アデルの威光と七色ブドウのワイン
ジェイクに肉を切ってもらってから、食器や野菜、タレなどの準備を進めた。
普段よりも働き手が一人多いので、開店準備は短い時間で完了した。
店を開くのは昼時なので、それまで中途半端に時間が残った。
ジェイクと世間話に花を咲かせるほど打ち解けてはいないので、店の中の説明をして開店時間を待つことにした。
「普段、お客を店の中に入れることはないですけど、せっかくなので案内しますね」
「承知した。焼肉店の様子、どんなものか気になる」
案内すると言ってみたものの、すぐに説明が終わりそうなことに気づく。
ジェイクの期待値が上がっていそうなので、少し申し訳ない気持ちだった。
そんなことを考えながら、調理場から備品が置いてあるところへ移動する。
「ええと、あそこに置いてあるのは七色ブドウのワインですね。たしか、もうそろそろ飲み頃だったような」
「な、何だって、七色ブドウ、しかもワインだと……」
「機会があれば、一緒に飲みましょうか」
「う、うむっ、ごくりっ」
すでに慣れてしまっているが、七色ブドウは希少価値が高いのだった。
ジェイクの反応を見ながら、他の備品の説明に移る。
「この辺りにあるのが少し前から漬けているタレです。実際にお客に出すことが多いのは調理場に置いてある方で、この中には試作段階のタレもあります」
「やはり、タレというものは興味深いな。熟成させているということか」
「ええ、その通りです。バラム周辺の気候は空気が乾いているので、腐ることはないんですよ。香辛料が入っている影響もありますけど」
「壺の中身を見てもいいか?」
「はい、どうぞ」
ジェイクはそう言った後、壺のフタを取って中をじっと覗きこんだ。
「……これはベースにソルサを使っているな」
「王都の方でもソルサはあるんですね」
「ああっ、ランス国内のわりと多い地域で使われているはず」
ジェイクは順番にフタを取り、全ての壺の中身を確認していった。
一通り確認し終えると、彼は満足そうな表情になった。
そんなジェイクの様子を微笑ましく思っていると、人の気配が近づいてきた。
「こんにちは、マルクはいるかしら?」
「どうも、こんにちは」
「七色ブドウのワインの様子を見に来たわ」
こちらを覗きこむようにして、アデルが店の入り口に立っていた。
いつものように上品な服装で、髪に大きめのリボンをつけている。
「な、何、バーニングレッドだと……」
「もしかして、アデルと知り合いですか?」
「い、いや、直接面識はない。彼女のために城で料理を作ったことがあるだけだ」
ジェイクと話していると、アデルは彼に目を留めた。
「あら、見ない顔ね」
「彼はジェイク。今日からうちで見習いを始めたんです」
「はじめまして……」
ジェイクはぎこちない態度で挨拶をした。
もしかしたら、城の料理人だったことは話さない方がいいのかもしれない。
どことなく、アデルに萎縮しているような気配がある。
「へえ、おめでとう。見習いまで取るようになったのね」
「いえいえ、そんな大層なことでも」
「ところで、ワインの様子はどうかしら」
「この前、ハンクに見てもらった感じではもう少しみたいですよ」
「そうなの。ちょっと、樽の中を見てみるわね」
「ええ、どうぞ」
アデルは店の中の方に歩いてくると、ワインの樽の前に立った。
それから、慎重な手つきで上部の栓を外して、中の状態を確認する器具で状態を確かめ始めた。
一つずつ順番に、樽の中身を吟味しているように見えた。
「七色ブドウは興味深いわね。全て違う味がするわ」
一通り確認を終えたアデルが口を開いた。
「ワインにする前もそうでしたね。それぞれ違う色で味も違いましたから」
「……あのう、アデル様」
「んんっ、様? 普通にアデルでいいわよ」
「畏れ多いので、せめてアデルさんと」
俺の近くで静かにしていたジェイクが会話に加わろうとしていた。
それにしても、様をつけるのは何か理由があるのだろうか。
「記憶にないのだけれど、どこかで面識があったかしら?」
「いえ、ございません」
なんだ、敬語が話せるじゃんと思ったが、あえて口にはしなかった。
「ジェイク、アデルに何か用があるんですよね」
「七色ブドウのワインの味を確かめてみたい」
「希少価値の高い果物だから、どんな味か気になるわよね」
アデルは納得するように頷いた。
ジェイクはアデルから器具を借りると、樽の近くに立った。
そして、手の甲にワインの雫を落として口に含んだ。
「……これが七色ブドウの味か。特別視される理由が分かる。甘さと香りの深さがずば抜けている」
「まだ発酵の途中だから、時間が経てばもっと美味しくなるわよ」
「他の種類も味見をしても?」
「ええ、どうぞ」
ジェイクは一つ目の樽を味見した後、二つ目の樽に移動すると、同じように味見をした。
「七色の由来が分かる。たしかに全く味が違う」
ジェイクは全身で味わうように、じっくりと浸っているような様子だった。
その後も、ゆっくりと時間をかけて七つ全ての味見を終えた。
「そろそろ、店を開く時間なので、ジェイクも手伝ってください」
「ああっ、もちろん」
「今日はワインを見に来ただけだから帰るわね。それじゃあ、また」
「はい、いつでも来てください」
アデルは優雅に身を翻すと、店の外に出ていった。
俺はジェイクと二人で、店の準備を始めた。
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