1-4 秋田県より十和田湖・八幡平・鳥海山消滅す

 適当なところでバスを降り、俺の家に向かうと、姉貴はタンクトップにユニクロの女物ステテコというだらしなさの究極形態で、台所のフローリングに座りこんでガリガリ君を食べていた。


「おーあかりちゃん。きょうもちゃんとした服着てるね」

「上も下もユニクロですヨ。可愛い服ってあっつくて」


「姉貴、二日酔いは?」

「だんだん良くなってきた。で、あかりちゃん……なんでそんな詰め寄り顔で近寄ってくるんだい?」


「マミさんが秋田県を異世界に飛ばしたってほんとです?」

「わたし、というか、わたしの職場が、というか……うむ、異世界に飛ばした」


「それだけじゃ納得いかないんで、なんとか上から、秋田県がどうなってるか見られないですか? 異世界なら衛生写真ってわけにいかないから……ドローンかなにかで」

「それなら冷蔵庫でいこう」


 姉貴の斜め上にも程がある返事を聞いて、あかりはしばし口をぽかんと開けて黙った後、俺に

「どゆこと?」

 と訊いてきた。


「姉貴が三歳のときに発明した、空飛ぶ冷蔵庫っていうのがまだ現役なんだよ」

 姉貴は冷蔵庫に貼られたごみ収集日の一覧表やらカレンダーやらを取り外し、キッチンタイマーをぽちぽち操作した。すると冷蔵庫の上の天井と屋根がぱかっと開き、


「いくよ。しっかり捕まって」

 と、姉貴はそう言って冷蔵庫にしがみついた。俺とあかりも恐る恐るそうする。


「ぽちっとな!」姉貴はそう言い、キッチンタイマーのスタートボタンをぽちりと押した。ゴゴゴゴゴゴゴと鈍い音がして、冷蔵庫は次第に空中に浮かび始める。不思議なことに、俺たちはまるで磁石で張り付けられたかのように冷蔵庫にひっついていて、どんどん上昇する冷蔵庫とともに、秋田県の上空へと躍り出た。


 冷蔵庫はどんどん高度を上げ、次第に風景は小さくなっていく。


「ああーっ! 十和田湖がない!」

 俺はそう叫んだ。秋田県と青森県の県境にある大きな湖、十和田湖はなくなっていた。


「八幡平も鳥海山もない!」あかりが叫ぶ。岩手県との県境の八幡平や、山形との県境の鳥海山もなくなっているらしい。俺は基本的に県北の人間なので、鳥海山がどんなものだか知らないのだが、

「最初の小学校の校歌にあったんだよね……鳥海山」

 と、あかりはぼやいている。あかりは転勤族の子なので、小学校のあいだ秋田県じゅうを転々としていた。大館にやってきたのは小六だそうで、そのころは俺と別の小学校に通っていた。


 十和田湖も八幡平も鳥海山もなくなってしまった秋田県であったが、かろうじて八郎潟と田沢湖は残っており、男鹿半島の出っ張りが秋田県であると主張している。そして、秋田県より南の土地はなく、秋田県の北にはマッチョポーズの青森県ではなく広大な土地が広がっていた。遠くには、都のような石造りの街が見えている。


「これで納得したかい?」

「納得……っていうか、マミさんはなんで秋田県を飛ばそうと思ったんですか」


 冷蔵庫は静かに逆噴射しながら、我が家の台所に戻っていく。


「最初はね、秋田県をスペースコロニーに搭載する予定だったのさ。でも、それじゃつまらんじゃろ、ってことになってまるごと異世界に転移させた」


「なんでそんなことになるんです……わけがわからないよ」

 あかりはオタクに優しいギャルでありながら本人も結構なオタクである。オタクとギャルの奇跡の両立なのだ。


「うむ、秋田県の人口は、仙台市ひとつ、札幌市ひとつよりぐーんと少ないわけだ」

 冷蔵庫は台所の定位置にすぽっと収まった。

「そう、ですけど。でもそれって理由になるんですか」

 あかりの冷静な質問に、姉貴は口をとがらせて、

「秋田県をにぎやかにするには、異世界に飛ばすほかないなと思ってさあ」

 と、そう言ってけけけと笑った。あかりは疲れた顔で、

「マミさん。要するに面白半分で異世界に飛ばしたってことですね」

 そう言い、ふたつにくくった髪を背中側にふぁさっと投げた。高級なシャンプーの甘い香りがする。


 「そうだよ、どんな実験もすべて面白半分から始まるって言うのが、うちの研究所のモットーだかんねえ。いひひひ」


 姉貴は明るく笑う、けれど笑いごとじゃないのだ。俺はしばらく唇を噛んで黙っていた。


「さて、あかりちゃん、何して遊ぶ?」

「遊ぶって……マミさんは本当に呑気ですね、なにをやらかしたか分かっているんですか?」

 あかりはやっぱり詰め寄り顔で姉貴を見ている。姉貴は眼鏡をくいっと上げて眼をそらし、

「まあ、ふつうにじり貧でそこかしこ限界集落になるよりかは各段にマシじゃろ。これからもっと楽しいことだって起きるぞい?」


「そうならいいんですけど、秋田県警とか秋田県庁とか、死ぬほど忙しくなってるんですよ。佐竹オチョチョの介敬久だってオチョチョする暇ないんですから」


 佐竹オチョチョの介敬久というのは秋田県知事、佐竹敬久のことである。通称「殿」。その昔この土地を支配していた大名、佐竹家の末裔というわけで、県民からは殿と呼ばれているのだが、猫ちゃんが大好きで、それで猫ちゃんをからかうときに「オチョチョ」という謎ワードが飛び出すため、あかりは勝手に「オチョチョの介」というミドルネームをつけて呼んでいる。


「う、うむ……で、でも。いまどきの若いもんは異世界に憧れるんじゃろ? なろうもカクヨムも、異世界転生ばっかりなんじゃろ?」


「フィクションと現実をごっちゃにするのはやめたほうがいいと思うよ、俺は」


 すなおに俺はそう言い、姉貴をちらと見た。あかりと同じ意見なのがうれしい。彼女じゃないけどあかりは二次元みたいにかわいい。壇蜜と佐々木希を足して二で割って、そこに藤あや子の色気を追加し、貧乳にしたようなのがあかりだ。


 姉貴はまったく反省していないようだった。あかりはため息をひとつつくと、

「まあ、異世界に来ちゃったからには楽しむつもりですけど……まて、異世界にいるということは進学で東京に出ていく必要がないということじゃん!」


 あかりは妙に楽しそうな口調でそう言って、ようやく詰め寄り顔を解除する。

 あかりのポケットでスマホが鳴った。電話だ。


「はーいもしもし。あ、お母さん。なに? え? これから? ええーっ、なんか適当な服だし行くのちょっと恥ずかしいんだけど。うん、わかった。仕方がない。それじゃ」


 あかりは電話を切り、漫画みたいな顔をちょっと恥ずかしそうな顔にした。姉貴が、「親御さんかい?」と尋ねると、


「母から、父が帰ってきて駐在所を出られるので、これからいとくショッピングセンターに下着買いに行かないかって言われて。今週催事コーナーでフィッティング会あるんですもんね」


 と、そう答えて立ち上がった。

「あたし帰りますね。じゃあね、陸斗、マミさん」


 あかりはそう言って帰っていった。

「すげえ……わたし下着なんてニューライフカネタで買ったやっすいのしかつけてないぞ……公務員って儲かるんだなあ……」

 姉貴はしみじみそう言う。格差ってこのことか……という顔。

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