8-2 秋田県民疲労困憊す
ジャニタレの実験番組のDVDのあと、動物動画のDVDを眺めてから、俺は姉貴に迎えに来てもらうことにした。車がくるまで、イルミィとあかりと三人で、モッ太のために雑草を摘む。向こうから犬の吠え声がするので顔を上げると、よくイルミィがインスタにいっしょに写っているゆき子という白い秋田犬が必死の形相で俺に向かって吠えている――んん? 俺に向かって吠えている感じじゃない。振り返るとゴブリンが三匹ばかり、あかりのスカートをめくろうとしていた。
「うわっ!」と、あかりからそっけない悲鳴が上がる。俺は思いきりゴブリンを蹴り飛ばすがゴブリンは靴にしがみついてばたばたしている。靴をぶんぶんしてゴブリンを吹っ飛ばし、駐在所の壁に立てかけてあった古い物干しざおでぶん殴ってやる。
ゴブリンたちは悲鳴を上げて逃げ出した。あかりのお父さんがびっくりして出てくる。
「またゴブリン出たのかッ」あかりのお父さん、顔が真っ赤だ。あかりが、
「陸斗が助けてくれた……ああびっくりした」と、息切れ気味に答えた。
そこに、姉貴の車が来た。俺は摘んだクローバーとタンポポをあかりに渡して、
「お邪魔しました」と頭を下げて帰ることにした。姉貴の車に乗り込むと、姉貴はひとつため息をついて、
「……帰るぞ。きょうもタハタハの煮つけだ」
と、そう言った。
俺は帰りの道中、姉貴にあかりのお父さんの話をしたが、姉貴は左耳から聞いて右耳に出ていくかんじのリアクションで、ため息をついて、
「そうかあ……」
と答えるだけだった。
「姉貴、そんな思いつめるなよ。あんがい楽しい人だっているんだし」
「でもやぁ」
姉貴はヘトヘトのようだった。この「でもやぁ」というのは姉貴が疲れているときの口癖だ。よくない口癖なので、「姉貴、また『でもやぁ』って言ってるぞ」と注意してやる。
「おおいかんいかん、死んだ祖父ちゃんの口癖だ。そこまで悲しむことじゃない」
「なにがあったんだ?」
「いやこれは守秘義務が……ないか。いずれ県庁から発表になるんだべし。言っちゃおう。あのや、秋田県を日本サ戻すべし、って県庁から言われてらのや」
「……あ?」
姉貴は車を運転しながら冷静に話す。
「秋田県が日本から異世界に来て、迷惑してる人が七割、どうでもいい人が一割、喜んでる人が二割だべ。圧倒的に迷惑しているひとが多い」
「そのために喜んでる二割を切り捨てるったが?」
「そういうことになるなー。でも七割が迷惑してるったば、無理にここサ秋田県おいとくわけにいかねーべした」
「まあそうだばって……え、異世界から現実に戻れるったが?」
「理論上は。仕組みとしては異世界に来たときと同じ方法で日本に戻れることになるびょん」
俺はふと思った。ライトノベルとかネット小説の異世界転生モノって、現実に戻りたがるやつはあんまりいねぇよな。だから異世界でチートスキル使ってニコポして異種族のハーレム作ってウッハウハでやってるわけで。
「でも異世界転生小説で現実サ戻りたがる奴いねえべった」
「そりゃ小説だからだべ。異世界転生小説って要するに、可愛くてちょろいヒロインがいて、なんかチートスキル持ってて、ぼろ儲けしたついでに魔王やっつけて、みたいな話だべ。でも現実の秋田県民はチートスキルなんて持ってないべ」
たしかに。でも現代日本の技術はチートと言えるのでは。そう言うと、
「それだってだんだん使えねぐなるべよ。冷蔵庫が壊れたら終わりだで、それにたとえばあかりちゃんのお父さんはピストル持ってるばって、その弾薬だっていずれ尽きるべさ」
……その通りなのであった。
池内を抜けてローソンの角を曲がろうとしたところで俺のスマホが鳴った。ミツ祖母ちゃんから電話だ。イエデンだと出られないことがあるから、と電話番号を教えたのだ。
「あのっもしもし」
ミツ祖母ちゃんからかと思ったらロイだった。どうした。ちょっとうろたえているようなので、落ち着くよう声をかける。
「ばっちゃ様が、転んで足をくじいてしまって」
「えぇ!」
思わず素っ頓狂な声が出る。姉貴にそれを教えて、ローソンの駐車場で方向転換し、俺と姉貴はとりあえずミツ祖母ちゃんの家に向かった。
ミツ祖母ちゃんの家は昔、総菜屋さんだったのを無理に住居にしているので、とにかくまあ暮らしにくい家だ。ミツ祖母ちゃんは八十五になる。こういうことが起こっても仕方がない。着いてみるととりあえず冷やして様子を見ていたようだが、くじいた左足はひどく腫れて見るだに痛そうである。
「とりあえずここにいてもなんにもならん。医者にいこう」姉貴がそう言う。
「医者ですか」ロイはよく分かっていない顔だ。日本という国では、だれでも痛いとき具合の悪いときは医者にかかれるのだと説明する。ロイがいうには異世界で医者にかかれるのは一部の金持ちだけらしい。
ロイがミツ祖母ちゃんをひょいとお姫様抱っこして、姉貴の車に乗せた。ロイは留守番するらしい。骨関係に評判のいい、労災病院に向かう。走りながら俺が労災病院に電話を掛け、どうにか診てもらえるようだ。
医者に診せるなり、医者は言った。
「うーんと。とりあえずただくじいただけでしょう。治療するにも薬がない。痛み止めくらいしか出せないですね」
「え、そ、それはどういうことだすか」
ミツ祖母ちゃんはうろたえる。医者はレントゲン写真を見ながら、
「湿布の在庫がないんです。おうちに痛み止めの湿布があるようならそれを使っていただくことになりますね。ないなら痛み止めを飲んでもらって我慢してもらうことになります。ほら、異世界にいるから、薬がかたっぱしからなくなってしまって」
「あいしか……」
特に何の治療も受けられず、俺たちは扇田に帰ってきた。俺がミツ祖母ちゃんをおんぶして、姉貴が布団を出し、とりあえず横になってもらう。
「ロイ、世話を頼んでいいか?」
「まがへれ」ロイはヘタクソな秋田弁で答えた。
姉貴と帰路につく。二人とも残念でどんよりした顔。
「……悲しいな」
「うん、悲しい」
俺と姉貴はそう言葉を発して、家に向かった。とき子祖母ちゃんが帰って来て料理しているようだが、どうやらミズの油炒めとタハタハの煮つけらしい。
「なした? なんだか遅かったばって」
「それがさ」と姉貴が事情を説明する。とき子祖母ちゃんは、
「はった! 湿布だったらウチさ何枚かねがったっけ」
と言って鍋を放置して湿布を探そうとするのでとりあえず料理してけれと言って台所に戻ってもらう。とき子祖母ちゃんは落ち着かない様子で夕飯を作り、ろくに食べずに湿布を探し始めた。押し入れを開けたら埃がすごい。
「しかぁ……湿布なんもない。でも腰痛関節痛の塗り薬はある」
「今度届けるからそのへんに置いといて」姉貴がそう言いながらミズの油炒めをもぐもぐして疲労困憊の顔をする。俺も恐らく同じ顔だ。
「おめがだなしてそんた疲れた顔してらのや」
「そりゃ疲れるべった、病院さミツ祖母ちゃん送ってったんだからよ」
「だぁからさ! 病院なんて何回行ったって陰気で不気味でやなとこなんだよ!」
明かに不機嫌な菅原姉弟になってしまった。とりあえずミズの油炒めとタハタハの煮つけはとてもおいしかったが、それ以上に疲れていた。
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