異世界秋田番外編
魔王様のわくわくクマちゃんコロッセオ
世界の裏側、つまり魔界。その中央都市である魔都トーキオーンのコロッセオからは、すさまじいブーイングの声が響いていた。
人間界から拉致してきた奴隷剣士の剣が、次々下級の魔物を切り裂いていくのだ。切り裂かれた魔物は絶望の断末魔を上げ、次々倒れていく。
実況のリングアナ悪魔が叫ぶ。「奴隷剣士インドエーに勝てるものはいないのか! では次の眷族が――んん? なんだって? 魔王様がいらしている?」
ざわざわっ。コロッセオにさざなみのような緊張が走る。現れたのは、美少女のいで立ちをした魔王だった。角に超神ネイガーのキーホルダーをぶら下げ、かわいいワンピースを着ている。魔物たちは魔王に平伏した。魔王は笑顔で、
「奴隷剣士が大勝利を上げておるようじゃな」というようなことをその場にいた魔物たちに伝えた。魔物たちはハハァー! と声を上げた。
「我が眷族も弱くなったものじゃ。しかし安心せよ、新しい玩具を連れてきた」
魔王はそう言うと、指をぱちりと鳴らした。コロッセオに檻が運び込まれる。檻の中には、黒い剛毛に覆われた悪鬼のごとき形相の獣が入っていた。
「これは『クマ』という」
クマ。コロッセオにいた魔物たちは、その獣を見た。黒い毛はごわごわと力強く、爪や牙は鋭く、立ち上がると巨大である。魔物たちは拍手した。その獣はぐおおと唸り、檻から出たがっている。
「人間界に『アキタケン』という土地が現れたのはみな知っておろう。その土地に住んでおる、我らの仲間じゃ。これを打ち倒せる人間は、文明の進んだアキタケンにおいてもとても少ない」
魔王は、ゆっくりとコロッセオを眺めまわして、
「このクマに勝てたものに、褒美をやろうぞ」
と、そう言って禍々しい笑顔を浮かべた。
クマの檻が解き放たれた。奴隷剣士インドエーは腰を抜かして後ずさる。クマはゆっくりと、その奴隷剣士の正面に立ち上がる。胸元には月のような模様があり、それが奴隷剣士インドエーが最後に見たものであった。クマに喉笛を食いちぎられ、奴隷剣士インドエーは絶命した。コロッセオの魔物たちは歓声を上げる。
「次はだれだっ?」リングアナ悪魔がそう叫ぶ。次にコロッセオに現れたのは、腕が立つと評判の、スケルトンの戦士であった。スケルトンの戦士は大斧を振りかぶりクマに振り落とそうとするが、その骨の腕を、クマは思いきり横なぎに爪で払った。
スケルトンの戦士はなすすべなく、分解しバラバラになった。
「オデ、クマ、コロス。マオウサマカラ、ホウビ、モラウ」
ゴブリンチャンピオンがのそのそと巨体を揺らしてコロッセオに進んでいく。クマはゴブリンチャンピオンにもひるまない。ゴブリンチャンピオンへの応援の声が響く。
「グルルル」
クマは一言そう唸ると、ゴブリンチャンピオンに突進した。ゴブリンチャンピオンは、巨大な棍棒を振ろうとして、体の真正面に飛び込んできたクマに吹っ飛ばされた。壁に激突し、ゴブリンチャンピオンは「ウグ」と声を絞り出した。
その、ゴブリンチャンピオンの緑色の腕に、クマは思いきり噛みついた。ゴブリンチャンピオンはすさまじい絶叫を上げ、クマはゴブリンチャンピオンの腕を噛みちぎった。
――このクマという生き物、並みの戦士では太刀打ちできない。
魔物たちはそう気付いて、どうしたものか考えた。次にコロッセオに降りていったのは、魔物のなかでも知的なヴァンパイア族の女だ。
「イッヒッヒ。あたしはさっきの二人みたいにバカじゃないよ」
ヴァンパイアの女――見た目こそ美女だがおそらく中身はすんげえババア――は、そう言って魔法を詠唱した。対象から魔力を搾り取り我がものとする魔法である。
しかし、クマにはそもそも魔力がないので、不発に終わった。
「あの強さで、魔法をいっさい使っていない……だと……?」
コロッセオはまたざわついた。魔王は満足げに、貴賓席で焼きそばバゴォーンのわかめスープを飲んでいる。ヴァンパイアの女は、手から稲妻を走らせるが、クマは軽いステップでかわして、ヴァンパイアの女に飛びかかりその麗しい顔に爪を立てた。
「ヒイイーッ顔だけはアァーっ!」ヴァンパイアの女は悲鳴を上げ逃げ出した。
あのヴァンパイアですら勝てないこのクマという生き物に、魔物たちは絶大な恐怖を覚えた。勝てない。ぜったいに勝てない。みんな怯えがちに、クマを見ている。
「どうした? だれも挑まぬのか?」
魔王がそう挑発するように言う。しかし誰も挑もうとしない。
「魔王様。このままではコロッセオが成り立ちませぬ。人間の奴隷を放り込みましょう」
コロッセオを取り仕切る魔人がそう言う。魔王はうむ、と頷いた。
その連絡を受けたリングアナ悪魔が、
「さあさあ勝てるもののないこのクマに、哀れな人間どもを放り込んでみましょう!」
と叫ぶ。コロッセオに歓声があがる。
放り込まれたのは、武器すら持たないただの奴隷の男女数名。クマはまさに大虐殺という感じで、奴隷の男女を食いちぎり、最後の一人の少女まで追い込んだ。
しかし最後の一人になった少女は、恐れなかった。クマの顔をしかと見、じっと目を合わせる。
(釣りキチ三平サ描いてあった。クマと出くわしたら目を見る。目を見て眼力で勝てればクマはもう襲ってこない。そしてクマと出くわした年はたくさん魚が釣れる!)
少女は、秋田県から家出し、タキア藩王国をうろついているところを魔族の人買いに捕まり、魔界へとやってきた床屋の娘であった。
床屋にいくと本棚には一話完結の漫画、たとえばゴルゴ13なんかが置かれているものだが、彼女の育った床屋には、釣りキチ三平が全巻揃っていたのである。
クマは、その少女をじいっと見た。少女も、クマをじいっと見た。
クマはぷい、と戦意を喪失し、コロッセオの中をうろうろし始めた。
「なんと! 一番に殺されそうな娘っ子が、クマを止めたーッ!」
コロッセオにどよめきが走る。魔王の配下のものがクマを檻にもどし、魔王がコロッセオ中央に降り立った。
「素晴らしい。そなたに褒美をとらせよう」
「……あ?」
魔王は自分の言葉が人間に通じていないのを思い出し、秋田に侵略した際露払いを命じた悪魔を呼びつけた。
「魔王様は、あなたに褒美を取らせると仰せです」
「褒美……?」少女は首をかしげる。魔王は笑顔で、
「ホシーモノ、ナンデモ、アゲル」と言った。
「へば、したら……奴隷の身分を解いてけねすか。秋田県に戻る気はねぇばって、魔界を観光したいんです」
悪魔がそれを魔王に伝えると、魔王は満足げに頷いた。
「魔王様は、あなたを腰元の一人に加えて、魔界の視察旅行に連れていかれると仰せです」
「ほ、本当ですか?」
「ホントーダヨ」魔王はやっぱり人まねをする小鳥のていでそう喋ると、少女の手を握りるんるんでコロッセオの戦士待機所に向かった。そこには暴れ疲れたクマが寝ており、少女はそのクマをあらためて見た。まさか、魔界に来てまでクマと出くわすとは思わねがった。少女はそんなことを考えつつ、みすぼらしい奴隷の衣服から、魔王に与えられた服に着替えた。
「ナマエハ?」
「名前、ですか。本多のぞみと言います」
「ホンダ。エツリ?」
なんでこの魔王は大館市餌釣に本多姓が多いことを知っているのか。とにかくのぞみは安心した。のぞみは、魔王に握られていた手を振りほどいて、魔王のほうを見た。
「あ、あの、よろしぐお願いします……」のぞみはそう言い、魔王の子供のような顔を見た。魔王はにこりと微笑むと、「ヨロシクー」とさえずるような声で言った。
魔王はクマの檻を覗き込み、のぞみに「コレ、ナニタベル?」と訊ねた。のぞみは小学生のころ阿仁のくまくま園に行ったことを思い出して、「えっと……果物とか、木の実とか、あと肉とか……」と答えた。
魔王は配下の魔物に何か命令して、
「イッショニ、ゴハン、タベヨ」と、のぞみの手を引っ張った。
というわけで、のぞみはコロッセオに併設されている食堂にやってきた。なにやら得体のしれない肉がぐつぐつ煮られている。それの入った皿がでん! と置かれた。鶏肉らしき肉と、キノコと、木の根と、それから潰したご飯が煮えている。
「キリタンポ」魔王はそう言い笑顔になった。のぞみは目の前に置かれた皿の、きりたんぽには見えない不気味さに困惑しながら、とりあえず箸をつけた。
味どうらくの里の、懐かしい味がする。のぞみはキリタンポもどきをぱくぱく食べて、
「おいしいです」と魔王に言う。魔王は薄い胸を張る。
通訳の悪魔曰く、いま魔界で一番流行している食べ物が、きりたんぽと鶏めしなのだという。(秋田県となんも変わらねっしゃ)と、のぞみは心の中で悪態をついた。
のぞみは東京に行きたかった。秋田県なんていう田舎に生まれてしまったことを悲しんでいた。だから秋田県が異世界になって真っ先に目指したのは、タキア藩王国の王都だった。
しかし歩かないことに定評のある秋田県民である、あっという間にくたびれて、道端でしょげているところを、魔族の人買いに捕まり、今に至っているわけなのである。
食事ののち、魔王はのぞみを連れ魔都トーキオーン中央にある城に移動した。かつて何度も人間によって侵略され、そのたびにさらに強くなった魔都トーキオーンであるが、パッと見は完全に東京である。高層ビルが天を突かんばかりにそびえ、地下鉄があり、雑多な魔族が行きかっている。
「ココ、オシロ」魔王はそう言うと、どこからどう見ても東京都庁にしか見えない建物を指さした。
「はえー……大都会だぁ」のぞみはぽかん顔である。
のぞみは魔王の私室に通された。部屋の中にジャグジーがあり、かわいい天蓋付きの丸いベッドが置かれ、完全なるラブホテルのノリである。
「ノゾミ、クマ、ナツク?」魔王はそう訊ねてきた。クマをペットにしたいらしい。
「いえ、追い払えただけで、懐きはしないと思います」
魔王は残念そうに鼻を「すぴ」と鳴らして、
「スキナコト、ナンデモシテイイ」と言ってきた。のぞみは、
「毛糸と編み針をください。かぎ編みのやつ。あと綿も」と魔王に言った。
のぞみは、あみぐるみを作るのが好きだった。専門学校であみぐるみの技術を極めて、東京であみぐるみ作家になりたいと思っていたのである。のぞみにとって編み物は、退屈な秋田県の日常を楽しくするほぼ唯一の手段だった。
悪魔が毛糸とかぎ針を持ってきた。本物のウールの毛糸である。秋田県で暮らしていたころは、百均の毛糸しか買えなかったことを思い出す。
のぞみは、てきぱきと頭の中に編み図を展開し、編みぐるみを作った。
クマの編みぐるみだ。魔王に見せると、魔王は、
「クマ、カワイイ」と、そう答えてうれしそうにした。のぞみは、
「そのクマの編みぐるみ、魔王様に差し上げます」と答えた。
「ホントニ? ヤッタア」魔王はぴょんぴょんした。
その晩、魔都トーキオーンは嵐に襲われた。しかし嵐は魔都トーキオーンではよくあることだ。ガタガタと建物の揺れる音――魔王の城は都庁にそっくりなくせに結構ぼろい――を聴きながら、腰元が雑魚寝している部屋で寝る支度をしていると、魔王があみぐるみをもってやってきた。
「ノゾミ。イッショニネヨ」
もちろん腰元という立場上逆らうことはできない。のぞみは魔王の私室に入り、怯えた顔の魔王と一緒に寝ることになってしまった。
(これ、百合展開なんだべか……)のぞみはそんなことを考えながら、稲妻が走るたびに怯える魔王をよしよしして、そのうち二人とも寝てしまった。
早朝、のぞみは一人ぱちりと目を覚ました。魔王はすうすうと寝息を立てている。
思えばいろいろなことがあったな、とのぞみは思った。異世界に飛ばされたと聞いて、のぞみは東京に行けないことを嘆いた。でも、いま東京のような街にいる。
人は行きたいところに行けるんだ。
その希望がのぞみの心の中で膨らんだ。
魔王が目を覚ました。照れ臭そうな顔をして、「オハヨー」と魔王は言った。もちろんのぞみの頭の中に「おはようーはーあさのあじー」とあのCMソングが流れた。
魔王はむくりと体を起こして、
「クマ、チーサイトキ、カラ、カエバ、ナツク?」と訊ねてきた。のぞみはまたくまくま園のことを思い出す。たしか五月の連休限定で子グマに触れるコーナーがあったはず。
「たぶん、小さいうちから飼えば懐くと思いますけど……」
「ヤッター」魔王の嬉しそうなリアクションを見て、のぞみは自分の幸運を噛みしめた。
それから二日ばかり立ったある日、魔王の側近たちが子グマをつれてやってきた。まだ母グマの乳を飲んでいるような子グマだ。魔王とのぞみは、そのクマをせっせと世話した。
「名前、付けますか?」と、のぞみは魔王に訊ねた。
「ンート。ノゾミ、ツケテ」魔王はそうムチャぶりしてきた。のぞみはしばらく考えて、
「じゃあ、『マノ』にしましょう。魔王の『ま』と、のぞみの『の』です」
「マノ! カワイイ!」魔王は嬉しそうだ。のぞみは、マノに遊ばせるために、せっせとあみぐるみを作った。魔王もあみぐるみの作り方を覚えて、真似して作り始めた。
のぞみがその後、どうなったかはよく分かっていないが、しかしのぞみは、魔王のお気に入りの腰元として、大変可愛がられて暮らしたらしい。
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