カタリナとの別れのあいさつ
「マルク様ですね。中へどうぞ」
「どうも、失礼します」
俺はメイドの女に会釈をして、室内に足を踏み入れた。
カタリナは事務作業のようなことをしているところだった。
机の上に書類が並び、彼女はそれに目を通している。
服装はいつものドレスよりも質素なもので、彼女のシンボルの一つであるリボンはつけずに髪を下ろしている。
「今日は忙しそうですね」
「……おおっ、マルク。どうした? そこの椅子に座るといい」
カタリナに勧められて、彼女の近くの椅子に腰を下ろした。
「ありがとうございます。バラムへ戻る日が近づいてきたので、城を離れる前に挨拶をと思いまして」
「相変わらず堅い言い回しだのう。もっと砕けた話し方でもよいが……それはさておき、いよいよ郷里へ戻るのだな」
カタリナは事務作業の手を止めてこちらを見ていた。
仕事モードの顔つきが緩んで、親しみを感じる表情になった。
「ブルームから聞いた話では二日以内に出発できるそうで、バラムと王都の距離を考えたら、しばらく来ることはできないかと」
「……そうか、それは寂しいな」
カタリナは愁いを帯びたような表情を見せた。
何となくしんみりした空気になりそうなので、話題を変えることにした。
「城の人たちはベルン関連のことで多忙になりそうですね」
「うむ、そうなのじゃ。すでにこの状況で困ったのう」
カタリナはうんざりしたように、書類の束に目を向けた。
たしかに彼女の若さでこれを片づけるのは大変だろう。
「リリアたちの活躍で平穏が戻りつつあるようでよかったです」
「本当にそうだ。余もそなたも危ない目に遭ったからのう」
「いやー、あの時は危なかったですね。二度とご免です」
二人でうんうんと頷いた。
あの状況は体験した者にしか分からない緊張感がある。
カタリナの師匠が居合わせなければ、紙一重の状況だった。
「バラムへ戻ったら、自分の店を続けるのか?」
「はい、そのつもりです」
「余はしばらく王都を離れられそうにないが、いつかはそなたの店で焼肉を食べてみたいものだのう」
「焼肉を気に入ってもらえてよかったですよ」
カタリナが本心から言っているのだと分かって、うれしい気持ちになった。
焼肉そのものは転生前の記憶を下敷きにしたものでしかない。
それでも、自分の料理が評価されるのは好ましいことだった。
「今後も時間があれば王都を訪れてほしいのだ」
「はい、必ず」
カタリナの手を止めてしまっているので、この辺りで退室しようと思った。
部屋の片隅に控えるメイドからも、そこはかとなく空気を読んでほしそうな気配を感じていた。
「帰りの道中、気をつけてな」
「はい、ありがとうございます」
カタリナの方を見ると、年相応の可愛らしい顔をしていた。
その様子にどこか安心する気持ちになりながら部屋を後にした。
カタリナへの挨拶を終えてから、続けてリリアを探しに行こうと思ったが、歩いている途中で感極まって涙がこぼれそうだった。
俺は客間に戻ってから、間を置いて次に向かうことにした。
半ば自室のようになり始めている部屋に入り、椅子に腰かける。
目蓋を閉じてしばらくすると、徐々に気持ちが落ちつくのを感じた。
「さて、次はリリアに会いに行こう」
リリアは城内の警護をしているか、空き時間にどこかで鍛錬しているか、あるいはベルン監視団の業務で打ち合わせでもしているか――様々な可能性が考えられた。
これまで、用事がなくて立ち寄ることがなかったが、兵士の詰め所に行けば何か分かるかもしれない。
俺は客間を出て廊下を通り、兵士の詰め所に向かった。
一人で歩いていると窓辺から陽光が差しこみ、足元の床を照らしていた。
基本的に城というのは王様のために作られているはずなので、兵士のためのスペースというのは端の方に設けられている。
廊下から外庭に出てしばらく歩くと、目的の詰め所が見えた。
そこに向かって足を進めていると、見覚えのある人物が近づいてきた。
兵装に身を包んでいて気づくのが遅れたが、指揮官のクリストフだった。
「やあ、マルク……だったかな」
「どうも、クリストフさん」
クリストフはさわやかに声をかけてきた。
大浴場で話した時のように好感の持てる人柄だった。
一度会ったきりなので、こちらの名前をうろ覚えのようだ。
「こちらは詰め所だけれど、何か用事かな?」
「あっ、はい。リリアを探していて」
「そうか、彼女なら城門の方で衛兵の配置について確認していると思うよ」
「そうですか。ありがとうございます」
「どういたしまして」
俺は方向転換して、城門に足を向けた。
ここからは少し離れた位置にある。
詰め所の近くから移動すると、城門付近でリリアを見つけた。
他の兵士と何か話しているところだった。
今は手が離せないだろうと立ち止まると、彼女がこちらに気づいた。
そのまま立ち去るのも不自然だと考えて、リリアと兵士のところへ歩いていった。
「こんにちは、マルク殿。どうされましたか?」
「忙しいところなら、また後でも」
「いえ、お気になさらず。今後の警護体制について話していたところなのですが、つい先ほどまとまったところです」
「――では、自分はこれで」
二人で話し始めると、兵士は一礼して立ち去った。
こちらに気を遣ったというよりも、次の用事があるような様子だった。
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