6-3 南中事件的問題回避す

 とりあえずあかりはいまごろ大館駅で鷹巣駅に向かう列車を待っているはずだ。あかりのお父さんはいとく東台店に出たというゴブリンシャーマンと戦っている。どちらもしばらく戻ってこないはず。


 童貞を卒業するべきだろうか……とファスナーの緩まることを考える。だがイルミィとそういうことをしたいと思ったことがいっぺんもなかったので、ただ困惑しているのが正直なところだ。そういう行為に及べる勇気は俺にはみじんもない。


 ああ、これがライトノベルだったら飛ばし読みして、妹なり母親なりが乱入してくるところから読むのだが。とにかくイルミィを押しのけようとしたが、イルミィはその腕に抱きすがって息を荒くしている。


 ……イルミィは、『既成事実』がなんなのか、知っているんだろうか。


 そもそも童貞の意味も存じ上げているのだろうか、いや知っているのだろうけれど、具体的になにをすれば童貞を卒業できるか分かっているのだろうか。


 その証拠に一切脱ぐ気配がないし、俺のファスナーを下げる気もないようだ。


「なあイルミィ。『既成事実』ってなんだか分かるか?」

「夫婦の契りのことでしょう?」

「じゃあ、夫婦の契りってなんだか分かってるか?」

「……夫婦が二人で寝所にはいること……?」

 だめだ。やっぱりわかってない。


「なあイルミィ。落ち着こう。夫婦の契りがなんなのかわかんない女の子に、そういうことをするのははばかられる」

「でもでも。それではわたくしは、遠くの王国の、眉毛が芋虫みたいに太くて目がぎょろぎょろしてゴロンゴロンに太った王子に嫁がねばならないのですわ。そんなの嫌だわ」


「でもこんなところで既成事実を作ったら、一生いらない子扱いされるんだぞ?」

「……でも。あの王子より陸斗がすき」


 イルミィは離してくれる気配がない。まるでプロレスみたいに俺をがっちりホールドしてイルミィは荒くはあはあと息をついている。


「な、なあ、落ち着こう? とりあえず水を飲もう」

「ああ……愛しい陸斗……好きにしてっ」


 お前は猫か。好きにするったって俺が下でがっちりホールドではどうしようもないではないか。困っていると駐在所のドアが開く音が聞こえた。


「たっだいまぁー……鷹巣までの区間、キングスライムで停まってたわー……」

 あかりだ。すかさず俺は叫んだ。


「あかりーっ! 助けてくれーッ!」

「うお! な、なにごと? い、イルミィなにやってんのっ?」

「あかり……」


 イルミィは俺に抱き着いていたのをほどいて、あかりのほうにふらふら歩き出した。


「ちょ、い、イルミィ、目が据わってるぞ目が。怖い怖い怖い」

「あかり……わたくしの、お姉さまになって……? いくじなしの陸斗より、あかりをお姉さまと呼びたいのですわ……」


 いくじなし認定されてしまった。イルミィにロックオンされてしまったあかりは、顔を真っ赤にして、一歩後ろに下がる。


「む、無理無理無理! あたしきょう女の子の日!」

 生々しいことを口走り、あかりは後ずさった。


「では誓いの口づけだけでも……」

「お、おう、それならナンボでも……ほれ、こっち向いて。目を閉じて。ちゅっ、てな」


 あかりは実にフランクに、外国人が挨拶にキスするみたいにイルミィにキスしてみせた。やっぱこいつ強い。しかしそこからのイルミィの猛攻がすごかった。


 キスした勢いであかりに抱き着くと、イルミィは駐在所の台所の床にあかりを押し倒した。これはヤバい。俺はイルミィをひっぺがしにかかる。


「ぬわーッ! は、離してイルミィ! キスはしたけどそういう趣味ない! それにお姉さまと呼ばれるよりなら弟くんと呼ばれたいッ!」


 あかりのこれまたゆがんだ性癖はともかく、どうにかイルミィを引きはがした。しかしやっぱりイルミィの様子がおかしい。もう変に興奮している感じではなく、疲れた顔で、どさりと畳に転がってしまった。


 そのまま、イルミィはすう……と寝てしまった。あかりが毛布をかけてやる。


「……なにごと?」

「いや、イルミィが酒を飲んだら唐突に襲いかかってきて……でも具体的になにをするかは知らなかったみたいで」

「はあ……あれ? お父さんは?」

「さっき東台のいとくにゴブリンシャーマンが出たとかで」

「せっかくの非番だっつうのについてないなあうちの父は。……ってことは、あたしが出かけた後、うちの父がこの一升瓶を出してきたわけね?」

「……んだ」


 あかりはため息をついた。


「うちの人たち自分が警察官ないし警察官の家族だっていう認識が薄いんだよなあ……まったく。未成年に飲ますってどういうこと」


「いや、あかりのお父さんが出ていったあと、イルミィがビールみたいな勢いで酒っこ飲んだんだよ。そしたらああいうことに」


「……異世界人って、お酒飲むとヘンタイになるんだね……」


 あかりはしみじみと、そしてあきれつつそう答えた。イルミィはすうすう寝ている。頭の上の状態異常のアイコンは消えている。


「そうだ、モッ太に食べさせる雑草摘むの手伝って。クローバーとタンポポが好きなんだ」

「お、おう」


 俺とあかりは、駐在所の建物を出た。池内の駐在所は道路に面していてやかましい。あかりが言うには、「夜になると暴走族がわざと爆音立ててくるんだ」とのこと。ちょっと裏にいくと、すっかり実のなくなったイチジクの木が生えていて、その根元にクローバーやタンポポが茂っている。適当に少し摘んで、さあモッ太に与えようと駐在所に戻ろうとしたところに、一台の豪華なアヒル車が走ってきた。秋田県のマークによく似たマークが刻まれていて、そこから豪奢な衣装をまとった女が降りてきた。


「ここなの? うちのバカ娘がいるのは」

 その女は高飛車口調でそう言うと、かかとの高い靴をかつんと鳴らして、

「あなたがた、ここの人?」

 と訊ねてきた。


「はい。ここが池内の、秋田県警の駐在所です」と、あかりが答える。

「うちの娘、ここにいない? 金髪でぷくぷくした、イルミィ・チィっていう」


「イルミィならいま寝てます」俺がそう答えると、高飛車な美魔女(死語)は、

「それがうちの娘。わたくしはラルミィ・タキア。タキア藩王国の王の正室」

 と、高慢そうな表情で答えた。そのとき駐在所のドアが開いて、

「おかあさま?」

 と、イルミィが出てきた。


「まあ、そんな冒険者みたいな恰好をして。はやくいらっしゃい、お城に帰りますよ」

「いやです」イルミィははっきりそう答えた。


「どうして? こんな小さな、まるで狩人の小屋みたいな家にいる理由なんて」


「ここを出たらインスタグラムで遊べないからですわ!」

 と、イルミィははっきり言った。いやインスタグラムて。


「インスタグラム……ねえ。このアキタケンという国の人たちはそれが好きね。でも、帰らねばならないのですよ。もう婚礼の日が近いわ」


「いやですっ。城に帰れば毎日お父様とお母様がケンカするのを聞かされて、そのうえうんと遠くに嫁がねばならないなんて――嫁ぐ先はポニン大陸の北の端ですわよ? 雪も降るし、甘いものもないし、寒いし、そんなところでお世継ぎを生まねばならないなんて、絶対いや」

「あ、あまりうちの内情を言われると……ごほん。とにかく帰ってきなさい。いまなら許します」


 ……。


 俺はあかりと顔を見合わせる。あかりは口をとがらせてしばらく考えると、

「あの、素晴らしいものを献上いたしますから、イルミィ様を我が家にとどめおくことはなりませんか?」と、不思議なことを言いだした。

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