7-5 マッドサイエンティストしょんぼりする
「……陸斗は、元の世界に思い残したことってある?」
と、姉貴が妙にしおらしく聞いてきた。
「高校の修学旅行サ行ってない。行先はたしか沖縄だからたぶん戦争の遺構とか水族館見せられるだけだと思うばって」
「そうかあ……わたしはないんだけどなあ」
「どうした?」
「んーん、なんでもない」
姉貴はそう言うと氷結魔法の杖を出してきてシャリシャリやり始めた。まだかろうじて魔法の効果は切れていない。ごくごく弱い力で、水を凍らせかき氷を作っている。
「かき氷がうまいっ」姉貴は氷にしそジュースの原液をかけて食べている。
「とき子祖母ちゃんは?」
「んー? 今日もババヘラの仕事だどやー。秋田県は本当に、いいところだ」
姉貴は、しみじみとそう言う。
俺も新聞をひろげてみる。魔王がいなくなり秋田県のランドマークが解放されたことが書かれており、それには菅原家の人々が大活躍したのだ、とある。俺は勇者になることを辞退したが、それでもこの秋田県を救ったのは菅原家なのだ。
秋田県民は、異世界に適応していた。異世界の人々も、突如現れた秋田県を、歓迎していた。
これでいいのではないか。
どうせ秋田県が日本にあったって、人口が流出してどんどんさみしいところになっていくのだし。
きっと姉貴はそういうことを考えている。なにか哲学的な顔をしているからだ。
「あ、思い出した」
「なにを?」
「言うつもりで忘れてたんだけどさ、冬になるとホムセンの前に『あじまん』ってできるじゃん。なかなかチャレンジングな中身の今川焼売ってるやつ」
「ああ、そこまで説明されんでも知ってる。普通に今川焼屋で買ったほうが安いよな」
「あじまんってさ、本社が山形だから、もう食べらんないんだね」
「え、あれって本社が山形なのか? 知らねがった」
「あと、いとくとかサ前よくあった『スタミナ源たれ』もさ、本社が青森だからもう食べられねーよ」
「まじか……あれ好きだったんだけど」
姉貴が考えていたのはなかなかくだらないことではあった。だけれど、姉貴は大まじめだ。異世界でもインフラが無事とはいえなかなか不便な暮らしであるのは間違いない。
「異世界に飛ばすって、姉貴のアイディアなんだが?」
「うん、研究施設って東京の地下サあるんだばって、そこの秋田県出身者はわたしだけでや。異世界が電波望遠鏡で観測されてや、そいで何か異世界サ飛ばしてみるべしってことになって、秋田県はどうだ、って言ったのがわたし」
「なして秋田県を飛ばすことで決定になったんだ? ほかにも飛ばせそうなものはいろいろあるべった、たとえばモテない冴えない地味な陰キャみたいな男の子とか」
「……おう、ライトノベルの定番だな。だけどよ、仮に個人を飛ばしても、それで異世界はどうなっているのか、調べることはできねーべ?」
「ま、まあ、そうだばって」
「だからや、最初から規模の大きいものを飛ばすべしってことにはなってあったのや。そいで、秋田県を飛ばす方向で決定した」
「はあ……」
「でも今になっていろいろな議論が出てきて、ちょっと難しいことになってらの。秋田県が日本からなくなって、たとえば米と枝豆の流通が足りないとか、比内地鶏の料理がウリの店が困ってていまは名古屋コーチン使ってるとか」
「名古屋コーチンねえ」東海地方の地理は名古屋がどこなのかすら知らないのであった。
「……本当に、いいことだったのかなあ」
姉貴は人格に似合わない悩み顔だ。俺はしばらく姉貴の顔を眺めて、
「でも俺は楽しいよ」と言ってやった。姉貴は少し考えてから、
「陸斗が楽しいって言ってけるんだば、それでいいような気もするばって。あぁ……うん、陸斗。陸斗が楽しんでれば、姉さんは嬉しい」
「なんだ、そんな思いつめた顔して。姉貴らしくない」
「はははは……まあ、いろいろあるのさ、マッドサイエンティストにも。とりあえず……県庁の調査結果が出るまでなんとも言えないし」
「県庁の調査? なんだそれ――」
ぷるるるる。ぷるるるる。電話が鳴った。ミツ祖母ちゃんから買い物のお願いだろうか。出てみると、合成音声のアナウンスが流れた。
「こちらは秋田県庁です。簡単なアンケートにお答えください」
……これか。なんとナイスタイミング。合成音声は、
「最初の質問です。秋田県が、異世界に飛ばされたのを、嬉しく思う方は1を、どうとも思わない方は2を、困ると思う方は3を押してください」
そう言われて、どう答えていいか、俺は詰まった。確かに異世界には面白いものがたくさんある。だけれど魔物は出るしたけや製パンのバナナボートの中身はバナナでなくなってしまった。どう答えればいいんだろう。
とりあえず1を、思い切って押す。
「なにが嬉しかったか、次のうちから選んでください。灯油がいらなくなったことが嬉しい場合は1を、雪が降らなくなったのが嬉しい場合は2を、二毛作・二期作ができることが嬉しい場合は3を――」
そういう調子でしばし電話は続き、俺は「どれにも当てはまらない場合は9を」の、9を推し続けた。
電話アンケートが終了して、姉貴の顔を見る。研究施設に行く前より、少しやつれたように見える。なんとなく心配になって、
「……姉貴?」と声をかけると、姉貴は目線をはずしてなにか考えているようだった。声をかけてほしくないのだ。なにか悩んでいる。姉貴はマッドサイエンティストながら、感性は中学生で停まっているので、なにかつらいことや悲しいことがあると露骨に顔に出る。
「姉貴、そんな顔してらのはらしくないど。魔王は追っ払ったしよ、ニコニコの異世界生活だ」
「……そう、だな。うん、悩んだってどーしようもない」
姉貴はそう言うと、もたれていた壁から体を起こして、
「なにか、しょうもないことを考えていたみたいだ。実にらしくない。らしくないぞ菅原萬海よ」と、己を鼓舞するように言った。
姉貴は、これからいとくに夕飯の買い出しにいくぞ、と俺に言った。おう、と答えて、ちゃんとした格好に着替える。Tシャツはヘビロテでだんだんくたびれてきた。
姉貴の車でいとくに向かう。道中見える道はいささかさびれ気味……なのだが、ドブさらいの仕事を請け負った組合員たちがスコップでドブを引っ掻き回している。
それだけでも、異世界に来てよかったのではないかと、俺は思う。異世界から東京や仙台に出ていく人はいない。暦がないから、あかりも県南サ引っ越すこともない。
あかり。
あの笑顔を思い出す。あかりはなんで、俺なんかに優しくしてけるんだべ。家サ呼ぶ友達は俺一人だとあかりのお父さんは言っていた。あかりは、俺のことを、本当のところ……どう思っているんだろう。
「なにぼーっとしてる。買い物すっぞ」
姉貴に背中をブッ叩かれた。いとくの駐車場で車を降りる。とりあえず鹿角の桃豚を確保し、それから異世界野菜をいろいろ仕入れ、姉貴が酒のアテにするのだと枝豆を買った。いとくの店内に、冷凍食品や全国展開の商品の姿はない。ちょっと寂しいと思う。
家に帰ってテレビをつけると、秋田県庁からいろいろと発表されているところだった。
佐竹知事が難しい顔をして、
「県民に対するアンケートでは、秋田県が異世界に来たのを喜ばない声が非常に大きいです」
と、そう言った。
秋田県は、日本に、戻ってしまうのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます