8-3 秋田県民酒盛りができず悲しむ

 テレビをつけると秋田県警異世界探検隊が帰還したニュースをやっていて、秋田県警の制服を着た探検隊員が、異世界で見つけたもろもろを紹介している。にんじんはヒョロヒョロだしキャベツは丸くないし大根は葉っぱばっかり目立つ。ジェネリックにすらならない。


「……まともな野菜すらねんだか、この土地は」とき子祖母ちゃんがそう言う。その通りなのである、異世界にはまともな野菜すらない。秋田県にあった野菜の種を育てて種から種をとる試みも行われているそうだが、それでこの広い秋田県の需要を賄えるのだろうか、そもそも野菜の種ってメンデルの法則的に均一な子孫は残らないのでは、と、暗いことばかり考えてしまう。


「種苗交換会はやんねーんだか?」俺が姉貴にそう尋ねると、姉貴はあくびをして、

「知らね。そのうちやるってね?」と極めて雑な返事をした。


 カレンダーが日本と同じならそろそろ四月。日本にいたら俺やあかりは高校三年生になって、そろそろ受験勉強が本格化しているころだ。いや、あかりは県北一の進学校、鳳鳴高校の生徒だから、ひょっとしたら去年のうちに受験勉強が始まっていたかもしれない。


 受験勉強や就職活動をしなくていいのはありがたいけれど、俺だって人並みのキャンパスライフを送りたかった、とぼやくように考える。たとえばテクノうどん研に入って、テクノのリズムに合わせてうどんを踏みたかったし、ブッシュ元大統領みたいに飲み会サークルに入ってウェーイと盛り上がりたかった気もする。

 まあそもそも就職希望で進路関係のもろもろを提出していたのだが、それでもキャンパスライフというのは憧れてしまう。


 あかりだって、本当のところは大学生になって秋田を出たかったに違いない。


 はあ……。ため息が出る。あかりは典型的雄物川流域の顔だから、秋田県を出たらきっとモッテモテなんだろうなあ。「わー壇蜜そっくりー」とか「えー佐々木希のほうに似てるよー」とか「色白にホクロが藤あや子じゃーん」とか言われてさ。女の子からも男の子からも美人美人ってもてはやされて、きっと人気者になったに違いない。


 ――俺も、異世界に飽きてきているのかなあ。そんなことを、考える。

 確かに俺は異世界転生や勇者に憧れる程度にはガキだった。だけれどいざ転生した異世界では、特にチョロいヒロインはおらず、魔法もとりあえず使えず、ただの秋田県民であることになんの変化もない。魔王を追い返したが勇者になるのは辞退せざるを得なかった。


 秋田県が異世界に飛ばされて変わったことはクマの代わりにモンスターが出るようになり、気候が沖縄なみにホカホカになったことくらいだ。


 秋田県民は、もう異世界に飽きているのだ。四月だというのに夜桜の宴会もできない世界では、秋田県民は生きていけないのだ。


 夕飯のあとシャワーを浴びて寝た。

 夢を見た。秋田県がもし元の世界にあったら、という明晰夢だった。俺は、制服に着替えて、大館駅から弘前に通っている。道中やることはもっぱら単語カード。

 あかりは「受験勉強忙しくてさー」といって無駄話のメールにすら応じてくれない。

 そして俺は眉毛が欠けているゆえに、クラスでちょっとビビられている。

 進路相談で就職希望だと言うと「工場は?」と勧められる。大館近辺で「この仕事なら安泰だ」と言われるのは、医療機器工場か市役所である。

 そんなのは、いやだ。


 強くそう思いながら、目が覚めた。きょうも暑くなりそうだ。適当なTシャツとジーパンに着替えて部屋を出る。姉貴がなにやら白い氷を氷結魔法の杖で作っている。


「なにやってんだ」

「パッピンスーっていってさ、牛乳凍らして削ってみたんだ。たしか台湾だったか韓国だったか、そのあたりで人気の夏のスイーツ」

「……台湾と韓国じゃえらい違いだと思うばって」

「……言われてみれば確かに。まあいいじゃん、食べてみ」


 姉貴はミスドのガラス皿に盛りつけた牛乳を凍らせたやつを俺に差し出した。しゃくっと食べてみる。アイスクリームとは言わないが、結構おいしい。


「んまいじゃん」

「どれどれ。おお、うまいうまい。次はなにを凍らせよう」


「あんま冷蔵庫の中身かってに凍らすととき子祖母ちゃんに叱られるど」

「わかってらぁ。んー美味」


「姉貴、仕事はいいのか?」

「うん、きょうは非番。行ったって秋田県を元に戻す議論しかないしね。なにか、秋田県民がみんなここを好きになる手を考えなきゃ」


「酒盛りする機会が少なすぎるってね?」

「?」


 俺は持論を展開した。秋田県民は、酒盛りするタイミングがないのだ、と。

「確かに。桜も咲かないし月見酒ったってしじゅう満月の月が二個浮かんでるだけだし、当然雪見酒もないし、なるほど、酒盛りのタイミングを逸している……と。カレンダーがグダグダだからお祭りを開催するタイミングもつかめないし」


 そうなのである、異世界に飛ばされるという大事件のせいで、大館神明社のお祭りも、アメッコ市も行われなかった。当然竿灯も花輪ばやしも角館やまぶっつけもなかったし、小正月のぼんでんや大綱引きといった、お祭りらしいお祭りはなにも開催されていない。


 なお大館神明社のお祭りは、あかり曰く「秋田県じゅう転勤して回ってらけどこんたガサツなお祭り初めて見た」レベルのガサツさらしい。あかりは基本的に角館でとれた人なので、角館やまぶっつけを最高のお祭りと認識しているようだ。死人出たことあったべした、と突っ込んでやりたいと毎度思うのだが、あかりが悲しいのではと思って言いだせないでいる。


 姉貴は凍らせた牛乳をひとしきり食べた後、ミツ祖母ちゃんのところに痛み止めの塗り薬を届けに行った。帰ってきてぼーっとしていると、玄関チャイムがぴんぽーんと鳴ったので、玄関に出る。環奈ちゃんだ。


「陸斗、どっか楽しいとこ連れてって」

「た、たのしいとこ?」

 環奈ちゃんは頷く。どうやら学校の図書室の本はかたっぱしから読んでしまい、青空文庫も興味を惹かれるものはだいたい読んでしまったらしい。退屈しているのだ。


「ならプールにでも行けばいいべ」

「やだ。プール汚いもん。日焼けするし水着恥ずかしいし」


「……ううんと」俺は考え込む。移動手段はチャリンコしかない。まあ上がれ、と家に入れる。きょうはババヘラが非番のとき子祖母ちゃんが、しそジュースを出してくる。


「あーあ。学校あったらいいのになぁ」環奈ちゃんはそうつぶやいて、子供らしく肉の詰まった感じのする脚をバーンと畳になげだす。

「なしてだ? 永遠の夏休みだど?」

「だって学校あったらあたし三年生だよ、三年生になったら生活科が理科と社会になる。そしたらもっと難しいこといっぱい勉強できるじゃん。それに、夏休みっていったってさ、アイス売ってないしジュース売ってないし、そんなのつまんないよ」


 ……やっぱり、秋田県民は、異世界に飽きている――。

 とき子祖母ちゃんが、環奈ちゃんに山菜のスジの剥き方を教えて、環奈ちゃんが調子よくスジを剥いているのをしばし見てから、俺はスコップを背負い見習い等級のドッグタグをぶらさげて近所のパトロールに出かけた。


 もうモンスターは秋田犬の毛をそれほど怖がらない。

 奥村さんのおじさんがでっかい車で走ってくる。助手席にはゴン太のでっかいシルエット。どうしたんだろう。おじさんが降りてきて、


「犬猫病院さ行ってきたばって、ゴン太の目ヤニの薬、もう在庫がないどやー……」

 と、そうぼやいた。確かにゴン太の目もとにはくっきりと目ヤニの痕がついている。ゴン太は俺に気付くなりわうわう吠え始めた。どんだけ犬に嫌われる体質なんだ、俺。


「ほれゴン太吠えればだめだー。陸斗だべー」

「うー、わんわんわん!」

「別に気にしてねっすよ、俺この通り顔がこうだから、犬から見たらやくざ屋さんか何かに見えるんだすびょん」


 俺の渾身の自虐ネタを、奥村さんのおじさんは真面目な顔で聞いて、

「だどもよ、陸斗は俺の知ってる近所のわらしでいちばんやさしい子供だど」

 と、真面目トーンで返してきた。――俺が小学生のころ、あまりにクラスメイトを殴るので、親のほかに民生委員である奥村さんのおじさんも学校に呼ばれたそうなのだが、そこでおじさんは『陸斗よりやさしいわらしはいねど』と力説したらしい。


 はははは……。

 とりあえず近所は異常なし。家に帰ってくると姉貴がもう帰ってきていた。ミツ祖母ちゃんは、ロイがとても献身的に看病しているらしく、心配しなくてよいようだ。

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