モルトへの報告
フランが足早に先を進み、俺とハンクはその後ろを歩いていた。
レンソール高原は田舎なので、通行人とすれ違うことはほとんどなかった。
森の近くを離れてしばらくすると、民家がちらほらと見えてきた。
フランが足を止めずに進むので、引き続きついていった。
やがて、おしゃれな外観の大きいロッジが見えてきた。
周囲には焚き火ようなものが置かれて、建物のシルエットが浮かび上がっている。
「あそこに見える宿がそうですわ」
「こいつは高そうな宿だな」
「ですね。自分一人だったら、泊まるのをためらいそうです」
近くまで来たところで、宿の名前が「モンターニュ」だと分かった。
フランはそのまま入り口に向かい、扉を開けて中に入った。
ハンクに先を譲って中に入ると、周囲の様子に目を向けた。
落ちついた色調の内装で、照明には魔力灯が使われているようだ。
ロビーの突き当りに受付があるのが目に入ったが、時間帯が遅いこともあってか、フロントは無人の状態だった。
「あら、二人とも戻ったのね」
「お姉さま。お久しぶりですわ」
「まあ、フラン。久しぶりね」
アデルは近くのソファーで何かを読んでいたようだ。
今日はフランに拒否反応を示すことなく、余裕のある振る舞いを見せている。
「アデル、ホワイトウルフの件は解決したぞ」
「ずいぶん早いわね。原因は何だったの?」
「仔ウルフが猟師の罠にかかっていて、助けを求めた親ウルフが鳴いていた。そんな感じだな」
「まだ幼いから、人里の近くまで来てしまったのね」
「ほぼ無傷だったし、親のホワイトウルフに引き渡せたから問題ねえ」
「そう、それなら安心ね」
アデルは心配そうな顔をしていたが、ホッとしたように表情が明るくなった。
「これで、モルトさんはチーズを作れるんでしょうか」
「うーん、多分?」
俺以外の三人も酪農に詳しいわけではなさそうので、誰も答えを持ち合わせていないように思われた。
翌朝。大きなベッドで目を覚ますと、窓の外から小鳥のさえずりが聞こえた。
カーテンを開いて景色を眺めると、雪に白く煙る山々がそびえている。
俺は洗面所で顔を洗って、着替えを済ませてから、宿の食堂に向かった。
食堂の椅子に腰かけたところで、近くにいたハンクと目が合った。
「おう、おはよう」
「おはようございます」
「昨日は眠れたか?」
「ええまあ、いいベッドでしたから。ハンクはどうでした?」
「いや、おれは寝心地がよすぎると逆に眠れねえんだ」
ハンクは苦笑いを浮かべていた。
意外と繊細なところがあることに少し驚いた。
朝食は注文制ではなく、あらかじめメニューが決まっているようで、何も頼まなくても料理が運ばれてきた。
温かいスープと焼きたてのパン、フルーツの盛り合わせ。
簡素な内容ではあるが、立派な食器が使われていて、料理の価値が何割か増しに見える気がした。
食べ始めて少し経ったところで、ハンクが先に席を立った。
軽めの食事を手早く食べると、食後に紅茶が出された。
その紅茶を飲み終えた後、部屋に戻った。
部屋で一息ついて出発の準備ができてから、ロビーに向かった。
アデルとフランはソファーに腰かけていて、少し遅れてハンクがやってきた。
「まずはモルトのところへ行くけれど、フランはギルドへの報告を急いだ方がいいんじゃないかしら?」
「問題ありませんわ。それにお姉さまが評価するチーズを食べてみたいですもの」
フランはアデルと一緒にいたいのか、チーズを食べてみたいのかどちらが本音なのかは分からないが、確固たる意志を表明していた。
「とにかく、牛の乳が出ないことにはどうにもならないから、まずは状況を確かめに行くわよ」
俺たちはモンターニュを出て、モルトの別邸へ向かった。
今回は俺とハンクの宿代をアデルが出してくれたので、支払いなしで済んだ。
「やあ、おはよう。朝からどうしたんだい」
別邸に到着したアデルがドアをノックすると、モルトが驚いた様子で出てきた。
今回のことであまり眠れていないのか、少し顔色が悪いように見えた。
「聞いて。ホワイトウルフの遠吠えがなくなったのよ」
「そんなことがあるのか? どれ……」
モルトは玄関から外に出ると、耳を澄ませるように目を閉じた。
「本当だ。聞こえてこない」
「でしょ。ハンクが解決してくれたのよ」
「いやはや、何とお礼を言えばいいものか」
「礼なんて気にしなくていいぜ。あんたのチーズが食べれたらそれで十分だ」
ハンクがそう言うと、モルトは何かを思い出したような素振りを見せた。
「そうか、牛たちの様子を見に行かないといけないね。ちょっと待っていておくれ」
モルトは家の中に戻り、少しの間をおいて出てきた。
「それじゃあ、乳が出るようになったか見に行こう。遠吠えが頻繁に聞こえていたのが原因だろうから、聞こえなくなれば出るようになるかもしれん」
モルトは元気を取り戻したように、エネルギッシュな雰囲気だった。
逆に言えば、それだけ乳が出なくなったことに頭を抱えていたのだろう。
年配とは思えない足取りで、モルトは牧場へと向かった。
俺たちはその後に続いた。
牧場に到着すると、朝霧が浮かぶ幻想的な光景が目に入った。
広大な草原が一帯に広がっている。
さすがに会ったばかりの他人に牛小屋を見せるわけにはいかないようで、しばらく待つようにモルトに言われた。
しばらく、景色を眺めたり、ハンクたちと話したりしているとモルトが小走りで戻ってきた。
いくら元気そうでも年配なので、転んでしまわないか心配になった。
「出た、牛の乳が出たぞい!」
「やったわね。これでチーズが食べられるわ」
「お前さんたちのおかげだ。チーズを作り始めるから、もう少し時間をおくれ」
「もちろん、待たせて頂きますわ」
「おれも待つぜ」
「うむっ、ありがとう」
モルトは涙ぐむような表情で、チーズ工房兼自宅の方向へ足早に向かった。
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