美味しいお肉と思わぬ来客

 俺はゴブリンが出た場所から、エスカのいるところに戻った。

 どうやら、ゴブリンを追い払っている間に作業の区切りがついたみたいだ。

 彼女は切り終えた部位を並べている。

 

「おおっ、手際がいいな」


「マルクさん、お待たせしました」


 エスカは生き生きとした表情をしている。

 

「ゴブリンがいた。一体だけだが」


「こんなところにもいるんですね」


「複数なら警戒すべきだが、はぐれの可能性が高いからそっとしておきたい」


 日本にいた頃の記憶が影響するのだろうか。

 弱い立場にある存在を一方的に攻撃することへの抵抗がある。


「いいんじゃないですか。他の冒険者にやられるかもしれないですし、ゴブリンが単独で生き延びるのは大変ですから」


 エスカは自然淘汰的な考えをしているようだった。

 わざわざ手を汚すまでもなく、はぐれのゴブリンなど放っておけば息絶えるだろうと。

 そもそも、ゴブリンに同情する方が変わっているし、特段彼女が冷たい人間であるというわけでもない。


 エスカは会話をしながらも、手際よく動いていた。

 運ぶために持ってきたと思われる袋に肉をしまっていった。

 

 それから、シカの亡き骸の横に線香のような物を刺して、魔法で着火した。

 上空に向けて緑色の煙が立ちのぼる。


「久しぶりに見るな。マーカーか」  


「はい。町から遠くないので、すぐに回収してくれると思います」


 マーカーとは、冒険者からギルドへの狼煙的な役割を果たしている。

 駆除対象の発見、依頼品の回収、あるいは緊急事態など。

 

 何種類か色分けされていて、緑色は回収依頼を意味する。

 今回の依頼であれば、回収だけでなく確認も兼ねているはずだ。

 

 冒険者時代に、わずかな回数だけ赤色のマーカーが近くで上がっているのを見たことがあるが、ドラゴンでも出たのかと思ってドキドキした。

 今では足を洗ったので目にすることはないだろうが、赤色のマーカーだけは心臓に悪い。

 

「それじゃあ、町に戻りましょうか」


「ああっ、そうしよう」


 エスカは帰り支度が済んだみたいだ。

 俺たちはその場を後にした。


 畑の広がる辺りを離れて、街道に出る。

 時折、馬車に乗った行商人や旅人とすれ違う。


 冒険者をしていた頃、この街道を行けばどこか遠い町にたどり着くと思うとワクワクした。

 もっとも、店を始めるためにお金を貯めていたので、遠出する気はなかった。

 自分の店を始めることができたのだから、今なら旅に出てもいいのかもしれない。

 

「そういえば、マルクさんはシカ肉を食べたことありますか?」


 歩きながら物思いに耽っていると、エスカが話しかけてきた。

 シカの解体は大変だったはずだが、彼女は疲れていないようだ。


「まあ、何度かは」


 実はこの世界に生まれてから、一度も食べたことはなかった。

 記憶にある味は日本(地球)産のシカのものである。

 ちなみにバラムの町でシカ肉が売られていることはあまりない。


「あたしとマルクさんが食べる分は確保しておきましたけど、どこで食べます?」


「うちの店でいいよ。道具が一通りあるから」


「それじゃあ、お願いしますね」


 エスカは微笑みを浮かべて言った。

 心洗われるようなさわやかな笑顔だった。




 俺たちはバラムの町に到着すると、そのまま俺の店に向かった。

 店に着いた後、本日の功労者であるエスカを座らせて、準備を始めた。


 彼女が持ち帰った肉は、大きなブロックになっていた。

 それを調理場で食べやすいサイズに切り分けていく。


 俺は焼肉屋を始めたわりには肉の知識が乏しくて、この部位がロースではなくモモ肉であることぐらいしか分からない。

 それとシカの新鮮なレバーは食べる価値ありなのだが、こちらの食文化では内臓を食べることは少ないため、エスカは持ち帰っていなかった。


「せっかくなら、食べたかったんだがな。シカのレバー」


 誰にともなくぼやきながら、切り分けた肉を皿に盛りつける。

 新鮮で綺麗な赤みのあるシカ肉が均等に並んだ。

 

 上手く盛りつけられたことに満足しながら、皿と鉄板、それに油やトングを持ってエスカのところに戻った。


「マルクさん、ありがとうございまーす。うわー、美味しそう!」


「エスカのおかげだ。こんなに新鮮なシカ肉はなかなか手に入らない」


 彼女の満面の笑みを目にした後、外に出してあった焼き台の上に鉄板をセットして油を塗る。

 続いて、いつものようにサスペンド・フレイムで火を入れた。


「少し待ってくれ。温まるのに少し時間がかかる」


「それにしても、面白いですね。魔法でお肉を焼くなんて」


「炭火もありだと思ったが、炭はなかなか手に入らないからな」


「ううーん、たしかにー」


 この世界の炭というのは、あるっちゃある程度の存在だった。

 国内には生産者がおらず、流通量は限られている。


 二人で話すうちに鉄板に火の熱が伝わったようだ。

 トングを手に取り、皿から鉄板に肉を移していく。 


 肉が鉄板に触れた瞬間、ジュッと音がして、食欲をそそる香りが立ちのぼる。

 空腹だったせいか、すぐに食べてしまいたい衝動に駆られた。


「……そういえば、ナイフとフォークを出してなかったか」


「あっ、あたしもうっかりしてました。お肉のことで頭がいっぱいで」


「すぐに持ってくる」


 俺は席を立って、店の中の食器置き場に向かった。

 ナイフとフォーク、取り皿……それにシカ肉に合いそうなハーブミックス。

 それらを手に取り、店を出ようとした瞬間だった。


「――何だ、この気配は……」


 慌ててエスカのところに戻ると、見慣れない人物が立っていた。

 感じたことのない気配に身構えたが、エスカとその人物は親しげに話している。


「……エスカ、その人は知り合いか?」


「マルクさん、すごいですよ! なんと、この方はSランク冒険者のハンクさんです!」


「どうもー、ハンクでーす」


 初めて見る伝説の男は、ずいぶん軽いノリだった。

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