6 濃縮コメエキスポーション「日本酒」

6-1 秋田県の酒蔵黒糖焼酎を作り始める

 俺はライトノベルのいわゆる「お色気展開」が苦手だ。

 あるいは、「お色気」に頼って話を進めるタイプのライトノベルが苦手だ。そんなのはジュヴナイルポルノではないか。俺が読みたいのは血沸き肉躍る物語で、お色気シーンのえっちな挿絵に興奮したいわけではないのである。


 だからお色気成分の薄そうな硬派な感じの表紙の本から手に取る。……しかし、なぜライトノベルの表紙というのはヒロインにこにこ主人公たじたじの絵柄があんなにも多いのだろう。


 そんなことは(最初に言ってしまったが)どうでもいい。八月だったか七月だったかに異世界にぶっ飛んで、あかりの家のジャニタレのカレンダーは最後までめくってしまった。もう元の世界ではお正月だ。例年ならのっつり雪が積もって毎日雪掻きをして、終わったと思ったらまた一メートル積もっている、という感じなはず。だがここは常夏である。


 米の二期作や枝豆との二毛作だけでなく、休耕田でサトウキビを育てる計画が始まった。サトウキビはタキア藩王国の名産品で、それから作られた砂糖は帝都に運ばれ、貴人たちの口にはいる。


 で、秋田県民は飲み会で全員集合する前に乾杯の練習をする超酒飲み民族である。「サトウキビが採れるったば、黒糖焼酎作れるってね?」と考えるのは自明。あちこちの酒蔵が日本酒だけでなく黒糖焼酎を作り始めた。


 そういうわけで、姉貴はテレポーターで仕事に行く日以外は、おおむね酒浸りをやっていて「ああ、ハタハタの寿司が食いたい」などとわめいている。


 秋田県民ならだれでもハタハタが好きと思われる向きもあるかと思うが、俺はハタハタがとても苦手だ。季節になるといとくの鮮魚売り場から金魚すくいの匂いがしてオエっとなる。だれがすき好んであんたもの食べるってや、と思うのだが、驚いたことに姉貴も、とき子祖母ちゃんも、ミツ祖母ちゃんもハタハタは大好物なのである……。


 玉子であるブリコがうまいと姉貴はいうのだが、ヌルヌルブチブチするし噛み切れなくておいしいと思えないし、魚自体は食べる部分が少ないしヌメヌメする。


 でも異世界に来たのでそんなものの心配は無用。今年はスーパーの鮮魚売り場で金魚すくいの匂いがしないで済むぞ――と思っていたらなにやら極彩色で牙と角のある魚が売られていて、やっぱり金魚すくいの匂いがするのだった。その虹色にビカビカする魚は「タハタハ」と呼ばれているらしく、面白がって買ってきたら鱗が死ぬほど硬かった。これモンスターなんじゃねえのか。しかしとにかくとき子祖母ちゃんが三枚におろして煮魚にしたところ想像以上においしかった。これ、父さんがいたら確実に燗酒とセットで食べるやつだ。


 ちなみに、秋田県が異世界に転移してしまい現実世界に取り残された台湾旅行中の父さんと母さんは、どうやらいま仙台の親戚を頼って暮らしているらしい。


 親はいないし祖母ちゃんは家を空けることが多いし、アラサーの姉と高校生の弟が家にいる、このシチュエーションだけで興奮する人種が少なからずいると俺はあかりに聞かされている。あかりはインスタだけでなくツイッターもやっていて、ポケモンの擬人化イラストをUPしたり、手作りしたアニメグッズなんかの写真もUPしている。あかり曰く、「インスタにはキラキラを、ツイッターにはオタク成分を」とのことである。


 そいで、そのオタクアカウントのフォロワーさんに、おねショタの伝道師みたいなイラストレーターさんがいて、そのイラストレーターさんの描かれるおねショタ漫画に、いちいち

「これはときめきがとまらんわ……」

 と思っているらしい。あかりは一人っ子なのできょうだいというものへのあこがれが強いらしく、そんな楽しいイベントが現実に発生するわけがないのだが、「ああ、お姉ちゃんに『こら弟~』って言われたい」とか、お前女だろと突っ込みたくなるようなことをのたまうのだった。


 ある日、いつも通りあかりの家でインディアンポーカー大会を開催していると、あかりのお父さんが唐突に、


「この間のよ、なまはげパーティあったべ? あれでよ、県内の酒造会社が、異世界さも酒っこ売るって話してらんだど」

 と言いだした。異世界に売って売れるのか、日本酒。


「なんか異世界の人たち気持ちよさそうに酔っぱらってたもんね」

 あかりはそう言いコーヒーをすする。あかりのお父さんの同僚で、秋田県警異世界探検隊の人が持ち帰った、カフィーという飲み物の材料――要するにコーヒー豆から作ったコーヒーだ。日本で飲むコーヒーより苦みも酸味もするどく、刺激的な味だ。


「お酒って、あの透明なお薬?」

 イルミィが訊ねてくる。そうだよ、とあかりは答えて、イルミィのおでこに当てられているカード――キング――をちらと見、

「イルミィ、そのカードで勝負に出るのはどうかな」

 と意味深なことを言って混乱させにかかる。イルミィは思わず、

「お、降りるわ!」と言って勝負を降りてしまった。ハイ、イルミィの負け。


「ああーっ! ず、ずるいですわっ! このまま勝負に出たら勝っていたのに!」

「そういう心理的なやりとりこそインディアンポーカーの醍醐味だからねー」

「ぐぎぎ……次こそ!」


 そういう勝負をしばらく続けて、飽きてきたところで休憩と相成った。コーヒーは飲んだ。なにか別のものを飲みたい、と俺は考えたけれどそんなものはない――


「甘酒飲む? 母が炊飯器で作ってみたんだけど」

 と、あかりがコップに甘酒を注いで持ってきた。なるほど、自販機で買うのよりはおいしそうだ。米のいい匂いがする。ちなみにあかりのお母さんは角館のご実家に行っている。


 一口すすって、心がぽかぽかした。

「なっつかしー。かまくらで飲んだっけ。夜の寒い日でさ、でもあれは寒いっても県南で冬も終盤だったからそんなでもないか……でも寒いもんは寒いか。かまくらで飲んだんだ。綿入れ半纏なんか着ちゃってさ」


 あかりはせつなげにそう言い、イルミィにも甘酒を勧めた。

「まあおいしいわ、白い米のお薬なんて久しぶり。体にいいからって小さいころよく飲まされましたの」


 イルミィはおいしそうに甘酒を飲んでいる。あかりのお父さんは甘いものでも辛いものでもなんでも食べる雑食おじさんなので、やっぱり甘酒をごきゅごきゅ飲んでいる。


「甘酒、つまり白い米のお薬っつうのは、やっぱり女子供の飲むものなんだか?」と、俺。

「ええ。子供は飲めば滋養がつくし、女が飲めば肌や髪がきれいになるって」

「あー、美容液を飲んでるようなもんだってなんかで見た。やばいね、あたしますます美人になっちゃう」


 あかりがこれ以上美人になったら対応の仕方が分からなくなって困る。そう言うとあかりは笑い飛ばしたがあかりのお父さんは照れている。


「す、菅原君。こんな娘でよければ」

「ちょ、お父さん、縁談進めるなし。あたしにだって選択の権利はある」


「だどもあかりよ、おめ学校も休みで家サ呼ぶ友達ったば菅原君だけでねが」

「……それは」


「この白い米のお薬、おかわりはあるのかしら?」

「あ、う、うん! いま注いでくる!」

 あかりはイルミィのコップを受け取ると立ち上がって台所に行った。


 あかりが、家に呼ぶ友達って、俺だけなのか。そう思ったら、なんだかどきどきした。


 テーブルの上に投げ出されている、あかりの可愛いケースに入れられ手製のストラップのぶら下がっているスマホが鳴り出した。あかりは戻ってきて電話に出る。


「はいもしもし――え。ああ、そうなの。そっかあ、じゃああたし、いく。あーでも菅原君来てるんだよね、どうしよう。お父さん? いるよ、え、じゃあお父さんと菅原君とイルミィに留守番させるってこと? さすがに無責任すぎない?」


 どうやらお母さんから連絡らしい。ひとしきり喋った後、あかりはあかりのお父さんにスマホをわたした。


「はい替わりました。はい。はい。は? 振袖? そんたもの後回しでいいべった。どうせ大館は成人式も夏だしよ、だいたいまだ三年も先だど。はー……前撮り……十七で? 前撮りにも程があるべ。いや印刷する紙の問題もあるんだべども……」


 どうやらあかりの振袖の話らしい。

 振袖かあ。姉貴は「成人式は夏でドレスだしそんなあほみたいに金のかかるもん買うならパソコン買ってくれ」と言ったはずだ。なんの情緒もない。


「だどもよ、この気候だべ、振袖なんか着たら貧血でぶっ倒れるべした。あー? まあ……だども……わかった。わかったからそんなに怒らねえでけれ……」

 電話が切れたようだ。

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