3 ババヘラ無双
3-1 女児先輩ストレスを溜める
うだるような暑さ。
あっという間に赤しそのジュースを消費してしまい、冷蔵庫に甘くて冷たいものはほとんど入っていない、という状況になった。
買い物しに行って買うといっても、悲しいかなアイスクリームもジュースもゼリーも売り切れている。仕方なく、ミツ祖母ちゃんの作った牛乳寒天をつつく。あ、あまぁっ。
缶詰ミカンのシロップはみかんの薄皮をはがすための溶液を中和したものだと聞いたことがある。どこからどう考えても体に悪いのだが、甘くて冷たいものが牛乳寒天しかないのだ。
姉貴は久しぶりにテレポーターで仕事に出かけた。とき子祖母ちゃんがなにやら電話をしているので、何ごとだろうと思っていると、
「異世界サ飛ばされたのにババヘラの仕事だどや……」と、とき子祖母ちゃんはやれやれ顔で言った。エプロンだのひさしのすごい帽子だの、そういうのを出してきて、明日からのババヘラに備えるようだ。
もともと日本にいたころは、オフシーズンである冬にババヘラで貯めたお金を握りしめて小坂の康楽館に年一回やってくる歌舞伎を観に行ったり、東京に遊びに行って千疋屋や三越でおいしいものをたんまり買ってきたりするのがとき子祖母ちゃんの趣味だった。だが、いまはもう康楽館には物理的に歌舞伎役者はやってこないし、千疋屋にも三越にも行くことができない。バードゴルフの競技場のあるところはモンスター出没危険地帯になってしまったようで、とき子祖母ちゃんの趣味はかたっぱしからできなくなってしまったのである。
稼いだ金の、使い道のない労働ほどむなしいものはない、と、とき子祖母ちゃんは言う。
とき子祖母ちゃんの買い物大好き癖を思えば、このなにもかも品薄の秋田県は退屈極まりないところに違いない。
ため息なんぞつきつつ、まあそのうちキノコのシーズンがくるからさ、と気休めを言うと、
「でもや、もしここが常夏の楽園で、秋こねがったらどうするざぁ」
とぐうの音も出ないことを言われた。
どうも、ここは常夏らしいのだ。ロイもイルミィも雪を見たことがないと言っていたし、雪はものすごく北までいかねば見られない、とイルミィが言っていた、とあかりが言っていた。
イルミィはあかりのいる駐在所に住み着き、あかりと姉妹のように毎日きゃいきゃい言って遊んでいるらしい。あかりのお父さんの判断ミスだ。無理やりにでも、イルミィを国に返すべきだったのである。
そしてイルミィはインスタグラムで、異世界秋田のことをいろいろ発信しているらしく、気が付いたらフォロワーが三万人をあっさり超えてすっかりインフルエンサーになっているらしい。異世界人のインスタグラマーというのもフォロワー増加の要因の一つだろう。
俺は俺で、家から徒歩三分の図書館から肉体改造の本を借りてきて、腕立て伏せとスクワットと懸垂に励んでいた。この世界で頼れるのは己の筋肉だけだ。筋肉は裏切らない。体重を絞るのも楽しい。姉貴が使っていた体組成計つきの体重計で体脂肪が落ちていくのを見るのが、まあ楽しい。筋肉は裏切らない(二回目)。
別にムキムキマッチョになろうというわけではない。秋田犬の抜け毛だけでは心もとないので、体を鍛えることにしたのだ。鍛えているうちに何度か「ててててんてってってーん」とレベルアップの音が聞こえたので、やっぱり筋肉は(略)。
次の朝、とき子祖母ちゃんはババヘラの売り子としてマイクロバスに乗って仕事に向かい、家には俺一人残された。姉貴はいつ帰ってくるのだろうか。
武器が欲しくなったので、物置から鉄のスコップを出してきた。雪ががちがちに凍ってしまったときに叩いて割るためのスコップである。ほどよい重量感があって、これなら異世界で使う武器にふさわしかろう。鍛えた体にもなかなか似合っている。
スコップに段ボールゴミを縛るためのヒモをつけて背負い、ちょっとパトロールにいってみようと家を出ると、向かいの石垣さんの環奈ちゃんが、アスファルトにチョークで絵を描いて遊んでいた。かなり上手い。黒板アートレベルの絵を、アスファルトにかりかりと描いている。あまりに上手いので、しみじみと眺めていると、
「……ふしんしゃじゃん」
と、環奈ちゃんは可愛さをみじんも感じないセリフを吐いてきた。
「俺は不審者じゃない菅原陸斗だ。絵が上手いんだな」
「スコップ背負ってるんだしふしんしゃだよ。国語と図工だけは成績がいいの。ほかはみーんな微妙。そもそも学校ないし」
環奈ちゃんは明らかに退屈していて、靴底でがしがしと絵を消すと、
「ふしんしゃ、あたしアイス食べたい。コンビニにもいとくにも売ってない」
と、退屈と悲しみの混ざった顔をした。
「そう言われても、コンビニにもいとくにもないってなれば俺だって買えない」
「ババヘラ売ってるとこまで連れてってよ。スイッチも我慢したんだよ。アイスおごってよ」
全く筋道が通っていないが、環奈ちゃんはどうやら相当ストレスをためているらしい。スイッチを我慢するというのはこの年頃の子供さんにはかなりの悲しみなのではないかと思う。
責任は俺の姉にあるわけだし、ババヘラを食べられるところまで連れていってやろうかな、という考えが頭をかすめた。しかしババヘラというのは交通量の多い大きい通りか、なにか分かり易い目印になる施設の前で売られるのが定番だ。最寄はおそらく樹海ドーム。姉貴曰く「キムタクがUFOと言った」ドームで、ギリギリでプロ野球の公式戦ができない残念スタジアムだ。ネーミングライツうんたらでいまはたしか「ニプロハチ公ドーム」となっているはず。
しかし樹海ドーム、ここからだと結構な距離である。
田舎の人はよく歩くから足腰が強いなんていうのは完璧なる迷信である。秋田県民は徒歩三分のコンビニにすら車でいくほどで、実に歩くのを面倒がる。スーパーマーケットのなかでさえ、「いとくショッピングセンターは広くて歩くのがしんどい」みたいなことを言う。
どうしたものか考えた。俺は高校生である、車の免許なんて持っていない。それどころか原付の免許すらない。高校がバイク容認なのでバイクの免許が欲しいと言ったのだが、家族に「ぜったい事故るからやめれ」と言われて諦めた。俺は素直なのだ。
バスでいくにしたって、樹海ドーム方面のバスのダイヤは把握していないし、となると手段は一つだ。自転車しかない。
自転車は中学のころ遊びに出かけるのに使っていた。主にバッティングセンターとかそういうところだ。中学は学校から半径二キロに収まっているので自転車通学はできなかった。なんなんだろう、「家が学校から半径二キロより遠い生徒のみ自転車通学を認める」っていうシステム。通学くらい好きな手段を選びたい。
ひさびさに自転車を出してきたら、あちらこちらさびたり汚れたりしていて、ちょっとギシギシ音がする。クレ5‐56をきしむところにばーっとスプレーして、どうにかぎしぎし言わなくなったところで、
「ほれ、後ろサ乗れ。ババヘラ売ってるとこ探してみようか」
と、環奈ちゃんに声をかける。環奈ちゃんは目をぱちくりして、
「高校生なのにバイクないの?」
と訊ねてきた。なんで高校生はバイクという認識なのか聞いてみると、「なかよしとかりぼんとかのカッコイイ高校生の男の子はみんなバイクに乗ってるよ。やっぱりふしんしゃはダサいんだね」と、子供の世界の矮小さを感じる答えだった。
「あのな、高校生になっても、髪は染められねーし、屋上でサボれねーし、部活を作れるわけじゃないんだ」と言ってやる。環奈ちゃんは首をかしげて、自転車の後ろに乗り、
「スコップかっこわるいからおろして」
と言ってきた。いやしかしモンスターに出くわしたらどうするんだ、というと、
「そのときはふしんしゃがめっちゃ自転車漕げばいいんだよ」
という。こいつ、俺を人と認識していないな?
とにかく俺はスコップを玄関先において、自転車をきこきこ漕ぎだした。
「小学校で、なに流行ってた?」
「小学生女児に流行してるものをハアクして、ラチカンキンするの?」
「ちげえよ。いまの小学生もしょーもないことして遊ぶのかなって思っただけだ」
「うん、光る泥だんごが流行ってた。よごれるからあたしはやらないけど。あと、スイッチの、す、スプラトゥーン? ってゲームすっごい流行ってた。流行っててやってないとバカにされるから、スイッチ買ってってお願いしたのに」
秋田県が異世界に転生してしまったばかりに、楽しみにしていた誕生日のプレゼントは、スイッチではなくリカちゃんのおばあちゃんだったのだ、と環奈ちゃんは続けた。
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