5-5 女児先輩辞書の引き方を覚える
そもそもどうやら異世界には酒の概念がないようなので、そりゃあ、初めて酔っぱらっていい気分になって、いやらしいことに及びたくなったのかもしれない。だが、そこまで見境なくなるもんなんだろうか。当然ながら酒を飲んだことがないのでわからない。でも、酒に酔って変なことをしてしまう話はよく聞く。だからありえるかなとも思う。
姉貴はローカルニュースを見た後、新聞をひろげた。例の、日本に秋田県があったころは、お悔やみ欄くらいしか見るところのなかったやつだ。しかしいまでは貴重な情報源である。
「ふむ。たけや製パンがポワポワボートを増産とな。ポワポワの種が持ち帰られて、畑が始まると。なるほどなるほど」
あのあっまいやつ、秋田県の土で育つんだべか。姉貴は新聞をしばらく眺めて、
「秋田県、いいじゃないの。人口も流出しないし、安全安心」と言って笑う。
「いや裏の空き家にスライムとかわくのは安全安心とは言わねえべ」
「スライムで済んでよかったじゃないの。これがもしもっと魔物魔物したやつ――たとえば魔王とかそういうのだったらこんなんじゃ済まないよ」
「いや裏の空き家に魔王は住み着かねえべ」
新聞を見る。秋田県警異世界探検隊が、タキア藩王国の王都と呼ばれる街で聞きかじった話として、この世界の裏側には魔王という極悪極まりない魔物の王様がいて、百年前に人間世界に侵略してきたときに明星等級の冒険者に叩きのめされ追い返されて、それからじわじわと回復してまた人間世界を狙っているらしい――という、不穏極まりない一文が書かれていた。
でもほんのちょっとワクワクしていた。小学校の図書室にあった初代ドラクエのゲームノベルを思い出す。ラスボスと世界を半分こしようとすると、闇の世界をわたされるんだったか。
とにかく姉貴が新聞を雑にたたんで使っていない反射式ストーブの上に雑に積んだので、ぱっと取って読んでみる。四コマ漫画は相変わらず退屈で、お悔やみ欄の死因がモンスターだったりするのだが、とにかく、なにか情報が欲しかった。
どうせテレビでは異世界なまはげのスケベ行為以外なんもないのだし。
異世界なまはげのスケベ行為は新聞にも大きく取り上げてあり、「異世界に酒の概念はなく、初めて酔いを体験して気が大きくなった結果」と書かれている。
まあそんなとこだべ。酔っ払いというのはだいたいセクハラしてくるものだ。酔っぱらってセクハラしてクビなんて当たり前すぎてニュースにもならない。
いまちょうど酒の仕込みをやっているのだとも新聞にもあった。秋田県は酒どころだ。みんなべらぼうに酒に強く、そして姉貴がいうには「飲み会の前には乾杯の練習をする」らしい。あかりに聞いてみたら「うちの父も言うよ、みんな揃う前に乾杯の練習するって」という話だったので、おそらく秋田県民ならだれでもやるのだろう。ああ、そういえばみのなんとかの出てたバラエティ番組の通称転勤ドラマでもやってたって姉貴が言ってたな、乾杯の練習。
新聞の記事を追っていくと、県知事のコメントが出ていた。
なまはげパーティを企画したのは知事らしい。知事は「大変遺憾である」というようなことを書いており、どうやらパーティは逮捕者が出たため早めに終わったらしい。きっと家に帰って猫をオチョチョしたんだべなあ。そういえばプーチン大統領からもらったロシアのネコのミールくん、もっふもふだけどこの暑さでへばってねーべか。
新聞を一通りなめつくしたところでインスタを開く。タグをフォローできるという機能を知り、「#prayforAKITA」というタグをフォローしているのだが、最近どうにも盛り上がらなくなってきた。もう秋田県民がエンジョイ異世界してしまっていることが明らかなのだ。秋田県民も「#異世界たのしい」というタグでばんばんポワポワだの近所に出たスライムだの冒険者と撮ったセルフィ―だのをUPしているありさまである。
ザギトワとか朝青龍とかが秋田犬の画像に「#prayforAKITA」のタグをつけてくれるので、ありがたく犬の画像を眺めてから、インスタを閉じた。
とき子祖母ちゃんはきょうはババヘラの売り子に行っているらしい。常夏なので、全員をどうにかローテーションして仕事を回しているらしい。しかしそろそろアイス用の香料が手に入らなくなるのではないか。砂糖だってそうだ。
俺はいつものパトロールに出かけることにした。はぐれゴブリンくらいならスコップでどうにかする度胸はある(群れとか巣は無理だが)。スコップを背負って家を出る。
きょうも谷地町町内は平和。かつてお社だった空き地はなにやら異世界の植物がにょきにょき生えてきている。空を見上げると見たことのないカラフルな鳥。鳥が種を運んできたのだろう。あれからかれこれ四か月以上経つわけだし。
とりあえず魔物の類は見かけなかった。そしてやっぱり、ゴン太にこっぴどく吠えられた。
そう言えばいつもならアスファルトにチョークで絵を描いている環奈ちゃんが見当たらないのが気になる。家にいるのだろうか……照明がついていない。まさか親御さんがいないうちに世をはかなんでしまったのか。ドキドキと不安になりながら、石垣さんの家のドアベルを鳴らす。
ぴーんぽーんとチャイムが鳴って、子供がどたばた階段を降りる音が聞こえた。ドアが開く。
「……陸斗じゃん。なに」
「いや、環奈ちゃん照明もつけないでなにしてんのかなって」
「読書以外になにをするの。陸斗の教えてくれた青空文庫で読みたかった本かたっぱしから読んでるだけ」
「そ、そうか。それはすまん」
「ねえ陸斗、質問なんだけどね、わかんないのがあって。『男女の契り』ってなに?」
唐突にすごいことを聞かれた。なにを読めば出てくるんだそんなの。
「なんでわかんないんだ?」
環奈ちゃんは首をこきっとまげて考える。
「なんか、いろんな昔の本に、似たような言葉が出てくるし、『男女の交わり』っていうのも同じ意味だと思うんだけど、漠然としすぎててわかんない」
「辞書引いてみろ辞書」
「だってそれ学校で習ってないもん」
俺は環奈ちゃんに辞書の引き方を教えた。環奈ちゃんは辞書を引き、
「これじゃますますわかんない」と答えた。その個所に出てくる言葉をもっかい引いてみろ、と教えると、環奈ちゃんはそれも引いて、
「これも具体的じゃなくてわかんない。性交ってなに?」
と、ものすごく具体的なことを言った。どう説明したもんだろう。
「それも辞書で引いてみろ。とにかくわかんない言葉はかたっぱしから辞書を引いてみる。グーグルに頼るのはそのあとだ」
「はぁい。えーっと、せ、せ、せいこう……」
大人の階段を登るところに付き合うのもなんだか嫌だったので、
「じゃあ、ちゃんとスマホ見るときは電気つけるんだぞ?」
と言って石垣さんの家を出た。石垣さんの家はオール電化なので、窓が小さく薄暗い。
ばたん、とドアを閉めた時、俺は顔面から火が出そうな気分だった。
異世界人と秋田県民――ホモ・サピエンスの下半身って、同じ造りなのかな。いやガモチョシマシ神のくだりを思えばほぼ同じということでよさそうだな。そんなことを考えてますます顔が赤くなる。家に戻るとロイがいて、さっきの俺以上に顔を赤くして正座していた。
「なにこれ。ロイ、なしてきてらんだ?」
俺が向かい合う姉貴に尋ねると、「お使いだって。ミツ祖母ちゃんがうっかり豚肉の煮込みを作り過ぎたって」という返事が返ってきた。テーブルの上にはミツ祖母ちゃんが作った豚肉の煮込みがちーんと置かれている。
「で、ロイはなして赤面してらの」
「え、い、いやその、萬海さんは美しいなあと……」
姉貴は盛大に噎せた。しばしげほげほして、
「わたしのどこが美しいの。緩み切ったアラサーだよ、この通り髪はもちゃもちゃだしドすっぴんだしわがままボディだし」と、笑った。
「で、でも。我々の国の価値観に照らせば、そのむっちりと肉付きのいい体は、すばらしい美人……ですよ? 豊かな黒髪も、白い肌も」
「わお、モテ期到来なるか」
姉貴が非モテすぎてドンヨリする。とにかく、ロイは俺に挨拶したかったのだ、と言い、それから帰っていった。男女というのは不思議なものだ。俺も彼女、欲しいなあ。
このあと、「彼女」を飛び越すかもしれない事件が起こることを、俺は知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます