異世界秋田第二部 ジェネラル・フロストの侵略

1 秋田県に冬襲来す

 秋田県が異世界に移動して、現実世界では一年が過ぎた。もう、現実世界では秋田県というものを、誰も気にしていなかったし、秋田県民も現実世界への興味を失っていた。


 まあそもそも県全体の人口が仙台市ひとつ、札幌市ひとつに負けている僻地である、日本から消えたところでだれも気にしないだろう。せいぜい、比内地鶏を売りにしている焼き鳥屋とか、日本酒マニアとか、コメの産地ごとの握り比べをやっている高級おにぎり屋が困る程度。とにかく、秋田県が消えたところで、現実世界の人間はなにも気にしないし、秋田県民ももともと日本のド僻地で暮らしていた民族なので、新しい電化製品が手に入らなくて困る、くらいの感覚で生きていた。


 そういうわけで、俺、菅原陸斗は、きょうも家の倉庫に渡してある梁にしがみついて懸垂をしている。楽しい。秋田県が異世界になったのならムキムキ勇者になりたいと考えた結果、筋肉質になってしまった。最初はYouTubeでトレーニングの動画を見ていたが、スマホの調子がよろしくないので、最近はひたすら懸垂とスクワットを繰り返している。


「ホント飽きないな。そんなにマッチョになってどうすってや」


「そりゃあ、ご近所を魔物から守るに決まってらべ」


 庭の掘っ立て小屋ラボから現れた姉さんにそう反論すると、姉貴はため息をひとつついて、

「人間ごときに防御できないものだったらどうする」と言ってきた。


「人間に防御できないもの?」


「たとえば冬とか」と、姉貴は真面目な口調で言う。冬? 秋田県は現状、ドのつく常夏だで。そんたらもの来るわけねえべ、と反論すると、姉さんはうむむと唸ってから、


「じゃあ陸斗、おめ『冬のルクノカ』に勝てるったが?」と聞いてきた。なんだそれは。詳しく話を聞くと、姉貴が電書で読んでいるライトノベルに登場する、冬をもたらす最強のドラゴンのことらしい。そんたものこの世界サいるんだべか。


「つうか姉貴、電書の端末持ってんの。俺も本読みてぇんだばって」


「貸さねよ、弟に堂々と見せるのがはばかられる本も入ってるから」

 どんな本だ。逆に気になる。


「ま、陸斗の『秋田県を守りたい』という思いは素晴らしいと思うよ。その信念を貫き通す、という固い意志も評価する」


 姉貴はそう言い、掘っ立て小屋ラボからなにやら持ち出してきた。なんだろうと思ったら、俺のスコップに勝手に火炎放射器を取り付けていた。


「そういう魔改造やめてけれって何度言えば分かる」


「だって間合いを詰められない敵が相手だったらどうする」


 ……確かにそれもその通りだと思った。俺は素直なのである。


 イエデンが盛大に鳴った。とき子祖母ちゃんが出る。


「はーいもしもし……あ、あかりちゃん。陸斗だか? いま呼ばってくる」


 そう、俺のスマホの調子がよろしくない結果、あかりはイエデンにかけてくるようになったのである。これじゃ昭和のカップルじゃないか。とにかく電話を代わってもらう。


「もしもしー」


「陸斗? いまヒマ? ヒマなら遊びに行っていい?」


「いや別に構わねーばって、俺んちサ来てもなんも面白れぇものねぇべした」


「狭小物件の駐在所よりだば陸斗んちのほうがリラックスできるおん」


 そういうものなのだろうか。少ししたらあかりが遊びに来た。あかりは相変わらず雄物川流域の顔で、ただし日焼け止めが切れてしまったらしく心なしか小麦色になっている。このままではコンガリギャルになってしまう。


 あかりはなにやら写真を持ってきていた。年単位の前倒しで振袖の写真を撮ったらしい。全体的にスモーキーピンクできれいな柄のぎっしり入った振袖を、とても美しく着こなしている。


「きれいだな」素直に感想を述べる。あかりはちょっと照れた顔をして、

「似合ううちに着ておけって言われてや。そのまま見合い写真サも流用できるし……見合いとかする気はねぇんだども。その……や」と、なにやらモゴモゴした。


「あいっ! あかりちゃんきれいだごど! 陸斗、おめはどうする? 紋付袴どこサしまったべか。それともタキシードにするが?」


 とき子祖母ちゃんが突如として暴走し始めた。いや、結婚しないって。まだ十代だって。祖母ちゃんの一番上の姉、松子さんは十九で結婚したと聞いたけれど、いま十代で結婚するのはヤンキーと相場が決まっている。


「だからまだ結婚とかさねでば!」


「陸斗、この機を逃したら魔法使いにジョブチェンジすることになるかもしれねど」


「姉貴も不穏なこと言うのやめれでば!」


 いや俺だって早いこと童貞を卒業したいよ。しかしあかり相手にそういうことをするのが想像できんのである。あかりは俺の暗黒だった中学生時代に現れた救世主で、「オタクに優しいギャル」でもあり、あるいは「隠れオタクの同志」でもあるのである。そんなあかりを相手に、その、そういうことをするのは想像できない。


 深く深くため息をついた。


 とき子祖母ちゃんは山菜の皮を剥くのもほどほどにタンス大捜索を始めてしまった。父さん母さんの結婚式のときの紋付袴を探しているらしい。やめれでば。


「……陸斗は、あたしと結婚したくないの?」


「結婚したくないとかじゃなくて、付き合うところまでは想像できたけど、結婚してしまうのは、なんていうか想像がつかない。結婚するってことは毎日ヤラせろってことだぞ」


「毎日は無理だよ~。女の子の日とかもあるもん」


 そういうことじゃなくてだな……。ぜんぜん話が通じない。


 またしてもため息をつく。深く深く、ため息をつく。


 とき子祖母ちゃんがつけっぱなしにしていたテレビをちらと見る。もう完全に秋田県内のニュースは異世界仕様だ。どこそこ藩王国で王様がどうだとか、魔物の出現予報だとか。


「のんきに結婚の話とかしてる場合でねえべよ、ここは異世界だど」


「でも秋田県が異世界サ飛ばされたためにこうして結婚の話してるんだで? もし現実世界のままだったら、あたしは東京の大学サ行って、陸斗はどうするか分かんねーども、とにかく夕焼けを別々に見ることになってあったんだよ?」


「なんだその夕焼けを別々に見るってレトリックは」


「音楽の歌詞のせるとなんかいろいろ面倒ってか規約違反なんだべ? ガンダムSEEDだ」


 あかりはガンダムオタクでもあるのだった!


「あれは色が違うんだべした」


「それが規約違反になるから言い方変えたベー」


 しかしなぜ俺たちがガンダムSEEDを知っているのか。ぜんぜん世代じゃないのに。細かいことは気にすんな、である。


「まーとにかく、あたしは陸斗と一緒ならそれで幸せ! 早いとこあの狭小物件な駐在所を脱出したい!」


 このあいだ、あかりの可愛がっていたモルモットが死んでしまって、あかりも寂しいのかもしれない。しかし俺と一緒なら幸せというのは大袈裟ではあるまいか。


「いやあかりよぉ、軽率にそう言うこと言うけどや、うちは小姑と老婆がいるど。こっちの世界のことわざでもあるべ、小姑ひとりゴブリン千匹って」


「そーなの? それ誰から聞いたの?」


「ロイ。現実世界にも小姑一人鬼千匹ってことわざがあるっつったら爆笑してた」


「ふうーん。マミさんが嫁いびりするとは思えねーばって。陸斗のお祖母ちゃんも」


「まあ……確かに」


 そう答えると、不意にイエデンが鳴りだした。とき子祖母ちゃんが出る。


「はーいもしもし……あい、ロイでねっか。なした? ……は?」


 ふと空に目を向ける。秋田県民にはおなじみの、薄暗い冬の雲が、じゅうたんを広げたように、南から覆いかぶさっている。


 冷たい風が吹きつけてきた。そして、庭の植物はみるみる枯れて、ちらほらと雪が降りだし――数分後には、のっちのっちと積もり始めた。


「ど、どゆこと?!」


 姉貴が呆然と空を見る。あかりのスマホが鳴りだした。


「どうしよ、池内のあたり雪で埋まって、本当にいけないになっちゃった」


 あかりが呟く。それは、あまりにも唐突な冬の訪れであった。

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