シカ狩りとゴブリン出現

 翌朝、待ち合わせ場所に向かうとエスカが待っていた。

 昨日は私服姿だったが、今日は軽装備から防具を取り外したような服装だった。 

 その手にはシカを狩るための弓矢が握られている。

 彼女はこちらの存在に気づくと明るい笑顔で手を振った。

  

「マルクさん、おはようございます」


「ああっ、おはよう」


 俺たちはあいさつを交わした後、町の出口から街道に向けて歩き出した。

 

 上空を雲が流れ、その間から輝く太陽が顔を覗かせる。

 狩りをするには雨や曇りが向いているものの、これはこれで快適な天気だった。

  

「なあ、駆除依頼ってことは作物でも荒らされたのか?」


「そうみたいです。農家の方々が困っているそうなんですよ」


 ゴブリンなどのモンスターに比べて、野生動物に関する依頼は出にくい。

 俺が冒険者をしていた時も、そこまで多くなかった。

 農家の人自身が狩猟をすることもあり、手が回らなくなったタイミングで依頼が出ると聞いたことがある。


「ギルドに依頼が来るほどシカが出るなら、食いっぱぐれはなさそうだな」


「弓には自信があるんです。任せてください」


 エスカが胸を張って言った。

 彼女のふくよかなバストが強調されたが、異性として意識していないので、そっと目を逸らした。


「まあ、長い付き合いだから知ってる」


「ふふっ、そうですね」


 エスカは朗らかな表情で笑みを浮かべた。

 彼女の裏表のない性格には仲間として好感を持っている。


 二人で世間話をしながら歩くうちに、エスカが目的地に着いたと教えてくれた。

 普段、来る機会のないところで畑が多い場所だった。

 元々は森林だった土地を開拓したようで、畑の端から向こうは木々が生えている。


 森に逃げこめるので、シカからすれば絶好の位置に作物があることになる。

 しかし、それらしき姿は見当たらない。


「この辺りにはいないみたいですね。もう少し探してみましょう」


「ああっ、分かった」


 野生動物に関しては専門外なので、彼女に任せることにした。


 再び二人で歩き始める。

 エスカは畑に沿って進みながら、畑と森林の境界に注意しているように見えた。 


 徐々に日が高くなり、気温が上がっている感じがした。

 バラム周辺の気候は比較的乾燥していて、そこまで暑くならない。

 周囲に注意しながら歩いていると、エスカがふいに立ち止まった。

 

「――マルクさん、いました。静かにしてください」


「お、おう……」


 彼女が姿勢を低くしたので、同じようにその場にしゃがみこんだ。

 前方をじっと見ているようなので、どこかにシカがいるのだろうか。

 素人の俺の目は何も捉えられていない。


 エスカは集中しているようで、声をかけがたいように感じられた。

 彼女は短く息を吸った後、左手に弓を、右手に矢を構えた。

 

 俺はシカを見つけられないままなのだが、彼女はどこかに狙いを定めている様子だった。

 何もできずに静観していると、森の方向に向けて矢が放たれた。

 風を切るような音が耳に届く。

 

 想像以上の速さに肉眼では追えず、矢の飛んだ先から鳴き声が聞こえた。

 以前から弓の腕がいいことは知っていたが、さらに腕を上げたみたいだ。

 

「さあ、締めにいきますよ」


「そ、そうだな」


 こちらの習慣では、動物を捌いて食べることは当たり前に行われていることだ。

 しかし、俺には日本の記憶の影響で抵抗が生じることがある。

 実際、この世界で魚を捌いたことはあっても、哺乳類や鳥を解体したことはない。

 

 意気揚々と先を進むエスカが、腕利きのサバイバル女子に見えてしまった。


 二人で接近すると、畑と森の境界付近にシカが倒れていた。

 一本の矢だけでは即死させることができなかったようで、血を流した状態で足だけを動かしている。


 エスカはシカの真横に立つと、一直線にナイフを突き刺した。

 シカは短い悲鳴を上げると、すぐに動かなくなった。

 彼女はナイフを持ったまま、その流れで解体作業を始めた。

 

 俺は焼肉屋を始めたものの、自分で解体しようとは思わない。

 そういう仕事は精肉店や別の誰かに任せたかった。


「ごめん、解体は任せるわ」


「ぜんぜん、いいですよ。少しかかりますけど」


 エスカはそう返事をすると、もくもくと作業を続けている。

 手伝いは必要なさそうで安心した。 

 俺はその場を離れて、座りやすそうな切り株に腰を下ろした。


「……んっ?」


 少しの時間休んでいると、周囲の空気に違和感が生じた。

 俺たち以外の気配を感じる。

 シカは身の危険を感じるはずなので、別の何かだろう。


 立ち上がって気配を探ってみると、少し先の茂みが揺れた。

 風はほとんど吹いておらず、動くとすれば何かがいる。

 念のため、護身用のショートソードに手を伸ばした。

 異変を感じたら決して気を緩めるな――新米冒険者向けの教訓が頭をよぎる。

 

 二、三歩下がって向こうの出方を伺っているとゴブリンが現れた。

 大きな群れであれば警戒すべきだが、どうやら一体だけだった。

 おそらく、シカの匂いに寄ってきたのだろう。


「ギギッ――」


 俺を脅威と見るべきか、取るに足らない相手と見るべきかを見定めているようだ。

 何か武器を持っているわけではないが、身体を揺らして臨戦態勢をとっている。 


「おいおい、ケンカを売る相手はよく選んだ方がいいぞ――ファイア・ボール」


 ゴブリンの足元近くへ威嚇のため、小さな火の玉を飛ばす。

 地面の落ち葉がいくらか焦げついた。


「グッ、ググッ……」

  

 一対一ではやられると悟ったゴブリンは身を翻して、茂みの方へと去っていった。

 こうして怖がらせておけば人里に近づくことはなくなり、無闇に人を襲うことはない。

 仲間を連れてくる樣子がないことから、はぐれた個体で間違いないようだ。

 

 周囲の状況を確認した後、燃えかすを踏んで消火作業を済ませた。

 地面が湿っているようで、燃え広がるような心配はなさそうだ。


「やれやれ、一体だけなら放置でいいか」


 冒険者の一部にはゴブリンへの個人的な恨みから、即抹殺という者もいる。

 俺は弱い者いじめは好まないので、基本は必要最低限の殺傷にしていた。

 もっとも、コロニーと呼ばれる大規模な群れに遭遇したら、ギルドへの報告義務が生じる。


 他に怪しい気配はないみたいなので、エスカのところへ戻ろう。

 

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