4 かまくらは犠牲になったのだ

4-1 冬のお祭りが軒並み中止になる

 さて、俺はいま何をしているかというと、あかりの家でお昼ご飯をご馳走になっている。ドレッシングがピエトロだ。うまい。野菜そのものはプランターで育てたもので、本職の農家さんの作ったもののようにはいかないが、それなりにおいしい野菜である。あかりに、「マーヒーだから遊ぼうよ」と連絡されて、遊びに行ったらお昼まで出てきてしまったのだ。


「あかり、キミもケ」と、あかりのお父さんがサラダをバリバリ食べながら言った。ようするに、「あかり、トウモロコシも食べなさい」という意味である。

「やんだぁ家庭菜園のキミおいしくないもん」あかりはワガママを言っている。俺は我関せずでサラダを食べる。トウモロコシをまとめてフォークにぶっさして口に運ぶと、あかりのお父さんは

「ほれ、菅原君を見れ。ちゃんとキミ食べでらど」

 と俺のほうをちらと見た。あかりは「よくもやってくれたな」と言わんばかりの顔で、しぶしぶトウモロコシを口に入れた。HPゲージが少々削れる。


 テレビではニュースをやっていて、この常夏状態では横手のかまくらも湯沢の犬っこ祭りも難しい、というか不可能、というようなことをやっていた。横手のかまくらは説明しないでも分かるだろう。湯沢の犬っこ祭りというのは犬の雪像を作る祭りである。


「そっかあー……かまくらも犬っこもないのかあー」

 あかりが残念そうにそうつぶやく。あかりの服を着せられて胸がぱつぱつのイルミィが、のんびりサラダをはむはむしながら、

「かまくら? 犬っこ? なんなんですの?」と疑問を発する。


 あかりは食べ終えた食器を下げて、押し入れをガラガラーっと開けて中からアルバムを取り出した。未就学児のあかりがかまくらと一緒に写っている。犬っこの雪像と撮ったものもある。


「こっちがかまくらでこっちが犬っこ。どっちも雪で作るからここじゃ無理だね」

「へえー……きれいですのね。これがぜんぶ雪?」

「そうだよ。この世界に来る前の秋田県は北国だったからね」

「これも、すまほで撮ったんですの?」

「違うよーこれはデジカメで撮ったの。あのころはまだお父さんもガラケーだったからね。ガラケーっていうのは、なんていうかこう……真ん中から二つ折りにパカパカできるやつで、といっても使い方知らないな。タッチパネルじゃなくてボタン操作なのは知ってる」


 イルミィは分かっているのかいないのか、こくこくと頷いてアルバムをめくった。

「まあ綺麗。これはなんの花なんですの?」

「これは桧木内川堤の桜だよ。きれいでしょ。常夏になっちゃったからもう咲かないけどね」


 ものすごい桜をバックに、小学生のあかりがポーズを決めている。あかりって子供のころから可愛い顔してたんだな……。


 あかりのいる駐在所の茶の間には、あかりのお母さんの趣味だというジャニタレのカレンダーがかけられていて、一日一日斜線で消してある。いまはどうやら日本では十月らしい。十月になれば平常運転の秋田県ならストーブを点ける時期だが、ここはずいぶんと暖かい。暖かいというより、夏だ。


 テレビのニュースでは秋田県警が異世界を探検する組織を結成する、というようなことをやっていた。あかりが、

「この引っ込み思案でエフリコギの秋田県民がねえ」とつぶやく。エフリコギというのは「いいフリこき」という言葉が訛ったもので、要するにいいカッコしいとか、見栄っ張りとか、そういう意味である。


「ま、湯沢にせよ横手にせよ、大館に住んでたら簡単に見に行ける距離じゃないしね。雪が降らないなら灯油焚かないで済むし」

 そういうあかりは、どこかさみしそうだった。


 あかりは優しい。いわゆる「オタクに優しいギャル」概念みたいなところがあるのだが、誰にも分け隔てなく優しいのでそういうのとはちょっと違う。


 俺とあかりが親しくなったきっかけは、中学の、東京に向かう修学旅行の新幹線で、あかりが俺をインディアンポーカーに誘ってくれたことだった。俺は当時も友達がいなかったので、一人隅っこで谷川俊太郎の詩集を読んでいたわけだが、その様子を見かねたらしいあかりが、


「菅原君も来いばいいじゃん。一緒にインディアンポ―カーやろうよ。いいよねみんな」


 と、俺を誘ってくれたのだった。あかりは学校では俺を「菅原君」と呼んだ。


 そのときのあかりの優しさを俺は一生、絶対忘れないし、ほかのクラスメイトのモニョり顔も、絶対に忘れない。

 ちなみに「来いば」というのは「くれば」という意味の、子供が使う秋田弁である。


 お昼ご飯をご馳走になって、それからまたしばらくインディアンポーカーで遊び、帰ることになった。姉貴に連絡を入れて、迎えに来てもらう。


「あかりちゃん元気そうだね」と、姉貴はあかりに声をかけた。

「マミさんも元気そうですねえ。……なんですそれ」

 あかりは姉貴の車の後部座席に積まれている米袋をみてそう言った。俺もなんで米を積んでいるのかピンとこない。姉貴に、「その米なした?」と訊ねると、


「それがさあうちの裏の茂内さんちにゴブリンとスライムがわいちゃって、組合が明日オープンするから、そこに依頼を持ちこめって祖母ちゃんに命令されてね。ばあちゃんの実家まで米もらいに行ってきたとこ」と、姉貴は答えた。


 茂内さんというのは俺の家のすぐ裏にあるおばあさんの一人暮らしの家で、そのおばあさんがたまたま鎌倉の親戚の家に行っている間に秋田県は異世界にぶっとんだ。そういうわけでいまは空き家なのだが、どうやらそこにゴブリンとスライムがわいているようなのである。


 どちらもそれ自体はそれほど恐ろしくないモンスターだが、群れでいると危険だ。


 明日オープンする「組合」というのは、異世界においてごくごく当たり前の、冒険者を集めてくる組織のことだ。賃金は本当に米で支払われる。桂城交番のすぐ近くに、プレハブで建物ができていて、そこが組合になるようだ。


 とにかく用事は終わった。さて帰るか、と姉貴の車に乗ろうとしたそのとき、化けコウモリの群れがばさばさと飛んできた。きいきい喚きながら、化けコウモリが電撃魔法をばりばりと放つ。


「うわーっ」あかりが悲鳴を上げた。あかりのお父さんが「秋田工業高校」と書かれた古いジャージ姿のまま飛び出してきて、その辺の石ころを適当にぶん投げると、化けコウモリの群れは逃げていった。


 投げた石ころで逃げた、というより、あかりのお父さんの圧で逃げた、という感じだ。


「大丈夫か、怪我はないか?」と、あかりのお父さん。

「う、うん……裏のイチジクは?」と、あかり。駐在所の裏にはイチジクの木が生えているらしく、どうやらそれを狙って化けコウモリの群れが現れるようだ。


「裏のイチジクなんてどうでもいいべした。あかりや菅原君が無事なのが大事だ。あ、菅原君のお姉さん」

「あっどうも、いっつもお世話になってます。きょうはお昼までいただいたみたいで」

「なぁんもだす。プランター菜園の野菜だすよ。気を付けて帰ってけれす」

 というわけで帰路についた。


「姉貴はさ、この秋田県を異世界に飛ばした張本人じゃん」

「んだね。それがなした?」

「かまくらと犬っこ祭りが中止になって桧木内川堤の桜が咲かないことについてなにか一言」


「あー……県南の地理はよく知らないけどあかりちゃんって角館のひとなんだっけか……」


 ちなみに「角館」を、一部の秋田県民は「かくだて」と読む。関係ないが「五城目」はほとんどの秋田県民が「ごじょのめ」と読む。


「ま、灯油焚かなくていいから万々歳なんでね? ニュースでやってらったばって二毛作とか二期作もできるんだべ? なんも悪いことねーべ」


 いやまあそうなのだが、秋田県から「冬の情緒」を取り除いたら米と酒くらいしか残らないのではなかろうか。

 あかりが県南の雪まつりの類を見られなくて悲しんでいることを姉貴に伝えるのはなんとなく気が引けて、俺はそれ以上なにも言わなかった。


 家に帰ってくるととき子祖母ちゃんが夕飯を作っていた。おいしそうな匂いがする。なにを作っているんだろうと覗き込むと、冷凍していた頂きもののリアル比内鶏の肉(なお比内鶏は天然記念物なので本当は食べちゃいけない)を、テレビで以前見た鶏肉のすき焼きにしていた。


「豪華だねえ」と、姉貴。

「なんも豪華でねぇ。食べるものがねくてこうなった」と、とき子祖母ちゃんは嘆く。


「萬海、米取りに行ってけだ? 聡一なんて言ってあった?」

「萬海ちゃんはいつ結婚するんだって言われたったいにそれはセクハラだって言ってやった」

「は! 痛快だこと! でもちゃんと結婚のこと考えれよ」


 とき子祖母ちゃんはニコニコ笑った。とき子祖母ちゃんの実家はいわゆる「豪農」である。聡一、というのはとき子祖母ちゃんの弟である。


 なんでも、とき子祖母ちゃんの母親は戦時中にいじめられている中国人労働者におにぎりを渡しただとか、とき子祖母ちゃんの姉でもう亡くなっている松子さんは戦時中女学校でおにぎりを配りまくって人気者だったとか、とにかくその手の逸話には事欠かない。

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