通り名の由来は燃えるような赤い髪(バーニングレッド)
受け取った銀貨をポケットの中にしまうと、俺は次の準備に取りかかった。
先ほどと同じように肉と岩塩を用意して、一人前を完成させる。
その後は調理場から皿を持って、女エルフの席へと足を運んだ。
お客第一号の話を聞いた限りでは怖そうなイメージだったが、そんなふうには見えなかった。
彼女は興味深げに鉄板や鉄板の下を見ている。
「お待たせしました。牛ロースをお持ちしました」
「サスペンド・フレイムで肉を焼くなんて、面白い仕組みね。興味を引かれるわ」
女エルフは涼しげな表情をしていた。
偉そうな口ぶりではないが、評論家然しているような雰囲気もなくはない。
それに俺からすれば転生前の修羅場の方がよほど過酷だった。
「ありがとうございます」
「まあ、肝心なのは味よね」
「どうぞ、召し上がってください」
「……ええと、これはどうやって食べるの?」
「この道具で焼いて、火が通ったら皿に乗せて、ナイフとフォークで食べます」
「なるほど、分かったわ」
「ごゆっくりどうぞ」
彼女に近づいた時、何かオーラのようなものが漂う気配があり、少し緊張した。
とはいっても、何か危害を加えてきそうな感じではない。
エルフの味覚が人間に近いのならば、口に合わないことはありえないはずだが、美食家と評されるほどなので、思わぬところで非難される可能性もある。
女エルフは鉄板で肉を焼き終えると、取り皿に肉を移した。
ナイフとフォークを手に取り、肉を切り始める。
整った顔立ちと品格ある佇まいであることで、動作がより美しく見えた。
フォークに刺さった肉がその口に運ばれた瞬間、俺の緊張はピークに達した。
いつの間にか手に力が入っていた。
額にイヤな汗がじとりとにじむ。
――自分の料理を他人に評価されるのは緊張する瞬間だ。
女エルフはゆっくりと咀嚼して、じっくり味わっているように見えた。
表情の変化はほとんどなく、味の感想を読み取ることはできない。
食事の邪魔にならないように様子を見守っていたが、特に反応はなかった。
彼女は何も言わず、肉に岩塩をつけては口へ運ぶ動作を繰り返している。
結局、彼女は無言のまま完食した。
何かの余韻を味わっているようにも見えたので、お気に召したのだろうか。
「店主、また来るわ」
「――あっ」
できれば料理の感想を聞きたいと思ったが、彼女はそのまま立ち去ってしまった。
ふと、テーブルを見ると銀貨ではなく、一枚の金貨が置かれていた。
「えーと、気に入ってくれたってことだよな……」
俺は手にした金貨をじっと見つめた。
その後、昼食時のピークが過ぎた昼下がり。
俺は店じまいを始めた。
初日の売上は銀貨十枚と金貨一枚。
一日目にして、好調な売れ行きだった。
俺はいい気分でサスペンド・フレイムを消すと、鉄板を洗い始めた。
この世界にはお湯の出る水道がないので、油汚れは落としにくい。
記憶の中にある日本の洗い場が恋しくなった。
それから、片づけを終えて店の中で肉を食べていると人の気配が近づいてきた。
冒険者をやっていた時の影響で、物音や気配を察知してしまうことがある。
いわゆる職業病のようなものだった。
「マルクさん、こんにちは!」
「おおっ、エスカか」
「開店初日はいかがでした?」
「まずまずってところかな。あっ、肉食べる?」
「はいっ、いただきます!」
エスカは明るい表情で答えた。
彼女は冒険者の時の顔見知りで、俺よりも少し年下だった。
短めの肩の辺りまで伸びた髪型で愛らしい顔つきをしている。
少年みたいに活発な性格で無邪気なところがある。
「はい、召し上がれ」
「うれしいー、いただきまーす」
「今日は多めに用意したからな、遠慮しなくていい」
金貨一枚で大幅に黒字な上に、その他のお客の分でも十分な売上だった。
「マルクさんの焼肉、でしたっけ? いやー、ホントに美味しいですね」
「そんなに喜ばれると照れるな」
俺とエスカはしばらく肉を堪能した。
自分で考案したわけだが、岩塩で食べる牛ロースは美味しかった。
「そういえば、何か用事だったか?」
「そうそう。明日は忙しいですか?」
「いや、肉を仕入れにいくつもりだった」
「じゃあ、ちょうどいいですね。バラム郊外のシカの駆除依頼を受けたんです」
「おっ、シカときたか。店では出しにくいけど、自分で食べたいところだな」
「よかったら、一緒に行きませんか?」
「そうだな。仕入れはどうにでもなるし、行くとするか」
「それじゃあ、明日の朝に町の出口で待ち合わせましょう」
「ああっ、そうしよう」
二人で食事をしていると、今日のエルフについて聞いてみようと思った。
「そういえば、真っ赤な髪のエルフの話って聞いたことあるか?」
「赤い髪のエルフといえば、アデルですかね。アデル・バーニングレッド。アデルが彼女の名前で、バーニングレッドは通り名みたいです」
「俺は初めて聞いたんだけど、もしかして有名人?」
「バラムは辺境にあるので、知られてないですよね。都市部では有名ですよ」
「なるほど……そういうことか。今日、そのアデルがうちの店に来た」
「えっ!? バラムにいたんですね」
エスカは驚いたような表情で、食事の手を止めた。
「お客の商人から美食家と聞いて怯んだけど、わりと気に入られたらしい」
俺はそう言って、懐に入れておいた金貨を取り出した。
「マルクさん、すごいじゃないですか! アデルは発言力があるから、不評だったお店は客足が伸び悩むらしいんですよ」
「ああっ、そうだな。評判が良くなるといいな」
それだけの人物に気に入られたのは幸先がいい。
日本にいた時は追い風など一度もなく、逆風ばかりが吹き荒れていた。
普段は思い返すことのない苦しい日々の記憶が脳裏に浮かんだ。
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