8 秋田はじまたwww
8-1 秋田県民異世界に飽きる
アンケートの結果、秋田県が異世界にあることを喜んだ秋田県民はわずか二割である、ということだった。多くの秋田県民は、以前のような暮らしよい日本と地続きの暮らしを望んでいて、雪が降らないとか灯油がいらないとか二毛作ができるとか、そういうことを喜んでいるのは、ごくごくわずかな人間だけだった。さらに、モンスターが出るのを面白がっている俺みたいなのはなおさら少なく、大半のひとが迷惑と答えた。
でもちょっと考えれば分かる通り、もともと秋田県にはすさまじい頻度で市街地にクマが出没していたわけで、そのクマがスライムやゴブリンや化けコウモリやワーウルフになっただけではないか。猟友会が出動してバンバンやっつけているではないか。
要するに、秋田県民は、異世界にすっかり飽きたのである。秋田だけに。
最初は暖房がいらないとか二毛作二期作とかそういうことを喜んでいた。だが、この世界はびっくりするほど刺激がない。確かにテレビやネットで現実世界のことを知ることはできるが、もうファミマのお惣菜に新作ができても、ハーゲンダッツの新作が出ても、食べることはできないのだ。どんなに康楽館に異世界人が集まったって、もう東京の歌舞伎役者がやってきて本物の歌舞伎をやることはないのだ。オーパに新しいアパレルブランドの店が出ることもないのだ。好きな漫画の新刊が出ても読めないのだ。
秋田県警異世界探検隊だって、異世界の産物をもろもろ持ち帰りはするものの、どれも現実世界の物質のジェネリックだ。野菜も果物も品種改良が洗練されていないためおいしくない。
このニュースが流れてから、姉貴の表情が変に暗くなった。
姉貴はこの世界に秋田県を飛ばした張本人である。恨まれていると思っているらしい。人目を避けて行動するようになってしまった。気の毒なほど痩せてしまい、あまりものを食べたがらない。ミツ祖母ちゃんが心配してサラダ寒天を作って持ってきたが、姉貴はろくに食べずに、部屋に引っ込んでしまった。
あかりの家に遊びに行って、それをあかりのお父さんに相談する。姉貴が異世界転移の元凶であるという話はあかりから伝わっていたようで、
「だどもよ、いっぺん異世界サ来てしまったもの、戻りようがねえべさ」
と言われた。そうだけどあの暗い顔で暮らされると家が薄暗くなって困る。そう言うと、
「菅原君のお姉さんはそういういんたことを心配するひとなんだな。政治家向きでねが」
と、あかりのお父さんは冗談めかして笑った。姉貴が政治家になったら人体実験が合法になってしまう、と答えると、あかりのお父さんはうはははとゴリラみたいに笑った。
「いやー菅原君はおもしれえなや。地頭がいいんだべなあ」
「頭がよかったらもうちょっとマシな中学生活してあったすよ」
「でも陸斗頭よかったじゃん。陸斗をバカって言ってたのはバカばっかりだよ」
あかりのいらないフォロー。あかりは頭をぽりぽり掻いて、
「でも漫画の新刊が手に入らないのは悲しいなー。いまは各レーベルの漫画アプリがいっぱいあるから読むだけならできるけど漫画は紙媒体でないと」
と、読書家の顔をちらつかせる。あかりは部屋にバカでかい本棚を置いて、ぎっちりみっちり漫画で埋めている。あかりのモットーは「漫画と音楽には出し惜しみしない」である。
「紙媒体だば配信停止になっても読めるものな」
あかりのお父さんも同じ意見らしい。
「そうだよ。紙媒体は最強。ゲームだってダウンロード版よりパッケージ版が最強」
「中古屋サ売れるたいにだべ?」
「うん、まあ……それにパッケージ版なら箱があるからね。箱は飾るだけで楽しいもん」
と、あかりはそう言う。
あかりのお母さんがお昼ご飯を持ってきた。……マンガジューの骨付き肉。俺は初めて食べる。とき子祖母ちゃんが気味悪がるからだ。「だって元がどんな見た目の動物か分からねんだべ。そんなもの気味が悪くて食べらえね」というのがとき子祖母ちゃんの主張である。
あかりもあかりのお父さんもイルミィも、それどころかいかにも雄物川流域の秋田美人であるあかりのお母さんまでも、マンガジューの骨付き肉を、それこそ漫画肉を食べる漫画のキャラクターみたいな顔でがっついて食べている。しょうがないので俺も参加する。予想外の噛み応えに驚き、みょーんと餅のように伸びる食感にびっくりする。うん、うまいぞこれ。
「あのさイルミィ、あたしマンガジューがどういう生き物かわかんないんだけど、イルミィはわかる?」
と、あかりがイルミィに尋ねる。イルミィはしばし考えてから、テーブルの上のメモ帳にさらさら絵を描いた。……なかなかの画伯ぶり。牛とも馬ともラクダともつかぬ、というか動物に見えない。
とにかくマンガジューの肉を食べて、午後からはあかりの録りためたアニメを観ることになった。どういう理屈か知らないが、秋田県は地球にないのにBSやCSを観られる。衛星放送なのに衛星がないどころか月が二つある異世界で観られる仕組みが気になるが、姉貴に訊いたらきっと校長先生のお説教のごとき長広舌になるので訊けない。
しばらくぼーっと、ライトノベルが原作だという人気のアニメを観た。それほど、どうしても面白いというものではないけれど、あかりは楽しそうだ。楽しそうに、アニメのキャラクターについて長々喋っている。
「あのよ、あかり。お前俺のことどう思ってる?」
「オタク成分を全開にしてもドン引きしない最高の友達。あるいは生きているだけで褒めてくれる陸斗BOT」
即答だった。最高の友達……かあ。
「もしかして『SUKI』みたいな返事待ってた? ブラジル・スキ?」
唐突に昔のモヤさまに出てきた遊園地の人みたいなことを言ってきた。なおモヤさまは秋田県では三か月遅れである。
「い、いやそう言うわけではねーども」
「ならいーべした。っていうか仮にそう思ってても両親もイルミィもいるんだから言わねぇべった。さ、次のやつ見るべし……ってこれが先週分かあ。うーん、何を観よう」
あかりが考えているところに、イルミィが笑顔で言う。
「じゃあ、あのきれいな顔の殿方五人組のでぃーぶいでぃーが見たいわ」
「そうだ、それがあった。そうしよう。おかーさーん」
あかりはあかりのお母さんに声をかけた。あかりのお母さんは台所で食器を片付けている。
「あのジャニタレの実験番組のDVD観ていい?」
「いいわよー」
あかりは押し入れをがっと開け、プロテインの缶の横に置かれていた某ジャニタレのまだ若かったころに収録した実験番組のDVDを引っ張り出しデッキに突っ込んだ。ジャニタレのお兄さんたちが、お酢に玉子だのカニだのをつけて一か月経ったらどうなるだとか、天然パーマのスタッフの頭にカイワレ大根の種を蒔くとどうなるだとか、どうしようもないくだらなーいことをして盛り上がっているのをしばし見る。
「やっぱこのひとたちカッコイイわー……いまはすっかりおじさんになってるけど」
「はあ……」
「聞いてよ陸斗、うちの母、このひとたちのファンクラブに入るのに四十過ぎのおばさんの名前書くの恥ずかしいからって勝手にあたしの生年月日と名前使ったんだよ。だから見てよこれ。あたしがファンクラブ会員ってことになってる」
あかりは財布からジャニタレのファンクラブの会員証を取り出してみせた。
「でも異世界にいるからファンクラブ会報もこないし会員証の更新すらできないんだよね。あーあ、異世界つまんないなー」
「そうか? 俺は異世界たのしいぞ?」
「そりゃ男の子はそうだよ。モンスター退治なんてRPGに漬けられて育ったらあこがれだもん。だけどうちの親過保護だからさ、なかなか家から出してすらくれないんだよ」
「そうなのか?」
「そうに決まってんじゃん。父が凄んだからゴブリンはたまにしか出なくなったけどね」
「……そうか」
「おー? 実験のやづ観てらのか。これ面白ぇよな。でも菅原君、退屈でねっか?」
「い、いえ別に……あかりが楽しそうならそれで」
「んだが? そいだばいいんだばって……」
あかりのお父さんはしばらく考えて、
「あのや、菅原君。警察、秋田県警ってなかなかのブラック労働でよ」
と切り出した。公務員でもブラック労働なのか。ちょっと驚く。
「だから警察官サなるのは勧めねえばって、でもよ、秋田県が異世界にきて、よかったこともたくさんあるんだよ。秋田県はジジババしかいねべ、だからよ、日本さあったころは特殊詐欺とかも結構あってよ、それで忙しかったんだばって……もうアマゾンギフト券を郵便で送ることもできねえべ? アポ電も秋田県さ取りに行けねえことが分かってかかってこねぐなったしよ、駐在所勤務って案外暇であったんだばってそれなりにモンスター出るべ、だから給料に見合うだけ働けるしよ、それに若いころ逮捕術だ柔道だ剣道だって鍛えたのがそのまま活かせるしよ、俺はわりと楽しく異世界で暮らしてらんだよ」
「……そうなんですか」
あかりのお父さんはちょっと切なげで、でも嬉しそうな顔で喋った。俺は、それを姉貴に伝えようと、そう思った。
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