2-4 異世界の姫君インスタを始める
あかりのお父さんは、
「そいだば俺が昔使ってたやづ使うスか? SIM入ってねっから電話もできねっしワイファイのねえとこだば使えねすばって、インスタグラムくらいならそれくらいの環境があれば十分だすべ……って俺はなにを言ってらんだ……」
と、そういってため息をついた。
「いんすたぐらむ?」イルミィは首をかしげる。俺のスマホには入っていないのだが、何故かあかりのお父さんがインスタグラムをやっていた。もっぱらラーメンの飯テロ画像だ。
「こう、こういうふうに写真を世界中の人サ見てもらったりできるやつで……」
「わあすごい! なんておいしそうな麺料理! あら? このきれいな女の人はだれ?」
「これは広告で、……何て名前だか知らねすども、女優さんだすよ」
「女優……というのは、女の俳優のこと? この土地では女も、神聖な劇場に上がれるの?」
「むしろ異世界に女優っていないんすか」
俺がそう尋ねると、イルミィは口をとがらせて、
「歌姫ならいるけれど、女の俳優なんていう神を汚すものはいないわ。わたくしも王都で歌姫になるのが夢だったんですの。でも、しょせん藩王の娘ですわ、国のために嫁ぐしか、存在意義なんてないのですわ」と、ちょっと寂しくそう言った。
「そうなんだすかぁ。ちょうど、インスタグラムどご見れば、女優とかモデルの女の人がたくさん洋服の着こなしとかUPしてらすから、観れば楽しいんでねっかな」
そう言いあかりのお父さんはすばやくファッションがどうたらいうタグの検索をかけ、イルミィに見せた。イルミィは、ロイがサラダ寒天を見た時とほぼ同じ顔をしていて、
「まあすてき! これ、タダで見られるんですの?」と喜んだ。お姫様にしてはけち臭いな。
「んだすよ。だれでも自由に画像をUPできるんだすよ」
「楽しそう! ぜひこれを使いたいわ!」
「じゃあ、イルミィさん。うちでよかったら泊っていってください。同じくらいの娘がいるんで、話すこともあるかと思いますよ」
あかりのお父さんはそういい、イルミィをパトカーの後部座席に乗せた。まるっきり家出した女子高生を補導する感じだ。
というわけでイルミィはパトカーで駐在所に行った。しかしどうすんだ、このバカでかいアヒル車。そんなことを考えて、ちらりとまたゴン太を見る。吠えられた。納得がいかない。
結局アヒル車は奥村さんのおじさんが預かることになった。
……下らんことに時間を使いすぎた。とりあえず帰るか。家へ、てくてく歩く。帰ると姉貴のすすり泣く声が聞こえた。何ごとだ。俺の部屋のドアをがっと開けると、
「うっうっ……こんな文学的素養がわたしの弟にあったなんて……」
と、姉貴は俺の「いつか偉大になる俺のノート」を開いて読んでいた。慌てて奪い取るも、もうすでに全ページ読破しているらしい。は、恥ずかしいなんてもんじゃない。この世の終わりだ。
脱力して座りこむと、姉貴は首をこきっとかしげて、
「なんかまずかった?」
と訊ねてきた。
「まずいってか、年頃の弟の部屋に乱入する姉(アラサー)ってどういうスケベ概念だよ」
「なんだそのカッコアラサーカッコとじる、というのは」
「事実だろ。奥村さんのおばさんめっちゃ心配してたぞ、姉貴がクリスマスケーキ状態なの」
「クリスマスなんぞ祝ってどうする。我々は熱心な仏教徒だぞ」
とにかくノートを仕舞い鍵をかける。姉貴は洟をずっとすすって、
「さて、夕飯の支度でもするかいのう」と立ち上がった。姉貴が謎の研究施設でなにを研究しているのか知らないが、とにかく姉貴は料理をさせちゃいけないひとだ。怪我をするか食材が台無しになる。慌てて止めて、俺がとき子祖母ちゃんの台所を手伝った。
「萬海から聞いたよ、道で、えっと……ゴブチンリャンピオン? と出くわしたって」
「ゴブリンチャンピオンな」
「それって、昼に庭サ出たやつのもっと大きいやつズことだが?」
「んだ。奥村さんのゴン太が吠えたっきゃいねぐなった」
「はー! ゴン太は忠犬だごどや! 駅前サ銅像作らねばね!」
「むしろ神社でねっか。老犬神社みたいな」
老犬神社というのは秋田県の元祖忠犬、シロを祀った神社である。
どういういわれがあるかというと、シロの飼い主の猟師定六が、猟に出たのにどこでも猟をしていいという許可証を持ってくるのを忘れ、そのとがで捕らえられた主人のために猟犬のシロが許可証を届けようとするも猟師はもう処刑されていた……というこの世の理不尽を詰め込んだ忠犬物語がそのいわれで、その忠犬シロをたたえるため神社ができた。たぶんシロも秋田犬なのだろう。
秋田犬は大正時代に闘犬とするために海外犬の血を混ぜて大型化したので、ときどきアイドル犬わさおみたいな、変わった風貌の犬が生まれることもある。秋田犬を思う存分眺めたければ、大館なら駅前の「秋田犬の里」か、三の丸にある秋田犬保存会が入っている「秋田犬会館」に行ってみるといいと思う。
秋田犬はともかく、台所でキュウリを細切りにしてゴマ油をどばどばしながら、
「うちでも秋田犬飼わねばねぇなあ」と、とき子祖母ちゃんは言う。
「誰が世話するんだよ、散歩して食べさせてやんねばねーんだぞ。でっかいから一日一時間散歩させねばねんだぞ?」
「それは陸斗がやるべした」
「やんねぇし! 俺犬に嫌われる体質だぁ!」
「犬に嫌われるって体質の問題なんだが? ざ、ザギトワ? のマサルみたいに、仔犬のうちからめんこがれば懐くってね?」
「はあ……」
ため息が出た。とき子祖母ちゃんは簡単スマホで調べて作ったという鶏ハムを冷蔵庫から出し、刻んでキュウリと和えた。どうやらバンバンジーのつもりらしいが、ごま油でなくごまダレをかけるべきではないのかという気がする。
とにかく夕飯と相成った。テレビをつけるとやっぱりニュースばかりだが、なんというか、ローカルニュースを見る限りでは秋田県民は意外と楽しんでいるように見えなくもない。
まず、どのプロスポーツチームも対外試合ができないので、スタジアムを整備する必要がなくなり、ほかのところに予算を回せるようになったというのもそうだし、イージス・アショアのもしかしたらあったかもしれない再々検討もなくなった。言ってしまえば、もうどこかの国が日本に向けてミサイルを撃ったとしても、秋田県で爆発する心配はいっさいないのである。もともとイージス・アショアは撤回、という話だったが、しかしいつ再々検討されるかと不安だった秋田県民も多かろう。
それから、朝青龍だのザギトワだの、秋田犬関係の海外セレブが、秋田県を心配してくれているらしいとも報じられた。朝青龍は秋田犬に似ているなあ、などと考える。
夕飯をもぐもぐして、シャワーを浴びて寝るか、と思ったとき、最近わりとよく鳴ることに定評のある俺のスマホが鳴った。あかりからメールだ。
『イルミィちゃんがインスタの垢つくったよー』とのこと。ご丁寧にアカウント名まで書いてある。……インスタかあ。学校のやつらはみんなやってたよな。女子はモデルをフォローして、明らかに自分の顔のクオリティと釣り合わないおしゃれな服を欲しがったり、男子はカッコイイ模型を作る人だのミュージシャンだのをフォローしていたような気がする。
よし、勇気をもって元気に、インスタをインストールしてみよう。
大したアプリの入っていないスマホをぽちぽちいじり、インスタグラムをインストールし、アカウントを作った。それから、イルミィのアカウントを見てみる。
うん、なんというか楽しそうだ。あかりと撮った盛りセルフィ―だの、駐在所のお隣で飼われている秋田犬の「ゆき子ちゃん」だの、あかりのお母さんのこしらえたチキン南蛮だの、実に楽しそうだ。同じ家にいるというのに、あかりのアカウントがコメントを飛ばしている。ついでにあかりのアカウントも見てみるが、超絶おしゃれな洋服のコーディネート写真が主だ。でも、「これ去年のやつだぁー(酸っぱい顔の絵文字)新しい服ほしーい!」とか、贅沢にも程があるでしょうよ、といった感じだ。あかりのいる駐在所から、下着が超安いニューライフカネタはとても近いのだが、きっとあかりはそんな安い下着なんか買わないんだろうなあ。
とりあえずあかりとイルミィをフォローする。あかりのアカウント名は「ぼんぼり」。イルミィのほうは「ちぃ子」だ。そういやフルネームだとイルミィ・チィ・タキアーナって言うんだっけか。
というわけで、俺はシャワーを浴びて、トランクスにTシャツで布団に転がった。暑くて寝苦しい。
学校が休み、というか物理的にいけないなら、なにか新しいことがしたい、と俺は思った。新しいことって具体的に何なのか分からないけれどな。
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