに、わふなちゃんが一番好きな水棲生物は、リバイアサンという名前の、これこそ完全に伝説の、海蛇のような身体をした最強の大海獣で、そしてみかんが一番好きなのは、どういうわけか貝だった。
貝? とついぼくが尋ねて、だって大丈夫そうじゃない? とみかんがわかるような、わからないような答えを返してきたことを、妙にはっきりと覚えている。
ただ、みかんとぼくが五年生になった頃から、三人で遊ぶことは、だんだんと減っていった。
女子と男子が遊ぶことは、普通じゃないということを、なんとなく知り始めたからだった。
とは言えそれは、どうやらぼくだけっぽかったし、それまで育んできた結束自体が弱まることは、なかったと思うのだけど。
ぼくはまぶたの裏っかわに、黒い琉金を飼っている。
今ではもう、それが人とは違う、奇妙なことだと知ってはいるのだけど、ぼくにとっては、かけがえのないことだ。
と同時に、ごくごく自然なことでもある。
それはたとえば、視界にいつだって映っている、鼻の先っぽでもあるかのような。
ぼくはまぶたの裏っかわに、黒い琉金を飼っている。
そうしてみかんとぼくは、小学六年生になった。
ちなみに、わふなちゃんは三年生。
みかんが虐待を受けているのではないかという噂を耳にしたのは、そのあと、七月に入ってからのことだった。
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