2-3 秋田犬ゴブリンチャンピオンを撃退す

 ゲームとか漫画とかで履修してるから知ってるぞ。これはかなりやばいやつだ。助けに入るタイミングを明らかに間違えた。


 しかしなんでこんなとんでもないモンスターが、この平和な住宅街に出るんだ。ゴブリンチャンピオンは棍棒を振り回していて、一撃食らっただけで俺なんか死ぬとしか思えない。


 さっきレベルがひとつ上がったとか、魔法も使えないのにMPが回復してるとか、そういうので戦える相手ではなかった。よだれを垂らし鼻息を荒くし、ゴブリンチャンピオンはアヒル車の御者をがっと捕まえると、ぎちぎちと締め上げた。御者は「ぐわあー!」と叫び、体の砕ける、聞くだにヤバい音がする。


 チビりそうになるのを必死でこらえつつ逃げ出そうとすると、アヒル車のほうから

「助けに来たのに逃げるとは何事ですのっ!」と、女の怒鳴り声が聞こえた。とにかく逃げたい。だがゴブリンチャンピオンは俺のほうに、その大きくて分厚い、人ひとり簡単につかめる手を伸ばしてくる。せめて雪掻き用スコップがあれば、悪あがきもできたはずなのに……。


 走馬灯のようにいままでの人生が頭の中を駆け巡った。

 友達を殴って泣かせて叱られた幼稚園時代。先生を殴って学校に親が呼ばれた小学生時代。あかりと友達になった中学時代。クラスメイトをいじめているやつを殴って学校に親が呼ばれ俺は第三相談室送りにされた中学時代。……あかりと友達になった以外はだれかしら殴ってるだけじゃねえかよ。

 ああ……諸行無常。


 そのときだった。奥村さんのおじさんが、ゴン太に引っ張られて近づいてきた。ゴン太は肉球をやけどするのも気にせずしきりに大声で吠えていて、それを聞いたゴブリンチャンピオンは、


「ぐげげ……」

 と一言発して、俺を掴もうとした手をひっこめ、御者を掴んでいるほうの手をぱっと放し、棍棒を引きずってのそのそと逃げていった。ゴン太は激しく、「うー、わんわんわん!」と吠えている。


「た、助かった……のか?」


 俺はへなへなと膝をついた。助かった。まさかゴブリンチャンピオンが犬に吠えられただけで逃げるなんて。馬車から、とても優美で動きにくそうなドレスの女が降りてくる。まだ若い。俺やあかりとあんまり変わらないくらいじゃないだろうか。


「まあ、このふわふわの狼が、ゴブリンチャンピオンを追い払ったんですのね」

 女は怪我した御者そっちのけでゴン太を撫でている。ゴン太はくるんと巻いた尻尾をわさわさ振りながら、その女に甘えている。俺は怪我をしてHPゲージが赤くなっている御者に、バナナボートをわたした。御者がそれを食べると気休め程度回復した。バナナボートって薬草とおなじくらいの効果なのか。


「ふわふわの狼……でなく、秋田犬って言うんだすよ」

 奥村さんのおじさんは自慢げにそう言った。女は不思議そうな顔で、

「あきた……いぬ?」と尋ね返した。


「んだす、秋田犬。凛々しいすべ」なぜか誇らしげな奥村のおじさん。


「あきたいぬ……かわいい。わたくしもこれを飼いたいわ」

 女はニコニコだ。俺は、

「あの、あなたはこの世界のひとですか?」

 と、そう尋ねた。


「そうよ。タキア藩王国の王女、イルミィ・チィ・タキアーナとはわたくしのこと。お父様がわたくしを政略結婚に使おうとしたから、そんなの嫌だと逃げてきたの」


「……はあ」わりとめんどくさい人らしい。

 そういうやりとりをしているところに、秋田県警と書かれたパトカーがやってきた。


「大丈夫ですかっ」降りてきたのはあかりのお父さんだ。相変わらず大柄で、がっちりとしていて、これでサングラスをかけて制服でなくスーツを着ていたら完璧に渡世人だ。


「わたくしは大丈夫だから大丈夫ですわ。それより、ここの近くに泊れる民家はないの? わたくし、このゴブリンチャンピオンの騒ぎですっかり疲れてしまって」

「それよりこっちの人が大丈夫じゃないでしょう。大丈夫ですか」


「は、はい。なんとか」御者は苦しそうにそう答える。

「まあ。王女のわたくしよりその召使いの心配をするの? やっぱり変わった土地ね」


「王女でも召使いでも人間だすべ」あかりのお父さんはそういうと、奥村さんのおじさんに、

「具体的になにがあったんだすか?」と訊ねた。

「い、いや、俺はなんも知らねども、犬を犬猫病院から連れて帰ってきたっきゃ、このきれいな車が襲われてて……なんつうか、ゴブリン? の、でっけえやつが、棍棒持ってて、それさゴン太……この犬が吠えたら逃げ出して」


「ほうほう……つまり、この犬が吠えたらそのでっかいゴブリンが逃げ出した、と。そういうことだすね」

 あかりのお父さんは秋田県じゅうを転々としているせいか、「平均的な秋田訛り」といった感じの喋り方をする。昔モンハンをやりながら、「俺県北サいけば『県南ですか』って言われて県南サいけば『県北ですか』って言われるものなぁ」とぼやいていたのを聞いた覚えがあるが、それはともかく。


 まもなく救急車が来て御者が連れていかれた。サラダ寒天を食べさせたら治るのでは、と思いつつ、俺もあかりのお父さんに事情を説明する。


「菅原くん、簡単にモンスターの前サ飛び出したらいけないってゲームで覚えたべ。……ああ、菅原くんは双剣使いであったからモンスターの真正面さ飛び出さねばねんだもんな……現実では『いのちだいじに』でやらねばだめだど」


「……ハイ。ごめんなさい」

 あかりのお父さんは筋金入りのゲーマーなのであった。


「ああ、お腹が空いてしまったわ。なにか食べ物はないの?」

 俺は仕方がなく、そのイルミィとかいうお姫様にバナナボートを差し出した。

 それをしばしもぐもぐ食べていたイルミィも、事情聴取に応じることになった。あかりのお父さんはなるだけ丁寧な言葉で、このプライドの高そうなイルミィに、なんでここにいるのか、と訊ねた。


「お父様がわたくしを政略結婚の道具にしようとなさるから、逃げ出してきましたの。できたらタキア藩王国の南にある、謎の土地にと思って」

「なるほど。それで、どこサ滞在するとかは決めてらんだすか?」

「いいえ? わたくしが泊まりたいといえば受け入れるのが普通でしょう?」


「あのす、イルミィさん。ここはタキア藩王国でねんだすよ。イルミィさんが泊まりたいって言っても、とんねるずとかさまぁ~ずの特番とは訳が違って、だれでも泊めてくれるわけでねんですよ」


「……とんねるず? さまぁ~ず? 分からないけれど、とにかくわたくしはタキア藩王国の王女で、泊りたいと言えばタキア藩王国でなくとも応じねばならないのよ?」


 イルミィはとんでもない分からず屋であった。

「しょうがない。今晩は駐在所にお泊めいたします」と、あかりのお父さんがため息をつく。


その時俺のポケットでスマホが鳴った。姉貴から電話だ。

「おーい、奥村さんに浅漬け届けに行ったにしちゃ帰りが遅いね」


 姉貴は電話口でそういう。俺はあったことを説明した。姉貴はふんふんと訊くと、

「秋田犬がそんなことするなんてねぇ。いまさっきテレビのニュースで、飼い犬が襲われた人の話をしてたけど、そいつはたしかラブラドールかなんかだったな。秋田犬は勇敢だね」


 と答えた。ふと見るとゴン太は退屈そうな顔をしていたが、俺と目が合うなり吠えだした。俺はゴブリンか。

「――それ、なんですの?」


「え? スマホですけど。遠くの人とおしゃべりしたり連絡とったりできる機械です」

「すま……ほ? なんで板切れを持ってるのかしらと思ったら、それタダの板切れじゃないんですのね! 遠くの人とおしゃべりができるなんて、素敵だわ!」


「それだけじゃなくてインターネットとか動画とかSNSとか……俺はSNSはやってないけど」そういってざっくりと機能を説明すると、イルミィは目をめちゃくちゃ輝かせて、

「ほしいわ! よこしなさい!」と図々しいにも程があることを言いだした。

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