ランス城を出発する日
翌朝。ベッドの上での身体を起こすと、いつもより頭が重たく感じた。
フランシスたちと話すうちに盛り上がり、ワインを多く飲んでしまった。
二日酔いというほどではないのは、せめてもの救いだった。
馬車移動に伴う上下の揺れは最悪の組み合わせだ。
恐ろしい状況を想像したところで、ベッドから起き上がって水場に向かった。
用意された器に水を注いで口をすすぎ、続いて顔を洗うと、その後は寝間着から服に着替えて身支度を整える。
窓の外を見ると、すっきりと晴れた空模様で長距離移動に適した天気だった。
「……今日でこの景色も見納めか」
客間での生活は快適そのもので、貴族のような待遇に戸惑うこともあった。
こんな経験はバラムに戻ったら、体験することはできないだろう。
今日までの日々が大切な思い出になった気がした。
しみじみと感慨に浸ったところで、扉をノックする音が聞こえた。
アンが朝食を運んできてくれたのだと分かった。
彼女の動きは安定していて、今日もいつもと同じぐらいの時間だった。
「はい、どうぞ」
「失礼します」
アンはカートを押しながら、部屋に入ってきた。
食事が運ばれてきて、室内に美味しそうな匂いが漂う。
最初の頃は食堂で朝食を食べていたが、途中から夕食と同じように客間で食べている。
アンが運ぶ手間、俺の食べられる量も考えた結果、バイキング形式は一つの皿に必要な料理が乗る、モーニングプレートに定着した。
アンはこちらの方に歩いてくると、食事の乗った皿をカートから机に運んだ。
彼女が給仕を終えたところで声をかけた。
最後にお礼を言っておきたかった。
「今、少し話せますか?」
「はい、よろしいですよ」
「ご存じかもしれませんが、今日で城を離れます。色々とお世話になりました」
俺は椅子から立ち上がり、アンに向けて頭を下げた。
背中を起こして彼女の方を見ると、穏やかな表情でこちらを見ていた。
「とんでもございません。マルク様にご不便がないようにさせて頂くのがわたくしの仕事ですから」
「若いのにしっかりしてますね」
「多分、メイド長の指導が厳しいおかげですね」
「……あっ、なるほど」
「ふふっ、ここだけの話です」
アンは初めていたずらっぽい笑みを浮かべた。
きっと、普段の彼女はこんな冗談も言ったりするのだろうと思った。
「それじゃあ、朝食をもらいますね」
「お召し上がりください」
アンはカートを引いて、部屋の片隅に待機した。
最初の頃は微妙な緊張を覚えたものの、今では当たり前の光景になっていた。
俺は彼女を気にすることなく、食事に手を伸ばした。
今日のメニューは焼いたベーコンと温野菜、スクランブルエッグ。
主食はスライスしたパンを焼いたものだった。
城内での最後の食事ということもあって味わって口に運ぶ。
「うん、今日も美味しいです」
「お口に合ってよかったです」
俺の言葉にアンは微笑んだ。
彼女の心遣いも今日で最後と思うと名残り惜しい。
それから、黙々と口に運んで、朝食を食べ終えた。
食後にアンが温かいお茶を用意してくれたので、時間をかけて飲み干した。
「それでは失礼します」
「お疲れ様でした」
アンは食器の片づけが終わったところで、カートを押して立ち去った。
いよいよ、出発のために部屋を出ないといけないのだが、まだ実感がなかった。
すでにまとめられた荷物に視線を向けると、ここを離れることを惜しむ気持ちがあることに気づいた。
「色々あったな。今日でお別れか……」
寝心地のよかったベッド、何度も腰かけた椅子、外庭をよく眺めた窓。
いつの間にか、自分の部屋のような感覚になっていた。
「ブルームは急がなくていいと言ったけど、そろそろ行こう」
室内に見落としがないかを確認した後、荷物を持って部屋を出た。
扉を閉めて廊下を歩こうとしたところで、アンの姿に気づいた。
「マルク様、お気をつけて」
「見送りありがとうございます」
アンは美しい姿勢でお辞儀をしていた。
心からそうしてくれているのが伝わり、とてもうれしい気持ちになった。
城内を移動して玄関にたどり着き、そこから城門付近に至った。
するとそこで、一人の兵士が近づいてきた。
「マルク殿、お待ちください」
栗色の髪を肩口まで伸ばした青年だった。
まじめそうな雰囲気で、見回りの兵士にしては装備の種類が異なるように見えた。
「えっと、何かご用ですか?」
「バラムへの馬車を護衛する、エドワルドと言います」
「どうも、はじめまして」
「リリア様のご推薦があり、この任を受けました」
「あっ、そうなんですか。よろしくお願いします」
「危険のないようにお守りします」
リリアに選ばれただけあって、誠実そうな人物に見えた。
バラムまでは短くとも二日はかかるので、護衛の人選は重要だ。
もちろん、俺が選ぶことはできないが。
「このまま、出発してもよろしいですか?」
「そうですね、王都の馬車乗り場へ向かうつもりでした」
前日にブルームから場所を聞いているし、王都を散策した際にどこがそうなのかを把握する機会があった。
重要な交通機関であるため、わりと分かりやすい場所にある。
「では、参りましょう」
「はい」
俺はエドワルドと共に、王都の馬車乗り場へと歩き出した。
出会ったばかりではあるが、その横顔は頼もしいように見えた。
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