環奈ちゃんとラックの種
異世界に秋田県が転移してだいぶ経った。異世界の鳥がいろいろな種を運んでくるので、うちの庭にも得体のしれない植物が次々と生えるようになった。
庭が異世界の植物だらけになるころに、学校の図書室の本はほぼ読破した。さすがに分厚い水滸伝を読むのは勇気が必要だったが、漫画の水滸伝がなぜか肝心の最終巻だけなくなっていたので、結末が知りたくて高学年向けの字の水滸伝を読んだけれど、なかなか面白く読めた。
もしかすると、もし誕生日プレゼントがニンテンドースイッチだったら、こういう楽しいこととは無縁で、クラスのやつらとゲームでぎゃあぎゃあ騒ぐだけで、面白い本を読むなんて考えもしなかったかもしれない。でもリカちゃんのおばあちゃんを誕生日にもらっても嬉しくないことは確かなのだが。
さて、庭に生えた得体のしれない植物について、あたしは研究を始めることにした。どうせ永遠に夏休みなので、自由研究である。なにやらモモのような実がなっている木がある。これ食べられないかな。最近では果物もそんなに食べていない。ポワポワボートをたまに食べるくらいだ。
うかつに触って手がかぶれたりしたらいやなので、ばぁばが施設に行く前草むしりに使っていた手袋をつけてもいでみる。匂いを嗅ぐと完璧に果物の匂いだ。でもポワポワではなさそうだ。なんて果物だろう。
これ、どこにいけば調べられるのかな。とりあえず陸斗に訊いてみよう。それを持ったまま、菅原家に向かった。陸斗は壁に背中をあずけて空気椅子トレーニングをしていた。どんどんムキムキマッチョになっていく。やっぱり不審者だ。
しそジュースが出てきたのでそれを飲みながら、陸斗に詳しいことを話す。庭から生えてきた木になっていた。これはなんの木の実だろう、と。
「うーんと。俺そういうの詳しくねんだよなー。ちょっと待ってれ」
陸斗はスマホをぽちぽちいじってどっかに電話をかけた。しばらく電話して、
「ロイが見てくれるって」と答えた。ロイってあの、きりたんぽを食べた時にいた異世界人かあ。少ししてロイがきた。ロイは果物を見るなり、
「これは食べられませんよ。でも種は乾かせば食べられます」
と、そう答えた。種? 実じゃなくて種?
「これの種はラックの種といって、運がよくなることで有名なんです」
「運がよくなるとどうなるの?」そう訊ねると、
「運がよくなると……会心の一撃が出やすくなります」
なんだ会心の一撃って。陸斗に訊ねると、なんでもRPGというジャンルのゲームで、ふつうの攻撃をしかけたのに運よく強力な一撃が出ることだという。
あたしにはなんの関係もないのである。
ちょっと残念に思いながら、ため息なんぞつきつつ家に帰る。
家に帰り、ゴム手袋をして果物を剥く。なるほど剥いてみると中身は超イガイガだ。これはパイナップルみたいに食べると口の中が痛くなる……では済まされそうにない。
鍵っ子なので果物は剥きなれている。刃物を使うのはそう怖いとは思わない。
種にたどり着いた。ふつうに梅干しの種とかそんな感じだ。干しておく。会心の一撃とやらに興味はないが、味が気になるのだ。
学校の本は読みつくしたし、図書館の児童書も半分くらい読んでしまった。青空文庫も興味を惹かれる作家のものは読みつくした。何か楽しいことないかな。リカちゃんのおばあちゃんを取り出す。こんな美人のおばあちゃんが存在するわけがない。
楽しいことないかなあ。そんなことを考えつつ、冷凍庫から常備菜を引っ張り出してチンして食べる。ふつうの味。それからテレビをぼーっと見て、遅くなったので寝た。
翌朝。干しておいたラックの種は、きれいに乾いていた。恐る恐る歯をたてる。
かりっとした食感。おいしいかも――と思ったら、すごくすごく苦かった。なんとか飲み込み、奥村さんに分けてもらったしそジュースで苦い味を追い出す。
……食べたところで会心の一撃が出るだけなんだけど。でもなにか面白いことがあるといいなあ。そんなことを考えながら、朝ごはんを食べて、チョークで道路に落書きをはじめた。
「あれー環奈ちゃんじゃん。絵描いてるの?」
あ、陸斗の友だちで美人のひとだ。なにか箱を手に持っている。うん、と頷くと、
「うちでシフォンケーキ焼いたんだけど、環奈ちゃん一緒に食べない?」と、そう言ってきた。
し、シフォンケーキ? シフォンケーキってあのシフォンケーキ? やったあ。食べる食べる! そう答えて駆け寄ると、美人のひとはあたしと一緒に陸斗の家に入った。異世界のお姫様もいる。急に嬉しくなってしまった。
テーブルの上にはシフォンケーキが置かれている。みんなワクワク顔でそれを切り分けて、みんなでつついて食べた。おいしかった。
なんでも、きょうは異世界のお姫様の誕生日だったらしい。かき氷も出てきた。うれしくおいしくたのしく食べた。
「誕生日といえばプレゼントですわね」
お姫様はそんなことを言いだした。……なかなか図々しいな……。
「イルミィったら……うちのお父さんからPSVitaもらったべした……」
ぴーえすびーた。ちょっと古いゲーム機だ。いいなあ。あたしもゲーム機欲しいなあ。
それを素直に言うと、美人のひとは残念そうな顔をして、
「お誕生日にスイッチ買ってもらう約束だったのにリカちゃんのおばあちゃんもらったんだっけ」と同情してきた。同情するならゲーム機をくれ。そう言うと美人のひとと陸斗が大爆笑した。よく知らないが昔のドラマの有名なフレーズだったらしい。しかも陸斗たちは実際にそのドラマを観たわけでなく、バラエティ番組でよく使われるフレーズなので笑ったらしい。
「だってリカちゃんのおばあちゃんだよ! リカちゃんのおばあちゃん!」
ちょっと怒り気味にそう言うと、美人のひとは考えこんで、
「小学校でスイッチのゲーム流行ってたんだ」と質問してきた。
「うん。スプラトゥーンってやつ。でも最近はみんな、お父さんとかのクレカであつまれどうぶつの森買ってもらってる。いいなあ、あつまれどうぶつの森」
「あつまれどうぶつの森かあ……ネットで面白いって評判だもんね。でもあたしはどうぶつの森そんなに興味ないんだよなー。戦うゲームのほうが好き。ポケモンとかモンハンとか」
「あたしはポケモンもやったことない。小学生になったらゲーム買ってもらえる約束で、でも一年生のときは友だちもあんまりやってなかったからって買ってもらえなかった。二年生になって、周りもぼつぼつゲームし始めて、それならいいよって買ってもらうことになったのに、リカちゃんのおばあちゃんだよ、リカちゃんのおばあちゃん!」
「お、おう、ごめん……うーん。DSとかなら譲ってあげられるけど、さすがにみんなスイッチで遊んでるのに一人だけDSは恥ずかしいよね。っていうか周りに合わせて日和見する親ってどういうこと? ゲームぐらいサクッと買ってやりゃいいべした」
「あのよあかり、スイッチはオンライン有料だべ、ソフトもDSとかのそれよりずっと高いべ、ハードの値段も可愛くねーべ、ほいほい買ってやれるもんでねーってね?」
「うんまあそりゃそうだ沙羅双樹」
沙羅双樹ってなんだ。あたしは、お父さんお母さんがゲーム脳を心配していた話をする。
「ゲーム脳かあ……あたし二歳くらいからゲームしてたのに普通に鳳鳴受かったんだけどなあ。完全に無意味な心配だと思うんだども」
「たぶんうちのお父さんお母さんは、最初からスイッチ買うつもりはなくて、秋田県が異世界に吹っ飛んだのを言い訳にして、リカちゃんのおばあちゃんにしたんだと思う」
みんなでシフォンケーキをつつきながらそんな話をする。異世界のお姫様が、
「ゲーム……って、頭によくないんですの?」
と訊ねてくる。美人のひとは肩をすくめて、
「そういうトンデモ説が広まってただけで事実無根だよ。人はゲームから学ぶことがたくさんある」と、そう答えた。
「あのや、環奈ちゃん。環奈ちゃんは将棋わかるか?」と、陸斗が聞いてきた。
「しょうぎ……って、ふじいそーたとかひふみんのやつ?」
それくらいしか知らないのでそう訊ねる。陸斗は頷くと押し入れをあけた。
「ゲーム機とかソフトは俺も3DSで止まってらし、それでもなんだかんだ高価なものだし、環奈ちゃんのお父さんお母さんがやらせたくないなら無理にプレゼントはできないから、……これ、けらぁ」
押し入れから出てきたのは、折り畳みの将棋盤と将棋の駒だった。将棋盤は箱に入っていて、「任天堂謹製」と書かれている。
「ニンテンドーってこういうの作ってるんだ」
「そうだ。ほかにも花札とか碁盤とかも作ってる。もともとこういう、ボードゲームの道具を作る会社なんだ。ほれ」
将棋盤と駒を渡された。渡されても遊び方が分からない。すごく頭がよくてすごく算数が得意じゃなきゃできない遊びだということしか分からない。そしてあたしの算数の成績は死んでいる。
「遊び方はググれ。――はった。環奈ちゃんは一人っ子だから一緒に遊ぶ相手いねのか」
「陸斗が相手してやればいいべしゃ。実力は互角でね?」
「うんまあそうだばって。ほら、図書館サ子供向けの将棋の本いっぱいあるべ? そういうの読んでみればいいと思う」
……なるほど。図書館で見つけたときは意味不明だった将棋の本が、これがあれば読めるのか。なんだか嬉しくなってしまった。美人のひとにケーキのお礼を言い、家に帰った。
――なんか車来てる。施設の車だ。――じぃじやばぁばになにかあったのだろうか。
「あのっ」車に駆け寄ってそう声をかける。車から、車椅子に乗ったじぃじを降ろしているところだった。お母さんが手伝っている。なんと、お母さんも帰ってきていたのだ。
急に、変に嬉しくなってしまった。施設の車が帰った後、あたしはじぃじとお喋りしていた。じぃじは少し歳をとったように見える。でも元気そうだ。
「おお、環奈ちゃん、どうしてあった? 元気であったか?」
「うん。元気だったけどずっと寂しかった。じぃじが帰ってきてうれしい」
「まあ何日かしかいられねえばってな……それ、なした?」
じいじはあたしが抱えている将棋盤に気付いた。かくかくしかじか、と説明すると、
「そいだばじぃじが教えてけらぁ」と、じぃじは嬉しそうな顔をした。ふと、じぃじの部屋の欄間にかけてある何枚かの賞状を見る。市民将棋大会優勝だとか、将棋アマチュア四段だとか、そういうことが書いてある。将棋の道具は、施設に持っていけないので処分したのだ、とじぃじは言った。
「でも将棋ってすっごく頭がよくてすっごく算数得意じゃなきゃできないんでしょ?」
「そんなことはねよ、じぃじも数学大っ嫌いであった。よおし、駒の動き方わかるか?」
「まだわかんない」素直にそう言うと、じぃじはあたしの使いかけの算数のノートに、駒の動き方を書いてくれた。さっそくじぃじと将棋を指した。もちろん負けたけれど、「環奈ちゃんは筋がいいど」と褒められた。
そしてなにより、すごく楽しかった。
「お母さんから聞いたども、環奈ちゃんはゲーム機買ってもらえねがったんだべ? その代わりに将棋覚えればどうだ? じぃじ、また施設サ行っても頑張って家サ帰ってくるったいに、それまでにいっぱい勉強せばいいよ。ほれ、詰将棋の本」
……これは、ラックの種の効き目なのかもしれない。
明日から勉強することが増えたのが、すごくすごく嬉しかった。
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