1-2 異世界人あらわる
「お? なんでまた。わたしは二日酔いだから車は運転せんぞ」
「バスでいくよ。どうせ弁当作っちゃったし――あの家不便だから、ミツ祖母ちゃん怪我とかしてないかなと思って」
「おおーよい心がけ。気を付けていきなさい」
姉貴はまた二階の自分の部屋に戻っていった。俺は制服から私服に着替えて、扇田方面行きのバスをバス停でしばし待った。しばらくしてやってきたバスに乗り、片道十五分程度の道のりをバスに揺られる。バスには、おそらく大館駅で弘前方面や盛岡方面に行けなくなって帰るのだと思われる人が結構乗っている。
ミツ祖母ちゃんちの最寄のバス停で降りて、俺はミツ祖母ちゃんちに向かった。ミツ祖母ちゃんは若いころお総菜屋さんを切り盛りしていたひとで、いまも祖母ちゃんの家には店舗部分がそのまま残っている。
「ばあちゃーん? 怪我してねがー?」
そう声を掛けて入ると、ミツ祖母ちゃんの朗らかな声で、
「大丈夫だぁー。陸くん、心配して来てけだんだべー」
と声が返ってくる。
住居部分に上がると、ミツ祖母ちゃんは老眼鏡をかけて裁縫をしていた。母さんが押し付けていった「桂高校制服リカちゃん」に、古い端切れで着物をつくるのが、ミツ祖母ちゃんの趣味である。これ、フリマアプリとかで売ったらいい値段になるのではなかろうか。まあ異世界に転移したからフリマアプリもくそもないのだが。
「地震、大丈夫だったか?」
「んー、テレビみて地震あったって知ったもの。なーんも気付かねがった。あ、サラダ寒天食べねが? 牛乳寒天とか玉子寒天とか、ミズと塩昆布漬けたのもあるよ」
ミツ祖母ちゃんは裁縫道具を片付け、台所の冷蔵庫からサラダ寒天など寒天各種とミズ(わりに初心者向けの山菜)と塩昆布を漬けたやつを出してきた。
この寒天文化についてどこから説明すればいいだろう。サラダ寒天というのはゆで卵とキュウリと缶詰ミカンのサラダを、寒天で固めたものである。四角い寒天がきちきち並んでいるさまは、なかなか美しい。牛乳寒天は牛乳と缶詰ミカンを固めたもの、玉子寒天は澄まし汁にかきたま状にした玉子を入れて固めたものだ。
秋田県民は、だいたいなんでも寒天に固めてしまうと思っていいだろう。そしてそれらは、大体においてめちゃくちゃ甘いか、缶詰ミカンが入っている。
ミズと塩昆布の漬けたやつは、ミズという山菜を塩昆布と漬けたもの以上でも以下でもない。母さんが言うには、これを食べないと夏がこない……待て。
父さんと母さんはスーパーマーケットである「いとく」のキャンペーンで台湾旅行を引き当てて旅行に行っており、日程から考えるとそろそろ秋田空港に着くべき時間なんじゃないのか。慌ててスマホを引っ張り出し、父さんに電話してみる。
つながった。日本国内にいるということだろうか。
「もしもし。父さん?」
「お、おう、陸斗。無事か? 祖母ちゃんたちにけがはないか?」
「ない。大丈夫だ。いまどこだ?」
「仙台空港サ不時着して、そこで足止め食らってら。秋田県スッポリねぐなったもんな、帰りようがねんだ」
あいしか……。(ありゃまあ……、の意)
姉貴は謎の研究施設が忙しくて帰ってこない日もたびたびあった。だから、父さんと母さんが台湾旅行に行っているとも知らずに、秋田県を、おそらく異世界に飛ばしてしまったのだ。
「とにかく俺らは俺らでなんとかすっから、陸斗は祖母ちゃんたちとか、そういう人を助けてな。申し訳ねえ」
「いや、こりゃ不可抗力だべ。仕方ねえ。へば」
電話が切れる。
「なした?」ミツ祖母ちゃんが俺をじっと見る。俺は、父さんと母さんが、台湾旅行から帰ってきていま仙台にいる話をした。ミツ祖母ちゃんはちょっと目をそらして、
「あいしか……運が悪いごど。お国はそういう人たちサもなんかしてけるんだべか。ま、サラダ寒天、け。自信作だったいに」
俺は自分の弁当箱を出し、冷凍のおかずをぱくつきながら、サラダ寒天にも箸を伸ばした。あ、あまぁっ。どうすればキュウリと缶詰ミカンとマヨネーズのサラダがこんなにあまぁくなるのか。砂糖を大量投入しすぎじゃないか。まあ、ミツ祖母ちゃんはポテトサラダにも納豆にもトマトにも砂糖をドバァするひとだし……。
サラダ寒天をしばしもぐもぐしていたそのとき、裏口のドアが開く音がした。
「誰だべ。裏のババだべか」
ミツ祖母ちゃんが立ち上がろうとするので制止し、俺が裏口側を覗き込む。
……。
ライトノベルによく出てくる、いわゆる「冒険者」だった。剣を腰に下げ、革鎧を着ている。髪はブラウン目は緑の外国人カラーなのに、顔立ちは日本人のそれに近い。――ん? 怪我をしている! 革鎧の脇腹が破れ、下に着ているシャツに血が染みていて、肩で息をしている。怪我してここに迷い込んだのだ。
「あ、あのっ。大丈夫ですか」
「この程度の怪我なら日常茶飯事ですよ。お腹が空いた……なにか食べ物ありますか? なにかお腹に入れれば、この脇腹も元に戻るかと」
わあ、ゲームで食べ物食べると体力回復するやつだ。とにかく上がるように言う。裏口のドアを開けて土間を横切り、冒険者は入ってきた。頭の上にHPゲージが表示されている。だいぶ消耗しているらしく、黄色表示だ。
「あやや、外国の人でねえか。陸くん、言葉通じるったが?」
「たぶん通じてる。えっと、傷口を消毒しないと」俺はミツ祖母ちゃんの部屋にある薬箱を開け、傷薬を取り出した。
「そ、そういうのよりこっちのほうが」
冒険者は、目をきらきらさせて、寒天を見ている。いや、異世界とはいえそんなんでこのひどい怪我が治ったら病院はおまんまの食い上げである。
「これは、なにでできているんです?」
「それは、野菜と果物のサラダを、寒天っていう海藻でかためたやつ。こっちは牛の乳。こっちは……卵とスープ」
俺がそう説明すると、冒険者は手でがっとサラダ寒天を掴み、口にモゴモゴ押し込み始めた。そんな無茶な食べ方したら喉に詰まらすぞ。
「う、うまい!」
冒険者はサラダ寒天にいたく感動したらしく、夢中でサラダ寒天を食べている。見ると、傷跡も血のシミも破れた鎧も、きらきらと輝いてから、元通りになっている。HPゲージも、みるみる緑の満タンになっていく。
「あ、あの。このきれいな食べ物を作られたのは、御婦人、あなたですか?」
「御婦人だどや! この田舎のババさそんたこと言う人初めて見だ!」
ばあちゃんはすっぴんでテレビに映ってしまったおばあさんみたいにアッハッハッハと盛大に笑った。心底おかしいらしくしばらく腹筋崩壊状態で笑う。
「え、で、ではなんとお呼びすれば」
「ババでもばっちゃでもなんとでも呼ばれ。そうかあ、サラダ寒天うめえのかあ」
「ではばっちゃ様。俺を、ここで雇ってくれませんか。雑用でもなんでもしますから」
「……は?」ミツ祖母ちゃんは完全なるポカーンである。アスキーアートみたいな顔をして、しばし冒険者を眺め、それからなしてだ? と穏やかに問うた。
「いえ、命の恩人ですから。この傷は放っておけば匂いでモンスターを呼んでしまう。そうなれば、こちらは手負いですから、勝ち目がない。かなりギリギリです」
ミツ祖母ちゃんは顔を赤くしている。命の恩人なんて言われるのは初めてなのだろう。
「まず名前を教えてけねが。私は高橋ミツだよ。あんたは?」
「俺は、ロイ・ギルデロイといいます。冒険者区分は見習い戦士です」
「ろい……ぎるでろい? 難しい名前だこと。ロイって呼ばればいいか?」
「はい! ……ここは不思議ですね、こんなにきれいなガラス窓、初めて見た」
――やっぱり、ここは異世界なのだ。この、異世界の現地人たちには、日本の文明はすでにチートスキルと言えるのだろう。
ロイはしばし夢中で、寒天をもぐもぐした。ことごとく手づかみなので箸の持ち方を教えてやると、「その二本の棒でそんな器用なことが」と驚かれた。
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