2-2 菅原家の庭にゴブリンあらわる

 テレビはまだどの局もニュースを流している。NHKと三つしかない民放をぐるぐる見るも、どこもかしこも、秋田県が異世界に行ってしまったことがニュースだ。


「支援物資を集めても秋田県はそもそも日本の外にあるのでなんの支援にもなりません」

 とか、


「秋田県のみなさん、身の安全を確保してください。ガソリンや灯油やガスは節約してください」

 とか、


「メガネのカァモヤァー、カモヤのメェガネー」

 とか、


「大館市立第一中学校修学旅行団は盛岡駅で足止めを食らっております。ご安心ください」

 とか、そういうことばっかりだ。ちなみにNHKEテレではいつも通り子供番組をやっていた。さすが安定のNHKである。なお、テレ東は秋田県では観られないのでわからない。


 お昼にとき子祖母ちゃんの作った味噌かやきをご飯に乗せてごへごへ食べて、庭をちらりと見ると、群れからはぐれたか、はたまた偵察に来たのか、ゴブリンが棍棒なんぞ持ってキョロキョロしていた。それを見たとき子祖母ちゃんは、


「あいしかっ。庭サなんかいる! 追っ払ってけれ!」

 と悲鳴を上げた。俺は窓を開けて「ごるぁっ!」と怒鳴ってみる。ゴブリンはケケケと笑い、挑発するような踊りを始めた。ムカついたので縁側に置かれている雪掻き用スコップをひっつかみ、サンダルをつっかけて庭に出て、スコップでゴブリンをがつんとぶん殴った。

 

 ゴブリンは目を回して倒れ、そのとき唐突に耳元で「ててててんてってってーん」と、ドラクエのレベルアップの効果音が聞こえた。レベルアップしたんかい。


 目を回したゴブリンはしばらくして起き上がると、大急ぎで逃げていった。

 あんがい、自己流でもなんとかなるな?


 ちょっと自信がついて調子に乗ってしまったところを姉貴に見とがめられて、

「いまのはゴブリン一匹だからよかったけどさ、群れで来たらどうすんの?」

 と言われてしまった。たしかにその通りだと素直に反省すると、

「あんたすぐ喧嘩始めるわりには素直だよね」

 と、真面目に言われた。


 話題は変わるが、異世界はどうやら相当に暖かいところらしく、日差しがキツい。とき子祖母ちゃんが奥村さんのおばさんに分けてもらった赤しそのジュースを出してくれたので、姉貴と一緒にありがたく飲む。頭の上のMPと書かれたゲージが回復する。赤しそのジュースでMP回復するんだ……。そもそも俺らにもMPってあるんだ……。


 とにかく、真夏そのものの天気だった。うかつに犬を散歩に連れ出すと肉球をやけどするやつ。赤しそのジュース(要するにしそを氷砂糖と酢に漬けたものらしい)をありがたく飲み、姉貴は部屋でぐうたらするようだったので俺は部屋でこっそりと「いつか偉大になる俺のノート」を取り出し、ちょっとだけポエムを書いた。


 俺は詩を書くのが好きなのだった。にまにましながら詩を書き、だれも見ていないのを確認して引き出しに仕舞った。


 俺の職種はなんだろう。吟遊詩人? でも俺楽器の類はなんもできないしな。

 ロマンチストの俺はしばし椅子の背もたれに寄りかかり、ぼーっと部屋の天井を見た。特になにも考えていなかった。


 そうやって、忘れそうになったが引き出しに鍵をかけようとしたところで、

「陸斗ー? ちょっと来てけれ」

 とき子祖母ちゃんが俺を呼ぶ。行ってみると、あきらかに作りすぎた浅漬けをタッパーウェアに詰めているところだった。


 浅漬け、といえば出汁や酢なんかに野菜を漬けたものというのが一般的だが、秋田県で「浅漬け」というと、米の粉に缶詰ミカンとキュウリの薄切りと砂糖と酢をぶちこんだ、どう考えてもおいしくないスイーツのことを指す場合が多い。甘いものの少なかった時代を生きていたお年寄りからすればとてもおいしいものらしいが、俺にはどうしてもおいしく思えない。


「これ、奥村さんのところサ届けてけね?」

「いいよ。行ってくらぁ」


 浅漬けのタッパーウェアを持ち、家を出た。相変わらず谷地町町内は平和だ。図書館も通常運転でやっているし、奥村さんの事務所には塗装の職人さんが出入りしている。


 奥村さんの家のドアベルをぴんぽーんと鳴らすと、相変わらず化粧の濃い奥村さんのおばさんが出てきた。社長夫人だけあってきれいな身なりをしている。


「あいあい、陸斗君。それ届けに来てけだの?」

「はい。祖母ちゃんが作りすぎちゃって。どうぞ食べてください」


 浅漬けのタッパーウェアをわたす。おばさんは俺に上がるよう言い、俺はお言葉に甘えて家に入れてもらった。また赤しそのジュースが出てくる。おいしいので飲む。またMPが回復する。


「おじさんは?」

「ゴン太を犬猫病院サ連れていったよ。最近ゴン太の目ヤニが多いって。過保護だと思うばって……ニワトリ道楽も辞める気ねっし」


 と、おばさんは嘆いた。

 奥村さんのおじさんは犬だけでなく闘鶏も大好きで、たくさんシャモを飼っている。


 みると室内には大型犬サイズのペットシーツやら犬用のクッションやらが置かれていて、どうやらゴン太は室内で飼われているようだ。あんなでかい秋田犬、室内で飼えるのか……。


「で、萬海ちゃんに彼氏とかいだって話は聞いてねの?」

「……はい?」


 唐突な質問にアホの顔になる。奥村さんのおばさんは、

「萬海ちゃんももうすぐ三十だべ、だれかいい人いるって話聞いてねの? とき子さんと手分けして萬海ちゃんの見合いの口探してらんだばって、最近は見合い婚するズ人も少ねくてや」

 と、勢いよく続ける。


「あ、あの、姉は……なんていうか。結婚するより働くほうが好きみたいで」

「え、だって陸斗君も甥っ子姪っ子の顔見たぐね?」

「い、いやその、別にっていうか、その、姉について結婚相手を探してもらえるのは、嬉しいんですけど、姉貴の、いや姉の意見を無視して結婚の話を探すというのはちょっと」


「やんだぁー。結婚式ったばめでたいものだよ。北秋くらぶでやればご馳走も法事とはわけの違うの食べられるし、なにより萬海ちゃんの花嫁姿なんて、想像すればするほどきれいだべなあって思うよ。陸斗くんも、きれいにしたお姉ちゃん見てみたいべ?」

「いや、まあ、その、そうですけど」


 奥村さんのおばさんは子供も孫も男ばっかりなため、姉貴を孫娘のようにかわいがるのであった。しかし結婚相手を探すとは、それ姉貴にちゃんと相談した上でやるべきことじゃないのか。そう思いながら赤しそのジュースをずずーっとすする。


 姉貴に、着物の花嫁衣裳なんか着せたら詰め物で華麗なる樽みたいになりそうだし、ウエディングドレスを着せたら胸元の主張が激しすぎやしないだろうか。姉貴も秋田美人のはしくれなので、花嫁衣裳を着せたらそりゃ綺麗だろうけれど。


「あの、俺、そろそろおいとまするス」俺はそう言い、立ち上がる。奥村さんのおばさんは冷蔵庫を開けて、

「あいしか、こんたものしかねえばって食べてけれな」と、俺にバナナボートを三つ渡してきた。まるで通貨みたいに使われているバナナボートをかかえて、おばさんに頭を下げて奥村さんの家を出る。ちょうどおじさんが帰ってきたところで、ごっつい外車が車庫に入っていくのだが、後部座席に乗せられたゴン太は俺を見るなり吠えだした。どれだけゴン太に嫌われてるんだ、俺……。


 ――そのとき。ちょうど、昔お社のあった路地のほうから、甲高い悲鳴が聞こえた。駆けていくと、優美な馬車が何かに襲われている。いや、馬車じゃない。引いているのはでっかいアヒルだ。これがたぶん大アヒルというやつなのだろう。


 見ると、馬車ならぬアヒル車は引き返すに引き返せないようで、女の悲鳴と、御者が鞭で魔物に応対する様子が見える。助けねば。MPも回復しているしさっきレベルも上がった。ダッシュで近寄ると、……相手は、いわゆるゴブリンチャンピオンだった。

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