1-3 秋田県に平時通りクマ出没す

「ここって、どこなんだ?」

 俺はロイに訊ねた。


「昨晩、突然タキア藩王国の南側に、新しい土地が現れたんです。自分は冒険者なので、新しい土地にはぜひ行ってみたいと思って、大アヒルに乗ってこの近くまで来たんですが、初めて見るモンスターに襲われて、大アヒルもやられてしまって」


 大アヒルというのはファイナルファンタジーでいうところのチョコボだろうか。


「初めて見るモンスター?」

「あんな恐ろしいモンスター初めて見ました。魔法を使ったりするわけじゃないんですけど、全身毛むくじゃらの巨大な動物みたいなモンスターで、胸に三日月の模様があって」


 ……それ、クマじゃなかろうか。


 とにかく、ロイはそのモンスター(おそらくクマ)と戦い、なんとか追い払ったものの怪我を負ったらしい。それで、ミツ祖母ちゃんの家に助けを求めたのだという。

 はあ……。


「とにかくばっちゃ様、あなたは俺の命の恩人です。どうかここに住ませてください」


「……いいども、あだ買い物できるか?」


「買い物……ですか。あいにくまだ見習い等級なので、なんの依頼を受けても組合にピンハネされるんで、お金はないんです」


「じぇんこだば私が持ってらんだ。それで、いとくサ行って、買い物してきてけねが、って話だよ」


「じぇ、じぇんこ? いとく?」


「じぇんこってのはお金。いとくってのは……まあ、市場みたいなもんだ」


 俺がそう翻訳すると、ロイは緑の目を輝かせて、

「それくらいのことでよければ、ぜひ働かせてください」

 と、そう答えた。そのとき俺のポケットでスマホが鳴った。メールだ。とにかく鳴らないことに定評のある俺のスマホが鳴るとは何事だろう。見てみると、中学で知り合った人生唯一の友達からのメールだった。


『陸斗ヒマ? 鳳鳴も休みになっちゃって、(青ざめている顔の絵文字)マーヒーだから遊びいっていい?(よく分からないけれどかわいい猫ちゃんの絵文字)』


 この可愛らしいメールは、俺の人生唯一の友達、伊藤あかりからだ。しみじみと、そのメールを眺める。気遣いがぎゅうぎゅうだな、と思う。


 伊藤あかりというひとは、要するに「オタクに優しいギャル」みたいな感じで、中学でスクールカーストにすら入れない不可触民だった俺に優しく声をかけ、給食のイカ団子スープのイカ団子を「あたしこれ嫌いなんだー」と言って俺のスープの器に入れてくれた人でもある。


 LINEでなくメールなのは、俺がLINEをインストールしていないからである。高校のクラスの連中とつるむわけじゃないし、帰宅部だし、LINEを使う必要がまったくないのである。だからあかりは、メールで連絡してくるのだ。


 学校が休みになったなら遊びたい友達もいるだろうに、なんで俺なんかと遊んでくれるのだろうか。俺は小学生のころから、とにかく素行の悪い子供だった。べつに校則を破るとか犯罪をするとかいじめに加担するとかでなく、とにかく納得いかないことがあると腕力に訴える癖があったのである。中学に入っても、すぐ人を殴る悪癖のせいで、親はしょっちゅう学校に呼ばれたし、俺はカウンセリングを受けさせられたり説教部屋こと第三相談室に連れていかれたりした。


 あかりは陽気な人気者だったが、静かな読書家でもあり、俺について「村上龍の小説に出てくるタイプ」という評価をくれた。そう言われて、村上龍の小説を何度か読んだけれどよく分からなかった。とにかく、学校で一人浮いている俺を心配してくれたのがあかりなのだ。


『遊びたいけどいま扇田のばあちゃんちにいて、俺んちよりあかりんちのほうが近いから、帰りに寄るよ』と返信した。


 ため息をひとつつく。

「あの、ばっちゃ様。俺になにか仕事はありますか。買い物はきょうはいいんですよね」

「んだな、とりあえず……裏の畑さいって、そろそろトマトがとれる時期だったいに、見てきてけねが。熟れてたらもいできてけれ。食べるべし」

 なにやら話が進展していた。ミツ祖母ちゃんは農家ではないが、ごくごく小規模な、趣味の家庭菜園の豪華なやつみたいな畑をやっているのだ。そのトマトを食べたいという話らしい。


「ハイ!」ロイはひょいっと立ち上がると、革のブーツを履いてミツ祖母ちゃんの家を飛び出した。裏庭の畑には、夏の訪れを告げるトマトがなり、タチアオイが花をつけていた。


「ここはとてもきれいなところですね。道路は石畳じゃないけどなにかでびちっと舗装してあるし、まるで王都みたいだ」

「王都……ねえ。しかしあっちいな」


 適当に熟れたトマトを二個ばかりとって戻る。ミツ祖母ちゃんは、トマトを切って砂糖をどっちゃりかけて俺らに食べさせた。おいしいのは認めるけれど、しかし砂糖の量がすごい。


「すごいですね、こんなにたくさん砂糖が使えるなんて。ばっちゃ様はお金持ちですか」

「なぁんもだぁー。ただのババだ」


 ミツ祖母ちゃんはそういってまたアッハッハッハと笑った。しわの多い顔に明るい笑顔を浮かべて、ミツ祖母ちゃんは膝をぽんと叩いた。


 それから俺にバス代だ、といって千円ばかし小遣いをくれた。無事を確認したわけだし、バスで家に戻る……いや。あかりの家に寄るから池内で降りねばならない。あかりの父親は警察官で、あかりとその家族は池内の駐在所に住んでいる。本当はペット禁止なのに、あかりのわがままでモルモットも飼っている。


 駐在所の前で、バスを降りる。交番の脇にあるドアのベルをぴんぽーんと鳴らすと、いつもきれいにしているあかりのお母さんが出てきた。


「あら菅原君。あかりなら部屋でモッ太と遊んでるわよ。ごめんなさいね、お父さんは本当なら非番なんだけどこの騒ぎでしょ、臨時で仕事なの」


 あかりのお父さん、つまり駐在所の警察官は、休みの日はひたすらゲームをしているおじさんである。そのため、俺とあかりと三人して一狩り行く、ということをしていた時期もあった。もうあかりのお父さんや俺たちはモンハンをやっていないのだが、あかりのお母さんはよく知らないらしく、俺が来るとお父さんはどうしているか言うのだった。


「ありがとうございます。おじゃまします」

 俺はそう言い、駐在所の玄関で靴を脱ぎ、駐在所にいれてもらった。玄関には、あかりが秋田市のオーパで買ったというおしゃれな靴が置かれている。


「おー来たな、陸斗。見て、モッ太めっちゃゆるんでる」

 そう言ってあかりは部屋着だというユニクロのグラフィックTシャツの脇腹のあたりを指さした。可愛らしい三毛ぶちのモルモットが、服の隙間に潜り込んでぐってり寝ている。


「すんげえ懐いてるんだな」

 俺は動物に怖がられる体質なので、動物に懐かれた記憶があんまりない。動物との交流は、昔姉貴が拾ってきた猫を飼ったのと、ご近所で飼われている犬に吠えられることくらいだ。


「結局なにごとなの? テレビ見ててもよくわかんない。秋田県、トラックにはねられて異世界に転生しちゃったの?」

「いや、俺の姉貴がスケールの大きいものを異世界に飛ばす、とか、よくわかんないこと言ってたけど……」


「やっぱりマミさんの仕業だったか」あかりは俺の姉貴を「マミさん」と呼ぶのだが、どことなく調子が昔流行った魔法少女アニメのさっくり死んでしまった魔法少女を呼ぶ調子である。当時俺たちは小学生で俺はそのころのことをよく覚えていない。姉貴がニコ動でその魔法少女アニメを観ていた気がする。あのころだっけか、震災。


「マミさんはどーしてるの? きょうもお仕事?」

「いや、昨日へろへろに酔っぱらって帰ってきて、きょうは二日酔いで寝てる」


俺とあかりが話しているところに、あかりのお母さんが、コーヒーとたけやのバナナボートを持ってきた。「はーいおやつ。きょうは駐在所に詰めてなきゃいけないから、昨日買ってきたバナナボートでごめんなさいだけど」


 ローカルおやつのわりにはクオリティも高いし毎月野心的な味の新製品が出る、たけや製パンのバナナボートが、見慣れた包装にくるまれたままお盆に載っている。いただきますと言って手を伸ばしバナナボートをもぐもぐする。田舎甘くておいしい。


 以前あかりがぼやいていたのだが、駐在所というのは警察官が仕事にいって、その間詰めている家族がきた人に応対するとその分の手当てが出るのだという。だからあかりのお母さんは専業主婦だ。国家公務員って儲かるんだなあ、としみじみ、共稼ぎ家庭の俺は思う。


 あかりはバナナボートを飲み込んで、

「はーいモッ太はお家に帰ろうね。さて、じゃあマミさんに事情聴取にいこうか」

 と、モッ太をゲージにもどし、部屋着のユニクロのTシャツと半ズボンから着替えるべきか訊ねてきた。いや、その服装は我が家だとわりにちゃんとしているやつだ。そう答えるとあかりは頭をぽりぽりして、


「バス出ちゃう。いこ」と、狭い和室から立ち上がった。

「お母さーん、ちょっと遊び行ってくるー」


 あかりは駐在所に詰めているあかりのお母さんに一言そう言い、おしゃれな靴をひっかけて駐在所を出た。俺も「おじゃましました」と言ってからスニーカーを履いて出る。ちょうどバスが出るところだった。あかりは頭がいいので、バスの時刻をきちんと覚えている。


 バスで中心市街地に向かう。俺の暮らしている谷地町は、池内からはわりとすぐだ。

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