食後の紅茶と大浴場
サツマイモのタルトを食べ終えたところで、部屋で待機していた女が声をかけてきた。
「食後の紅茶をご用意しますね」
「ありがとうございます。どの料理も美味しかったです。ところで、あなたの名前を聞いてもいいですか?」
「アンでございます。お口に合ったようでよかったです」
アンは優しげな笑みを見せると、空いた皿をいくつかトレーに乗せて離れていった。
椅子に座って待っていると、アンがティーポットを運んできた。
熱いお湯が入っているようで、注ぎ口から湯気が浮かんでいる。
「温かい紅茶をお持ちしました。よろしければ、わたくしが注がせて頂きます」
「はい、お願いします」
アンは一緒に持ってきたカップを置いて、そこにティーポットから紅茶を注いでくれた。
俺はカップを手に取って、ゆっくりと紅茶をすすった。
良質な茶葉を使っているようで、豊かな香りを感じた。
「美味しいお茶ですね」
「お気に召してよかったです。お客様用の紅茶なので、高級な茶葉を使っています」
アンはティーポットを見ながら言った。
「たしかにそんな感じがしますね。ところで、アンさんは城で働いて長いんですか?」
「ふふっ、ご遠慮なく、アンとお呼びください。わたくしの家族がお城に勤めていることもあって、成人してからはこちらに」
アンは微笑みながら、こちらの質問に答えた。
この世界で成人というと十六歳なので、数年はこの城に勤めているのだろう。
「聞きにくいことですけど、暗殺機構の影響はスープの件以外もありますか?」
「わたくしは兵士ではなく、細かな状況は耳に入らないのですが、城内の警備は以前よりも厚くなったと思います」
アンは何かを思い出すような様子で話した。
暗殺機構に関しては機密情報も含まれるだろうから、彼女のところにまでは情報が届かないのかもしれない。
「不安にさせるような話をして、すみませんでした。以前から暗殺機構のことが気になっていて」
「いいえ、謝らないでください。わたくしはそこまで心配していません」
「えっ、そうなんですか。少し意外でした」
「衛兵のリリアが優れた剣技の持ち主なので、彼女が城を守ってくれると思います。それに他の兵士も精鋭が揃っていますから。簡単に侵入を許すとは考えにくいです」
「アンはリリアを信じてるんですね」
「ええ、もちろん。彼女の強さは城内では誰もが知るところです」
アンの表情からリリアを信じていることが見て取れた。
信じるに値するだけの実力があるのだと理解した。
俺はリリアが実力を出し切ったところを見たことがないので、彼女の全力がどれほどのものか興味が湧いた。
「王都には知り合いが少ないので、アンと話せてよかった。ありがとうございます」
「いえ、わたくしでよければ、いつでも話し相手になります」
アンはこちらを気遣うように、優しげな表情だった。
年齢以上に包容力を感じさせる印象がある。
気軽に話せるのはブルームとリリアぐらいだが、二人とも忙しそうにしていて手が離せない時間帯が多いのだ。
まだ王都に来たばかりなので、気軽に接することができる相手がいた方が心強い。
「ところで、今夜のご入浴はどうなさいますか? 城の大浴場をご使用頂けます」
「おおっ、いいですね」
この世界の一部の家庭には釜で沸かす風呂はあるものの、薪の消費や手間がかかる点が影響して毎日入浴する習慣はなかった。
ましてや、大きな風呂場に至っては温泉地まで足を運ばなければ入れない。
「本来は交代制で城の者も入るのですが、空いている時間に貸し切りになるように手配させて頂きます」
「えっ、それは悪いですよ」
「ご遠慮なく。誰も入らない時間帯もありますから」
「そうなんですか。それじゃあ、お願いしようかな」
「では、時間を確認して参ります」
アンはペコリと一礼すると、部屋を出ていった。
食堂はそれなりに広いスペースなので、一人だと寂しく感じる。
俺は少しぬるくなった紅茶をすすり、何げなく部屋の中を眺めた。
この世界に転生して、西洋に近い文化が当たり前になっていたが、何とも不思議な感覚になる。
今いる部屋の造りは洗練されたものであり、転生前の記憶ではインターネットやテレビで見たことしかない。
「こんなふうにもてなしを受けるとか、絶対にありえないよな」
いつかの辛い記憶が風化して、「バラムで生まれ育ったマルク」こそが今の自分なのだと実感できる。
それを実現してくれたのは焼肉屋の功績によるところが大きい。
「――お待たせしました」
俺がしみじみと考えていると、アンが戻ってきた。
「ご入浴の準備ができたので、これから入られるのはいかがでしょうか」
「……それでいいんですけど、着替えを取ってきてもいいですか」
「はい、もちろんです。お部屋までご案内します」
俺はアンに続いて部屋を出た。
食堂に来た道を引き返し、用意された客間に戻った。
「少し待ってください」
「ごゆっくりどうぞ」
アンはまるで専属の従者のように部屋の片隅に控えた。
おそらく、城内での教育の賜物のはずだが、彼女自身も優れた人格を有しているように思われた。
俺は持参した遠征用の荷物入れから、替えの下着とタオルの用途に使っている布切れを取り出した。
荷物入れを置き直した後、貴重品が中に入っていることを思い出したものの、城内の誰かが取ってしまうとは考えにくかった。
「お待たせしました」
「それでは、大浴場へご案内します」
俺は着替えと布切れを抱えると、アンに案内を任せて部屋を出た。
彼女と二人で廊下を移動すると、他の部屋とは趣(おもむ)きの違う部屋が見えた。
「あちらが大浴場の入り口です。中の脱衣所で服を脱いでお入りください」
「広そうなお風呂ですけど、貸し切りなんてありがたいです」
「マルク様はお客様なので、ご遠慮なく。ごゆっくりどうぞ」
俺はアンに見送られて、大浴場に続く扉から中に入った。
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