2 秋田犬、異世界にてかく戦えり
2-1 秋田県民異世界に適応す
秋田県が異世界に転移して二日ばかり経った。秋田県民は、災害の起きた時の日本人らしくあっという間に環境に適応してしまった。避難所暮らしとかでなかったのも幸いした。
相変わらず俺は学校に行けていない。なぜなら県境をまたいで弘前の高校に通っていたからである。県内では俺の暴力癖はなかば伝説になっていて、県内の高校だとぎくしゃくするかもしれない、という中学の先生の提案で弘前の高校に進学したのであるが、まさかこうなるとは思っておらず、俺はとても退屈な日々を過ごしていた。
俺は電車が好きだった。すごい勢いで流れていく風景を見るのが好きだった。その電車通学が、俺の暴力癖を和らげていたのかもしれない。
しかし姉貴がずっと家にいるため、机の鍵がかかる引き出しからもうひとつの暴力癖を和らげる手段である「いつか偉大になる俺のノート」を取り出すことができないのがとにかく歯がゆい。言ってしまえば、恥ずかしいポエムを大真面目で書いたノートだ。厨二病丸出しで恥ずかしいが詩を書くのは楽しいので仕方がない。
そんなことはともかく。
二日ばかり経って、街の様子も変わってきた。まずは、ちらほらモンスターを見るようになった。さすがにドラゴンだのゴーレムだのは見ないけれど、スライムみたいなやつとかゴブリンとかは時々見る。モンスターもこちらの様子をうかがうので忙しいらしい。
秋田県警は、検問を道路に配置することの無駄さを悟ったらしい。異世界人は道路じゃなくても、杉林の中を突っ切って秋田県にやってくるのである。
そういうわけで街中でもときおり異世界人を見るようになった。だいたいが、武装した冒険者だ。冒険者たちは街に現れるモンスターをやっつけてくれるので、みなありがたがっている。
つまりそれなら俺たち秋田県民も、モンスターと戦うスキルを手に入れれば、自衛できるのではないか、と俺は思う。そうだ、ロイに武器の扱いを聞いてみよう。
というわけで姉貴の運転でミツ祖母ちゃんちに来た。ロイは死んだ祖父ちゃんのよく着ていたシャツにズボンといういで立ちになっており、きょうもミツ祖母ちゃんの手料理がちゃぶ台に並べてある。どれもおいしそうだ。根曲竹の煮物を軽くつついてから、俺はロイに、剣術を教えてくれと頼んでみた。
するとロイは目線をそらして、
「あいにく、俺はモンスターと戦うより旅をしたいタイプの冒険者で……まだ見習いが取れてないし」と、困った顔をされた。なんでも、異世界の冒険者は、なりたてのころは「見習い」、一人前になれば称号はナシ、その上が「腕利き」でここまでくれば一流、その上の「達人」が事実上の最高位で、そのさらに上の、「明星」は先代の魔王を倒した勇者たちしか名乗らなかったのだ、ということだった。
とても分かり易いシステムである。俺はふと、ロイに歳を尋ねた。二十二だそうだ。十八から冒険者をやっているというのにいまだに見習い等級なのだという。モンスターを征伐する仕事より、とにかく未知の土地を探検するのが大好き、という変わり者なのもその一因らしい。
ロイはミツ祖母ちゃんの使いっぱしりとして、食材や生活用品の買い出しにいくのが仕事になってしまったそうだ。いとくにはみたことのない珍しい食材がわんさかある、そして五円玉と五十円玉に穴が開いているのが不思議だ、それ以上に不思議なのは千円札にせよ五千円札にせよ一万円札にせよ、紙切れが通貨として用いられていることだ、とロイは不思議がる。ロイの財布を見せてもらったが、不ぞろいな銀貨と銅貨がいくらか入っている、という塩梅だ。
ロイはモンスターと真っ向から戦うのは苦手だと言い、ホームセンターで売っている目玉模様の鳥よけが故郷の村のスライムよけに似ているとは言ったものの、目玉模様はゴブリンくらいの知能があればあっさり看破されてしまうものらしい。
「ゴブリンをバカにすると痛い目に遭うんですよ」
と、ロイは言う。群れからはぐれたゴブリンを倒して、うっかり死骸を片付け忘れると、仲間が大群で報復にくるとか恐ろしいことを言っている。
とりあえずロイの剣術がなんの役にも立たないことがわかった。俺はあかりに連絡してみることにした。駐在所の茶の間に、プロテインの缶がペン立てとして置かれていたのを俺は知っている。あかりのお父さんはがっちりと筋肉質で大柄で、警察官なら逮捕術、柔道、合気道、剣道の類ができるのではと思ったのだ。まあ、いまの時間ならあかりは学校か……。
数分後速攻で返信が来た。お前学校はどうした。
『うちの父、もう逮捕術の大会に出なくなって久しいし、だいいち筋肉質に見えるけどあれはほぼほぼ脂肪分だから(しょんぼり顔の絵文字)それからいまは秋田県警大忙しだし、だいたい逮捕術でモンスターは倒せないと思う(お巡りさんの絵文字)』
ごもっともです……。しかしなんでお前そんな返信早いんだよ。
『鳳鳴もとうぶんお休みなんだってさー(よく分からない猫ちゃんの絵文字)マーヒーなんだー。でも父が駐在所を空けてるから、母と出かけるわけにいかないしねー』
あかりの通う鳳鳴高校は、この秋田県の県北ではいちばんの進学校である。たまぁに東大や京大にいくような生徒も出る。中学の上澄みみたいなやつらの行く学校だ。
うーむ。あかりのお父さんにも頼れないとなると、誰に頼って剣術やら体術やらを覚えればいいんだろう。
なんで俺が戦う技術の会得を目指しているのかというと、自衛するべきだと思うからだ。俺の家の庭は、庭木が伸び放題で、どこに魔物が潜んでいるか分からないし、仮に魔物が出たら姉貴や祖母ちゃんを守れるのは俺一人だ。ときどき冒険者がやってきてやっつけてくれるが、いつまでもそれに頼っているわけにはいかない。
俺だって強くなりたいのだ。せっかく異世界にきたわけだし。
えーと、えーと。俺は喧嘩っぱやいのが特徴だがそれだって人間相手に少々ぶん殴る程度だし、素手でモンスターをやっつけられるわけがない。そうだ、剣道部のやつとかに連絡してみるか。我ながらナイスアイディア。そう思ってスマホの連絡帳を開くと、家族とあかりしか登録されていないのであった。なにがナイスアイディアだよ……。
そう、俺はわりに、孤独なやつなのである。
孤独を好むとか、クラスのやつと関わりたくないとか、そういうわけではない。友達になってくれるならだれでもOKなのだ。むしろ友達に飢えているフシすらある。
だが、俺は鏡を覗き込んで思う。いくらなんでも精悍すぎやしないか。目は三白眼だし、眉毛が傷跡でとぎれている(子供のころ飼い猫にしつこく構ってひっかかれた痕だ)し、ヤクザの下っ端と紹介されても文句の言えない顔だ。
そんなおっかねぇ顔で、親しくしてくれるやつなぞ一人もいないのである。弘前の高校に進学したので、とりあえず小中学校のころの武勇伝を知っているやつはいないものの、もう「あの菅原陸斗ってやつ、小学校のころ担任の先生殴ってジソー送りにされたらしいぞ」みたいな噂はちらほら立ち始めている。なお先生を殴ったのは実話だがジソーには送られていない。
そのタイミングで秋田県が異世界転移してくれたので、クラスメイトがひそひそ言うのを聴かないで済むわけなのだが。
ちなみに俺の攻撃手段は「殴る」だけである。ちょっと、小汚いゴブリンをじかに殴る勇気はないし、ましてやアンデッドなんて気持ち悪すぎてとてもじゃないが殴れない。
喧嘩っぱやい性格でこそあるものの、「菅原陸斗は優しいやつだよ」とあかりには言われる。これが噂の「オタクに優しいギャル」概念だろうかと思うのだが、どうやら、俺が優しいというのは「筋の通らないことには徹底的に立ち向かい、どんな権力にも屈しない」という意味で「優しいやつ」ということらしい。
優しい世界というのはみんながお腹いっぱいでニコニコしている世界ではないのだとあかりは言う。あかりは読書家なので、いろいろなことを知っているのだ。
とにかく剣道部のやつに剣術を教わるルートもつぶれてしまった。だいたい俺の行っている高校は弘前なので、生徒のほとんどが青森県民である。仮に剣道部の友達がいたとしても、会って教えてもらうことはだいたい不可能だろうと思われる。
すっかり手づまりになってしまった。とりあえず姉貴とホームセンターに行って、スライム避けに畑の鳥よけを買ってこよう、という話になった。ホームセンターについてみると、たくさんの人が鳥よけやら猫よけマットやらを買っていて、俺たちは完全に出遅れた形だった。もう、家庭菜園用の小さいやつしか売っていない。それでもないよりマシなので買う。
姉貴の車でホームセンターの駐車場を出て、まっすぐ家に帰る。道中、ちらほらとスライムや化けコウモリがいるのを見かけた。家に帰って鳥よけを設置し、昼ご飯にした。
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