8-4 異世界にて桧木内川堤の桜満開す

「はー……酒盛りがしてぇなや……」


 姉貴よ、なに訳わからんことを言っている。酒盛りってなんかめでたいことでもないとできんだろ。そう言ってやると、


「ロイで妥協するか……いや三々九度の盃でステータス異常になられても困るし」

 と、あらぬ方向でめでたい話を始めた。いや確かにめでたいけれども、姉貴が萬海・ギルデロイになるのはなんだかいやだなあ。


 家では環奈ちゃんが一生懸命山菜のスジを剥いていた。いっそとき子祖母ちゃんより丁寧なレベルだ。夢中になったときの集中力がすさまじいタイプの子供さんらしい。姉貴が観察して「なかなかいあんべでないの。山菜好き?」と声をかけると、環奈ちゃんは山菜から顔を上げずに答える。

「うん。たまにお母さんのほうのじいじが持ってくる」

 ああ、環奈ちゃんの家で一緒に暮らしていたおじいさんおばあさんは、いま施設にいるんだっけ。なんだか悲しくなってしまう。


 不意打ちで俺のスマホが鳴った。びっくりして取り出すと、あかりから電話だ。

「はいもしもし……」

「り、陸斗! テレビつけてみテレビ!」

 あかりはなかなか絶叫調にそう言った。テレビをつける。


 うわっ。

 驚いた。そこにいた全員が、驚いた。


 映されていたのは角館の桧木内川堤である。異世界では咲くことのないはずの桜が、一斉に花をつけて堤を埋めていた。そして、河原にはブルーシートやござが広げられ、みな飲めや歌えの大宴会を繰り広げている。


「ちょ、こ、これはどういうことだ」

「わかんないよ! わかんないけどこれから大至急で内陸線に乗って角館行くんだけど、陸斗とかマミさんとかもくる? 夜桜見物になっちゃうけど」

「お、おう、俺は行きたい。ちょっと待って」


 俺は姉貴にどうするか聞いた。姉貴は返事をするかわりに、台所の床下貯蔵庫から「高清水純米大吟醸」を出してきた。とき子祖母ちゃんは留守番するという。環奈ちゃんのほうを見ると、スマホでお家の人に連絡しているようで、どうやら付いてくる気らしい。決定。


 姉貴の車で駐在所に着くと、きょうは非番だというあかりのお父さんが、バーベキューセットをバッグに押し込んでいるところだった。あかりのお母さんはスーパーに肉を買いに行ったようだ。あかりはなにやら品のいい白いワンピースを着ていて、イルミィも似たようないでたちである。


「よぉし準備できたど。お、菅原君のお姉さんでねっか。それは――高清水純米大吟醸!」


「やっぱ楽しいことがあったら、めぇ酒飲みたいでねすか」


「そっちのお子さんは」

「近所の石垣さんの環奈ちゃんって子です。お花見行きたいって。それで親御さんの了解もらってついてきたんですよ。いつぞやチャリンコの後ろサ乗せてた子です」俺がそう説明すると、あかりのお父さんはかがんで環奈ちゃんに目線を合わせると、

「楽しいどおー、桜見ながらマンガジューの肉食べるべし」

 と、笑顔で答えた。あかりのお父さんの笑顔、結構怖い。そうやっているところに買い出しに行っていたあかりのお母さんが戻ってきた。


 あかりのお父さんのでっかい車に乗り、大館駅に向かう。近くの駐車場に車を停め奥羽本線で鷹巣に向かい、そこから内陸線に乗り換えて数時間角館まで列車に揺られる。珍しく混雑している内陸線は至ってのんびりと、山の中を走っていく。空が青い。山が青い。なんてきれいなところなんだろう。


 あかりの口から、

「秀麗無比なる鳥海山よ」

 と、そんなフレーズが漏れる。気がつくと俺はその続きを歌っていて、

「狂瀾吼え立つ男鹿半島よ」

「神秘の十和田は田沢と共に」

「世界に名を得し誇の湖水」

「山水皆これ 詩の国秋田」

 と、気がつけば内陸線の車内は秋田県民歌の大合唱になっていた。


 内陸線はボックス席になっている。もうほとんどの人が酒盛りを始めていた。

 姉貴とあかりのお父さんも、すでに「とりあえず生」タイムを始めていた。県産の地ビールを、ぐびぐびとおいしそうに飲んでいる。


「ぷはー!」

 姉貴が口の周りにビールの泡をくっつけて満足げにしている。あかりのお父さんもそんな感じだ。


「あーあーもう、桜見る前から飲んじゃって……あたしらもおやつにしよっか。ポワポワボート買ってきたよ」


 あかりがそう言って保冷バッグからポワポワボートを取り出す。もうポワポワの安定供給が可能になっているのでおひとり様一個の制限がとれたらしい。ありがたくいただく。とても秋田県民好みの田舎味である。環奈ちゃんはうれしそうにもぐもぐ食べている。イルミィも、おいしそうに食べながら、

「アキタケンでは庶民でもクリームのお菓子が食べられるんですのねえ」

 と、のんびり言う。


 角館に着くまでに結構時間がかかった。いまどき珍しい硬券の切符をながめつつ、日本一まっすぐなトンネルだのを通り、角館にたどり着く。


 列車を降りるともうすっかり夕方で、それなのにすごい人だ。秋田県民も異世界人もごっちゃになって、武家屋敷通りだのをうろついている。あかりに案内してもらって桧木内川堤に出た。


 うわ、すんげえ。

 空の濃紺とオレンジの混ざる夕暮れに、優しいピンクの桜の花が広がっている。こんなすごい桜初めて見た。あまりのすごさになにも言えなくなっていると、


「今年は大当たりだわ」と、あかりのお母さんが言った。

「大当たり?」姉貴が不思議がると、あかりのお母さん――生粋の角館人――は、

「毎年すごい桜の咲く土地ではあるけど、こんなにすごいのは初めて見た……」

 と、しみじみ言う。そんなにすごいのか、この桜。


「うわーすんごいなや。もう河原にシート敷く場所なさそうだなあ」

 あかりはそう言い、イルミィとシートを敷く場所を探し始めた。わりと隅のほうに、シートを広げて、バーベキュー機材をセットし、お花見が開始された。


 見れば花見をしているのは秋田県民だけでなく異世界人もいて、異世界人同士で固まるのでなく、秋田県民と一緒に酒盛り(おそらく黒糖焼酎)をしている。


 紙皿がないとかコンロの火が消えてしまったとか、そういう場合は秋田県民も異世界人も、笑顔で協力し合っている。


 俺は、桧木内川堤に、ユートピアを見た。

「マンガジューの肉焼けたよー」


 あかりがコンロの上でトングをつかってマンガジューの肉を焼いており、あかりのお父さんから取って食べ始めた。みんなで肉を食べ、姉貴とあかりのお父さんは酒を再開した。環奈ちゃんはマンガジューの肉を食べるのは初めてだという。


 マンガジューの肉がなくなったら、あかりの家の台所から出てきたというスルメをあぶって食べ始めた。まさに飲み会以外の何物でもない。


「ねえ陸斗、あかり、セルフィ―撮りましょう」イルミィが自撮り棒を出してきた。俺は自分の顔がネットにUPされるのはちょっと嫌だなと思ったが、イルミィが楽しそうなので参加することにした。ぱしゃり。桜をバックに、俺とあかりとイルミィが画面に収まっている。


 イルミィは桜の写真を撮るのに夢中のようで、俺とあかりが取り残された。

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