アデルとの駆け引き

 アスタール山――バラムの町中から見えるわりと大きな山。

 その存在が日常に溶けこんでいるせいか、普段は気に留めることが少ない。

 バラムには雪が降らないため、白く染まるようなこともなく、一年を通して緑色を維持している。

 

 山中に栗の木が生える一帯があり、それを目当てに山へ入る人がいる。

 野生動物が多く、時にモンスターも現れることから、入山にはギルドの許可が必要とされている。


 翌日の昼下がり。俺は一日の営業を終えた店でアデルと会話を始めた。

 ギルドで得られた情報を伝えるという目的があった。


「ギルド長の話ではアスタール山に不審人物がいるみたいです。野営をするような場所ではないのに、テントを張って占拠しているらしくて」


「山に魔道具を作るのに適した素材があって、調達しながら錬成を続けている、みたいなことはありえるかもしれないわね」


 アデルはジェイクが用意したアイスティーをすすりながら、気軽な雰囲気で話していた。

 特別な食材の話題ではないせいか、そこまでの熱気は感じない。

 昨日の感触では魔道具を作る者にいくらか関心がある、それぐらいのあっさりしたものなのだろう。 


「ギルドは平和慣れしていて、そこまで本気ではないんですけど、あんまり放置しておくのもどうかなと思うんです」


 ランス城で暗殺機構の手の者と対峙した影響が根強くあり、気がかりを見すごしてしまうことに抵抗があった。

 大した被害がなかったとはいえ、エスカが巻きこまれたことも無視できない要素だった。


「あなた、雰囲気が変わったわね。前はもう少しのんびりしていたと思うけれど、向こうで何かあった?」


 向こうというのは王都のことだろう。

 アデルにはまだ話していないことがいくつかあった。

 店の常連であり、旅の仲間である彼女には話しておいてもいいだろう。


「隠すようなことではないですけど、王都にいる間に暗殺機構らしき勢力と戦うことがありました。わりと危険なところまで追いつめられて……」


「えっ、王都で不穏なことがあったとは聞いていたけれど、そんなことがあったの」


「城内は物々しい雰囲気でしたよ」 


 長きに渡る平和な時代を思えば、なかなか想像できないような状況だといえる。

 あまり深刻な表情を見せないアデルが顔色を曇らせていた。

 

「あなたの事情はともかく、アスタール山に謎の魔法使いを拝みに行くだけというのは気が乗らないのよね」


 アデルは顔を横に逸らして、遠くに見えるアスタール山に視線を向けた。


「心惹かれるかは分かりませんけど、あの山は栗が取れるんですよ」


「へえ、栗ねえ。久しく食べていない気もするわ」


 途中まで彼女の関心は低めだったが、栗という単語に反応を示したように見えた。

 今こそプッシュしておくべきタイミングなのかもしれない。


「ここの鉄板で焼き栗をしてもいいですし、市場には美味しく食べられるように加工してくれる店もあります」


「まあ、そこまで言うなら行くとするわ。魔道具を目にする機会も多くはないでしょうから」


「では、明日の営業が終わったら出発しましょう。日帰りで戻れる距離なので、ジェイクを手伝ってからにさせてください」


 丸一日店を空けると言っても、ジェイクは首を縦に振ってくれるかもしれない。

 しかし、店主の自分が彼に頼りっきりというのは好ましくないと思った。

 俺とアデルの話に区切りがついたところで、ふらりと店に立ち寄る人影が見えた。


「――あっ、姉さん」


 明るい様子で現れたのはエステルだった。

 ジェイクの話では昨日の遅い時間に焼肉を食べに来たらしい。


「あら、エス。見合いの件が済んだなら、村に戻った方がいいんじゃないの?」


「姉さんこそ、見合いのために戻ったら?」   


 姉妹の小競り合いが勃発するかと思ったが、それ以上はエスカレートしなかった。

 エステルは何ごともない様子で、俺とアデルの近くの椅子に腰を下ろした。


「おやっ、今日も来てくれたのか」 


 店の中からジェイクが出てきた。

 

「焼肉を食べに来たんだよ。一人前出してよね」


「もしかしたらお前が来るかもしれないと思って、肉を少し残しておいた」


 ジェイクは店の中に戻っていった。

 エステルはうれしそうに笑みを浮かべている。


「あれから、バラムに残ったんですね」


「村に急いで帰ってもいい返事はできないから。せっかくだし、この町に滞在しようと思って」


「王都に比べたらそこまで都会ではないんですけど、この町が気に入ったんですね」


「焼肉も美味しいし、姉さんやマルクたちがいるから安心だもの」 

 

 エステルに頼りにされるのは悪い気がしなかった。

 三人で話していると、ジェイクが肉の乗った皿や食器を運んできた。


「今日はいくつかの部位を少しずつ盛り合わせたものだ。タレは昨日のものより辛めの味つけだが、辛いものは苦手ではないか?」


「あんまり食べたことはないけど、多分平気かな」


「それはよかった。オレは店の中にいるから、何か用事があれば遠慮なく声をかけてくれ」


 初対面の時に比べると、ジェイクの愛想は飛躍的によくなっているようだ。

 相手がエステルであることを差し引いても、安心して見ていられた。


「俺はそろそろ帰るので、ごゆっくり」


「うん、またね」


「アスタール山の件はさっき話した通りでお願いします」


「ええ、また明日」


 アデルとの話が終われば、やることは残っていなかった。

 俺は椅子から立ち上がり、店から自宅に向けて歩き出した。

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